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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

天親菩薩⑨(浄土論)

2009年06月21日 | 七高僧
天親菩薩⑨(浄土論)

千部の論主と呼ばれた天親菩薩の著書の中でも
『浄土論』が後の仏教界に与えた影響は
計り知れない。

『浄土論』の冒頭に、天親菩薩は
「世尊我一心・帰命尽十方・無碍光如来・願生安楽国」
(世尊、我一心に、尽十方無碍光如来に帰命して、
 安楽国に生まれんと願ず)
 と書かれてある。
 
釈迦如来の御金言である
「一向専念無量寿仏せよ」との
お言葉に天親菩薩は従われ
一向専念無量寿仏の身になられた告白だ。

仏教の結論は何か。
真実の教え大無量寿経に説かれてある
「一向専念無量寿仏」の
み教え以外にはない。

私達が真に幸福になる為に、
大変大事なことだから、
よく知って実行しなければならない。

一向専念無量寿仏とは、
無量寿仏とは阿弥陀仏のことだから、
本師本仏の阿弥陀仏一仏を一心一向に念ぜよ、
必ず救われるのだと教導なされたお言葉である。

これは、阿弥陀仏が本願に
「一心一向にわれをたのまん衆生をば、
如何なる罪深き人なりとも救わん」
と約束なされているから、
釈尊が仰言ったのだ。

実は釈迦は、このこと一つを我々に教える為に
この世へ出られたのである。
 
『浄土論』冒頭の
「我」とは天親菩薩ご自身のことだから
「お釈迦様、私天親は教えの通り
 一向専念無量寿仏の身にさせて頂きました」
との他力信心の表明である。
 
釈迦如来の教えの結論を
天親菩薩は『浄土論』の最初に明らかに
してゆかれたのだ。

阿弥陀如来への帰依を説いたこの論書は、
この後の浄土教に大きな影響を与えた。
日本においては、法然上人は『浄土論』を
浄土三部経と合わせて「三経一論」
と呼ばれたのである。

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天親菩薩⑧(決死のご恩報謝)

2009年06月20日 | 七高僧
天親菩薩⑧(決死のご恩報謝)

天親菩薩は大乗仏教こそが真実であることを
知らされたと同時にそれを謗る謗法の大罪も
知らされた。

何を思ったか。天親菩薩は台所から刃物を
持ち出して自らの舌を断ち切ろうとした。

「天親!何をするか」

「この舌で謗法罪を造ってきました。
 この舌を切ってお詫びいたします」

「馬鹿者、舌を切ったぐらいで
 今までの罪が消えると思うか。
 今度はその舌で大乗仏教を弘めるのだ。褒めるのだ。
 それ以外にお前の救われる道はないのだ」

ついに天親菩薩は大乗仏教の信奉者となり、
一心に無碍光如来(阿弥陀仏)に帰命なされ、
その一生を正法宣布に奉げられた。

名声はインド中に響きわたり、
『浄土論』などの仏教史上に輝く著書により、
千部の論主と尊称されるのである。


天親菩薩⑦(弥陀の本願への帰入)

2009年06月19日 | 七高僧
天親菩薩⑦(弥陀の本願への帰入)

天親が家を出ていってからの無著菩薩の
心配はいよいよ増大し、弟を思う懊悩の日々を
重ねるようになった。

天親はある待ちで宿を得て、兄の束縛から
離れた解放感を楽しんでいた。
やがて幾月か経たころ、無著菩薩より一通の手紙が届いた。

「天親よ。お前が家を出てから、病気となり、
 不治の病だと宣告された。
 もう余命も少ないことは覚悟している。
 お前は私にとって、かけがいのない肉親だ。
 最後に一目会いたい」
と記されていた。

兄の無著が危篤だという知らせを受けた天親は驚き、
早速、旅支度をして郷里に向かった。

長い旅の末にようやく家に着いてみると
意外にも、兄の無著菩薩が
大衆の前で説法しているではないか。
兄に騙されたと知った天親の怒りは激しく
説法が終わるや否や詰問した。

「兄上、あなたは仏法者でありながら、
 平気で嘘をつくのですか。
 どこが病気ですか。
 どこが今にも死にそうなのですか」
 
「天親よ、私の病気とは実は心の病気なのだ。
 それもお前が原因だ。」

「それは如何なる訳ですか」

「天親よ、私はお前のことが心配で
 眠れないこともある。
 というのもお前が大乗仏教を謗り続け
 謗法罪という恐ろしい罪を重ねているからだ。
 このまま死ねば必ず無間地獄に堕つるのだ。
 それを知りながら何もしてやれぬことが苦しいのだ」

無著菩薩は真剣な態度で、自らの苦衷を天親に訴えた。
「どうか聞いてくれ」
という真摯な兄の姿に、ついに時節到来というべきか、
天親は
「ならば折角ですから、一度話してみてください」
と言った。

その言葉に無著は歓喜した。
そして、天親を前に、
甚深微妙な大乗仏教の教理を展開した。

熱意あふれる無著の説法に、天親は
「ああ私が悪うございまいた。
 これほど深遠な、尊い大乗仏教とは
 知りませんでした。
 それを今まで信じないばかりか、
 謗ってきたことはまことに慚愧に堪えません」
と真実を真実と知らされたのであった。


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天親菩薩⑥(天親菩薩と無著菩薩の法論)

2009年06月18日 | 七高僧
天親菩薩⑥(天親菩薩と無著菩薩の法論)

天親菩薩と無著菩薩は当然のごとく、
大乗が仏説か否かをめぐって激しく対立し。
議論を繰り返した。

「天親よ、お前の学んでいる小乗仏教はすべて
 方便の経なのだ、
 私も一時は小乗を学んだこともあったが、
 大乗仏教に転向して、しみじみとそれが
 知らされる。
 お前が釈尊の出世の本懐を知りたいと思うなら、
 一日も早く、大乗仏教を読んでほしい」
と無著菩薩は力説した。

「兄上、そなたこそ、どうして大乗仏教など
 信じられるのですか。
 大乗仏教は本当に釈尊が説かれたのか疑問です。
 そんなもので釈尊の真意が分かりましょうか。」
と天親は反論した。

それ以来、幾度にもわたって、
小乗は方便だ。
いや大乗こそ仏説に非ず。
と兄弟で議論が繰り返された。

天親菩薩と無著菩薩はお互いの主張を譲らず、
どれだけ話しても決着がつかない。

それどころか兄の真意の分からぬ天親は、
あまりの兄の勧めに、
「あなたは大乗仏教を信じていたら良いではないですか。
 私には信ずるものかあるのです。
 そんなに人の嫌がるものを押付けるのは、
 邪魔者でこの家から出てほしいからで、
 そのための嫌がらせなのでしょう」
と言って、兄の制止も聞かず、
何処へか旅立ってしまった。


天親菩薩⑤(大乗非佛説の誤り)

2009年06月17日 | 七高僧
天親菩薩⑤(大乗非佛説の誤り)

小乗仏教の者達も黙っていない。
大乗仏教は仏説に非ずと
大乗非仏説を主張した。

大乗非仏説ということは、
浄土三部経(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)や
法華経、華厳経等のいわゆる大乗仏教の諸経典は
釈尊の説かれたものではなく、
仏滅、四~五百年後に出た、或る偉人によって
創作された芸術作品である、とする主張をいう。

この大乗経典非仏説論はとるにたらぬ
学者達の戯論にすぎない。

大体、常識的に考えても、
若し、大乗経典が釈迦の説かれたものでないとするならば、
あの素晴らしい大乗経典を誰が創作したのか、
先ず明らかにされていなければならない。
それは龍樹・天親・無著等の諸菩薩がともに
仏説として拝誦された経典だから、
彼ら以上の大偉人でなければならない。
龍樹菩薩・天親菩薩以上の偉人は釈迦如来以外に
インドの歴史上見あたらない。

若し、実在したとすれば、
そのような人の名が歴史に全然残らないということは、
とうてい考えられないのである。

天親菩薩④(大乗仏教と小乗仏教)

2009年06月16日 | 七高僧
天親菩薩④(大乗仏教と小乗仏教)

天親菩薩がかぶれていたのは小乗仏教であった。

仏教に小乗仏教と大乗仏教と分けられるが
これは二つの仏教があるのではない。

本当のお釈迦様の御心を伝えようとした者が
聞き誤って伝えた者に対して、
「お前達の教えは仏様の真意を教えではない。
わが身さえ助かればよいという我利我利の
教えで小さな乗り物になってしまう。
それでは小乗仏教だ。

それに対して、真実の仏教は自分だけではなく、
一人でも多くの人に本当の幸せになって
もらいたいというのが仏様のみ心だから
自利利他の教えである。
だから大きな乗り物、大乗仏教である。

このように同じお釈迦様の教えを聞きながら
聞き誤って伝えられた仏教を小乗仏教。
正しく伝えられた仏教を大乗仏教と
呼ぶようになったのである。

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天親菩薩③(倶舎論)

2009年06月16日 | 七高僧
天親菩薩③(倶舎論)

天親菩薩が書いた「倶舎論」は
仏教の基礎学であり、
仏教思想史の中でも大変な功績を
残した。

それは基本を踏まえないで仏教哲学を始めると
基礎の無い砂場にビルを建てるようなもので
建てる間もなく崩れ去ってしまう。

その仏教の基礎を教えられたのが倶舎論である。

仏教を学ぶ者にとっては必修の教科であるが、
容易に理解できるものではない。
内容の複雑さから
坊主泣かせのクシャクシャ論と
言われてきた。
ものにするまでは、数年を要する事から
明治時代までの日本仏教界では
「唯識三年・倶舎八年」
と言われていたのである。

・世界の成り立ち
・物質の極小の単位
・物と心の関係
・認識をする主体や意識の流れ
・原因と結果の因果関係
・時間の最小単位
などを知るに、
倶舎論は欠かすことができない。

天親菩薩の倶舎論が後の仏教思想界に
与えた影響は計りしれないのである。

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天親菩薩②(天親菩薩と衆賢)

2009年06月15日 | 七高僧
天親菩薩②(天親菩薩と衆賢)

天親菩薩は二人の兄弟と同様に
二十歳のころから仏門に入り、小乗仏教を志した。

生来賢明にして、才知豊かな天親のことである。
ケンダラ国における小乗経典はほとんど読破したが、
満足は得られず、カシュミラ国に赴き、そこにのみ
伝えられる「大毘婆沙論」を研究したいと
密入国した。

当時の碩学であった悟入(ごにゅ)尊者の講義を
熱心に受け、その度ごとに真剣に
質問を繰り返した。

その質問があまりに鋭いので、悟入尊者は
ただ者ではない、他国の者と見破ってしまう。

天親菩薩の身を案じた悟入は速やかに帰国することを
勧めた。
帰国後、天親菩薩は「大毘婆沙論(ダイビバシャロン)」の
講義をまとめた「阿毘達磨倶舎論(アビダツマクシャロン)」
を悟入尊者に送った。

そこに述べられていたのは、「大毘婆沙論」の教義に
一大改善を施したものであった。
悟入の弟子中、秀才といわれた衆賢の怒りは激しく、
天親菩薩と法論し、決着をつける為に
ケンダラ国に来たが、
天親菩薩は「ただ議論のための議論となってしまう」と
中インドへ旅立ってしまった。

衆賢はガッカリしたが、天親菩薩の著書の非難を書いた
書物を置いていき、病気でこの世を去ってしまった。
天親菩薩は、その書物を読んでも
「道理は今少し未熟だが、文書はなかなかよい」
という程度で、あえて批判はしなかった。

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天親菩薩①(仏縁深き三兄弟)

2009年06月15日 | 七高僧
天親菩薩①(仏縁深き三兄弟)

親鸞聖人が天親菩薩を大変、尊敬しておられたことは
親鸞の親は天親菩薩から頂かれたことからも分かる。

釈迦入滅後九百年にインドで活躍された方が
天親菩薩である。

龍樹菩薩が亡くなられてから、二百年が
過ぎたころである。

当時、インドは仏教の大外護者たる
マウリヤ王朝アショカ王の時代に龍樹菩薩を中心とし、
開花した絢爛たる仏教文化が、
なお勢いを継続し、やがて、カニシカ王の時代に至る。
インド文明の黄金時代を迎えようにしていた。

そうした時代に、北インド、ケンダラ国のある高貴な
バラモンの家に三人の智恵勝れた兄弟があった。


長男は無著菩薩(むじゃく)、
次男は天親菩薩(てんじん)、
三男は獅子覚(ししかく)

長男の無著菩薩は、初めは小乗仏教において
出家したが、小乗の教義に不満を感じ、
大乗仏教に転向し、大いに悟るところがあった。
その後は大乗仏教の勝れた指導者として、
その法の宣布に力を尽くしていた。

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龍樹菩薩⑪(宣説大乗無上法)

2009年06月14日 | 七高僧
龍樹菩薩⑪(宣説大乗無上法)

「宣説大乗無上法」
(大乗無上の法を宣説したもう)

親鸞聖人が龍樹菩薩を褒め称えて
言われたお言葉だ。

龍樹菩薩は大乗無上の法を命をかけて
宣説(宣伝し、説き広める)してくだされた。
そのお陰で親鸞も真実に会わせて頂くことが
できたのだ。

龍樹菩薩のご恩を思えば、
今度は親鸞、私が命がけで
大乗無上の法(弥陀の本願)を
宣説せずにおれないと
次のように御和讃に著しておられる。

「他力の信をえん人は
 仏恩報ぜんためにとて
 如来二種の廻向を
 十方にひとしく弘むべし」

いくら素晴らしい教えがあっても、
宣伝しなければ誰も分からない。
「十方にひとしく弘むべし」である。

親鸞聖人の肉食妻帯の断行は
当時の人々に大衝撃を与えた。
世間中の非難攻撃を受けられたのだ。

親鸞聖人は奥様になられた玉日姫に
決心を述べられる。

「よいか、玉日。今こそ、そなたに、
 言っておこう。
 僧侶も、在家の人も、男も、女も、
 ありのままで、等しく救いたまうのが、
 阿弥陀如来の本願。
その真実の仏法を、
今こそ、明らかにせねばならんのだ。
阿弥陀如来の広大なご恩徳を思えば
どんな非難も、物の数ではない」

玉日姫は親鸞聖人の言葉に、力を得て
「はい。私も、お従い致します」
と答えられた。

龍樹菩薩、親鸞聖人の命がけの布教は
これ全て、
「唯、仏恩の深きことを念じて
 人倫の哢言を恥じず」
の弥陀の本願に救われた
ご恩報謝以外の何ものでもないのである。

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