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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

龍樹菩薩⑩(全人類の助かる道=易行道)

2009年06月14日 | 七高僧
龍樹菩薩⑩(全人類の助かる道=易行道)

龍樹は仏教に難行道と易行道の
二道あることを明らに示された。

難行道は自分の力で修行し、
悟りを開いてゆく教えである。
後に自力仏教とも聖道仏教とも
呼ばれた。
この自力聖道仏教は立派な意志の強い
丈夫志幹の者しか行けない道である。
難行道とは我々のような者では
絶対に助からない教えであると
いうことに他ならない。

自分のような獰弱怯劣な人間は、
易行道でなければ到底助からなかった
のだと告白している。

獰は悪、弱はよわい、怯は卑怯もの、劣は劣ったもの
ということであるから、
龍樹菩薩は自らを悪い心の弱い
卑怯な劣等な人間だと懴悔して、
このような者は浄土門他力仏教・易行道でなければ
絶対に助からないのだと述懐しているのである。

小釈迦と呼ばれた龍樹菩薩でさえ、
法華経をはじめとする難行道では助からないと
言われているのだ。
全ての人間は阿弥陀仏の本願、易行道でしか、
絶対に助かるということはないのである。

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龍樹菩薩⑨(十住毘婆沙論 易行品)

2009年06月14日 | 七高僧
龍樹菩薩⑨(十住毘婆沙論 易行品)

仏教では書物を経論釈と分けられる。

経-仏のお言葉を書き残したもの、
論-菩薩の書かれたもの、
釈-高僧の書いたもの

龍樹菩薩の書かれたものは多いが
『十住毘婆沙論』や『大智度論』が有名である。

その中でも後世に大きな影響を与えたものは
『十住毘婆沙論』(じゅうじゅうびばしゃろん)の
一章易行品であろう。

『十住毘婆沙論』に龍樹菩薩が
「仏法に無量の門あり。世間の道に難あり。易あり。
 陸道の歩行は即ち苦しく、
 水道の乗船は即ち楽しきが如し。
 菩薩の道もまたかくの如し。
 あるいは勤行精進のものあり、
 あるいは信方便の易行をもって、
 とく阿惟越致に至るものあり」
と明示なされている。

龍樹は仏教に難行道と易行道の
二道あることを明らに示された。

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龍樹菩薩⑧(間違った思想を撃破)

2009年06月13日 | 七高僧
龍樹菩薩⑧(間違った思想を撃破)

人生の目的を果たされてからの龍樹菩薩の
活躍は凄かった。

当時、インドにはびこっていた間違った思想(外道)を
徹底的に撃破してゆかれ、
大乗無上の阿弥陀仏の本願を宣布せられた。

南インドの王が邪教の信者で、その国に
仏教徒が一人もいないと知ると、
単身そこに布教に行かれた。

王の募集した兵隊の大将となり、
将兵を見事に指揮し、
怪しんでその人物を問うた国王を
ついに仏教に帰依せしめ、
同時に、数千人のバラモン僧を
仏教に転向せしめたのである。

龍樹菩薩のご著書といえば
『十住毘婆沙論』、『大智度論』などが有名で
当時の宗教界を、斬新にして、
力強く指導されたのである。

「小釈迦」と称賛されて、不思議でない。

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龍樹菩薩⑦(真実の仏教との出会い)

2009年06月13日 | 七高僧
龍樹菩薩⑦(真実の仏教との出会い)

ヒマラヤ山中の奥深い地区に龍族という部族があり、
そこに大龍という長老がいた。

その大龍が龍樹菩薩のことを知り訪ねてきたのである。

「菩薩よ。私の村には遠い祖先より伝わる経典がある。
 しかし、いまだ、その経典の真意を理解しうる賢者が
 おらず、今日まで経蔵に眠っている。
 あなたこそ、その経典を伝授するにふさわしい方だ。
 どうぞ一度見てもらいたい。」

大龍の言葉に新たな希望を見出し、
龍樹菩薩がその村に行ってみられると、
経蔵があり、その入り口の上の古びた額には
「龍宮」という文字が浮き彫りにされていた。

蔵の中には数多くの大乗経典がギッシリ詰まっていた。
むさぼるように、龍樹菩薩は経典を読破してゆかれた。

どこかに
自分のような極悪人でも救われる道はないか・
一切の人々の救われる法はないか・
必死に経典を紐といてゆかれるうちに
ついに浄土三部経を発見せられたのである。

「設我得仏、十方衆生・・・・・」
と阿弥陀仏の本願を憶念した一念で
大安心・大満足の身に摂取せられたのである。

阿弥陀仏の本願力(他力)で五十一位を
証し、今が絶対の幸福、
死んで弥陀の浄土間違いなしの身に
なられたのである。
これを必定の菩薩という。

弥陀の本願に救い撮られてからの
龍樹菩薩の活躍は素晴らしいものであった。



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龍樹菩薩⑥(獰弱怯劣-ねいじゃくこれつ)

2009年06月12日 | 七高僧
龍樹菩薩⑥(獰弱怯劣-ねいじゃくこれつ)

自力一杯、お釈迦さまの教えてゆかれたように
龍樹菩薩は修行をしてみて知らされた。

「仏の覚を極める難行苦行は
釈尊のような大丈志幹(だいじょうしかん)の
者ならともかく、
自分のような獰弱怯劣(ねいじゃくこれつ)の
者にはとても歩める道ではない。
どこかに自分のような劣ったものでも
救われる道はないのか。」

大丈志幹――1度決めたことはどんな苦難にあおうとも
         決してあきらめることなく、
         最後までやり通すことのできる人。

獰(ねい)―悪いことしか思わない。
弱(じゃく)―非常に弱い。決断した裏からあきらめる。
怯(こ)  ―卑怯な。すぐにあきらめるくせに
        人前では立派な人間のように振舞う卑怯者。
劣(れつ) -劣った。何もできない者。

我々凡人からみれば、龍樹菩薩は何をやらせても
弱音をはかず、やり通す、まさに大丈志幹の方と
しか思えない。
「あの人に任せておけば大丈夫」と使うが
大丈夫とは、ここから出た言葉だ。

しかし、龍樹菩薩は心の底から、
獰弱怯劣の悪人と知らされたのである。

再び悩みぬく龍樹菩薩の心に
光明は意外な方面からさし込んできた。

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龍樹菩薩⑤(峻烈をきわめた自力修行)

2009年06月12日 | 七高僧
龍樹菩薩⑤(峻烈をきわめた自力修行)

仏道修行に取り組まれた龍樹であったが、
小乗経典を読み始めて90日で読破された。
しかし、満足は得られなかった。

ヒマラヤ山の麓に伝わっていた大乗経典に
接し、十数年、行の峻厳さは、お釈迦様の
苦行もかくあらんと思われんばかりであった。

その結果、仏に至るさとりの五十二位の中、
四十一段目の初地(しょじ)を極めたのである。
この位まで悟ると悟りが崩れる落ちることが
ないから、これ以上の悟りと不退転位と
言われる。
四十一段目は最初の不退転位であるため、
おどり立つ歓喜が沸きあがるから、
初歓喜地ともいう。

自力修行で四十一位を悟ったのは、
釈尊を例外とすれば、龍樹菩薩と、
天親菩薩のお兄さんの無著菩薩(むじゃく)
だけである。

しかし、さすがの龍樹菩薩も
ここに至るので精一杯であった。


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龍樹菩薩④(無常観と罪悪観)

2009年06月11日 | 七高僧
龍樹菩薩④(無常観と罪悪観)

仏教を聞く縁となるものに3通りあるといわれる。
無常と罪悪と孤独である。

無常とはこの世のものはすべて常がない。
続くものは一つもないということである。

無常の中でも一番の無常は
自分に迫る死である。
親鸞聖人も幼くして両親をなくされ、
「今度は自分の死ぬ番だ。
 死んだらどこへ生まれるのだろう」
と後生に驚かれ、仏門に入られた。
死が来ても変わらぬ幸せを求められて
仏法を聞き始められたのだ。

また、罪悪を知らされて仏の道を
心がけられた方もいる。
親鸞聖人がお名前に「親」という字を
頂かれた天親菩薩は
自分が仏法を謗しり続けていたことを知らされ、
今悪人でも救われる道があるのだろうかと
真実の仏法を求めていかれた。

中には孤独に苦しんで仏法を聞かれた方もいる。
肉体の連れはおってでも、心まで分かってくれる
連れはいない。
まさに独生独死独去である。
私の心の底まで分かってくだされる本当の連れを
仏教では教えられているのである。

無常を観じて仏法を聞かれるようになのは
得手して若い人が多い。
年寄りの方が先が短いのだから無常をじているだろうと
思うが、そうではない。
今日も生きてこられた、明日も大丈夫だろうと
自分が死ぬとは思えない。

お年寄りは罪悪を観じて求めるようになる人が
多いようである。
やはり、生きてゆく為とはいえ、
他人には言えないことをどれだけしてきたことか。

無常と罪悪のどちらか一つ知らされると
こんな罪悪を持ったまま、一息切れたら
後生どうなるかと、後生の一大事に驚きをたて、
仏法を聞かずにおれなくなってくるのである。

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龍樹菩薩③(快楽の果てに)

2009年06月11日 | 七高僧
龍樹菩薩③(快楽の果てに)

国王の家来が警戒していることも知らず、
龍樹たち4名は宮中に忍びこんだ。
たちまち群臣たちに刃に、友達3人は
またたく間に斬り殺されてしまった。

利口な龍樹は、国王の周囲10メートルは
近づいてはならぬことを利用し、
とっさの機転で難から逃れることができたのである。

「俺は間違っていた、情欲こそ禍(わざわい)の根であり、
苦の本であった。
それにしても人間の命など、何とはかないものだ。
もし俺が死んだら、魂は一体どうなるのだろうか。
三人の親友を見殺しにした、俺の罪はどうなるのだ。」

俺が死んだらの無常と
三人を死に追いやったのは自分のせいだの罪悪に
龍樹の煩悶は日に日に増すばかりであった。

わが身の後生に驚いた龍樹はついに仏道修行に
精進することを決意した。

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龍樹菩薩②(龍樹をとりこにした情欲)

2009年06月10日 | 七高僧
龍樹菩薩②(龍樹をとりこにした情欲)

龍樹菩薩には3名の勝れた親友があった。
あらゆる学問を学び尽くした彼らに残されたものは
肉体の歓びだった。
人間最高の快楽は情欲にある。聞いただけでも
二十歳になったばかりの三人の血潮を騒いだ。
そして、悪魔の領域に踏み込んでしまったのである。

町にいる女達に飽いた4人は宮中にいる女官を
自分達に情痴のエサにしようとした。
国王の愛人達も最初は意外な侵入者に驚いたが、
肥満した国王の身体とは対象的な
龍樹たちのたくましい肉体を歓迎するようになった。

しかし、このウワサが国王の耳に入らない訳がない。
事実を知って怒った国王は龍樹達をすぐさま
発見し、処刑するよう命じたのである。




龍樹菩薩①(天才龍樹、小釈迦と称賛)

2009年06月09日 | 七高僧
龍樹菩薩①(天才龍樹、小釈迦と称賛)

釈迦入滅後、700年
南インド、コーサラ苦のバラモンの家に生まれた。
天性、極めて聡明で。
幼少にしてバラモン教の
四ベーダーの経文をことごとく暗記して、
理解してしまい、
町の図書館にあるあらゆる学問を学び尽くして
しまったと言われる。

後に仏法に帰依し、阿弥陀仏の本願に救い撮られ
その縦横無尽の活躍に、
「小釈迦」と尊敬された。
また、多くの仏教の宗派の開祖とあがめられ
「八宗の祖師」と仰いで、惜しみない
称賛をおくった。


またこの龍樹菩薩は
釈迦が楞伽経(りょうがきょう)未来記に、
「未来世に、わが法をたもつ者あるべし。
南天竺(インド)国の中に、大名徳の比丘(びく)あらん。
その名を龍樹となす。
よく有無の宗を破し、世間の中にして我が無上の大乗をあらわし、
初歓喜地を得て、安楽国に往生せん。」
と龍樹菩薩の出現を予言しておられることでも
有名である。

だが、彼が真実の仏教を知り、仏説のとおりに、大活躍を
するまでには様々な曲折を経て後のことであった。

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