曇鸞大師⑦(他力=阿弥陀仏の本願力のみをいう)
他力を誤解している人は非常に多い。
みんな他力というと
「他人のふんどしで相撲をとる」
「他人の提灯で明りを求める」
のことのように思っている。
力のない人間が力のある人間に助けを求める
依存心だと思っているのだろう。
新聞などにも堂々と
「他力本願ではいけない、自力更生でなければならぬ」
と書きたてているのがその証拠だ。
では、他力とは一体どんな意味なのか。
親鸞聖人が、『教行信証』に明示されているように、
阿弥陀仏の本願力のみを他力というのである。
他力の語源は曇鸞大師の浄土論註にある。
他力の他は阿弥陀仏のことに限るのです。
それでは阿弥陀仏の本願力とは、どんなお力なのか。
これについても親鸞聖人は『和讃』に
「無明長夜の闇を破し、衆生の志願を満てたまう」力であると
鮮明に教えていられる。
即ち、阿弥陀仏の本願力とは、
我々の暗い心(苦悩のたえない心)を打ち破って
日本晴れの大安心にするお力であり、
我々の一切の志願を満たして大満足心で
生きぬけるようにして下されるお力であり、
それをまた、他力というのである。
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他力を誤解している人は非常に多い。
みんな他力というと
「他人のふんどしで相撲をとる」
「他人の提灯で明りを求める」
のことのように思っている。
力のない人間が力のある人間に助けを求める
依存心だと思っているのだろう。
新聞などにも堂々と
「他力本願ではいけない、自力更生でなければならぬ」
と書きたてているのがその証拠だ。
では、他力とは一体どんな意味なのか。
親鸞聖人が、『教行信証』に明示されているように、
阿弥陀仏の本願力のみを他力というのである。
他力の語源は曇鸞大師の浄土論註にある。
他力の他は阿弥陀仏のことに限るのです。
それでは阿弥陀仏の本願力とは、どんなお力なのか。
これについても親鸞聖人は『和讃』に
「無明長夜の闇を破し、衆生の志願を満てたまう」力であると
鮮明に教えていられる。
即ち、阿弥陀仏の本願力とは、
我々の暗い心(苦悩のたえない心)を打ち破って
日本晴れの大安心にするお力であり、
我々の一切の志願を満たして大満足心で
生きぬけるようにして下されるお力であり、
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