蓮如上人物語(18)(吉崎再建と真宗の繁盛)
吉崎御坊の出火の原因は何だったのか。
失火ともいわれているが、
当時の状況から放火の疑いが
強いといえる。
人々の心には、本光房了顕の殉教が
強烈に焼きついた。
「了顕に続け」と、門徒同朋の、
信仰のエネルギーは、
再建に向けられた。
かくて、再建工事は、
驚くほど急ピッチに進み、
2ヵ月後には、
以前にもまして立派な
吉崎御坊が完成した。
ある日、お弟子が蓮如上人に申し上げた。
「日々、参詣者が増えていきます。
素晴らしい繁昌ぶりです。
仏法は盛んになりました」
だが、上人は、否定された。
「一宗の繁昌と申すは
人の多く集り威の大いなる事
にてはなく候、
一人なりとも人の信を取るが
一宗の繁昌に候」
(御一代記聞書)
浄土真宗の繁昌というのは、
人が多く集まり、
威勢がいいことではない。
と断言されている。
誰でも、人が少ないより多い方が
「繁昌」と思うのが当然だろう。
常識を真っ向から
破っておられる。
では、どうあるべきなのか。
「一人でも信心獲得することが、
浄土真宗の繁昌なのだ」
と説かれている。
どれだけ参詣者が増えても、
信心決定する人がなければ
繁昌とはいえない。
他力の信心を獲て、
この世からまことの幸福に
救い摂られる人が一人でも
多く現れてこそ、
「浄土真宗の繁昌」
なのだと、
蓮如上人は教えられている。
当時は、秀吉、家康の天下統一から、
百年以上もさかのぼる乱世で、
各地で、激しい権力争いが
展開されていた。
蓮如上人は
「紛争に加担してはならぬ」
と厳戒しておられたが、
御心に反し、本願寺門徒は、
加賀(石川県)の政権争いに
巻き込まれたのである。
吉崎御坊の存亡のみならず、
蓮如上人のお命にまで
危機が迫った。
上人は、やむなく吉崎を
脱出された。
この時、蓮如上人61歳、
吉崎でのご教化は、
わずかに4年間だった。
蓮如上人が去られて数日後、
加賀の守護・富樫の軍勢が、
吉崎御坊へなだれこんだ。
血のにじむ浄財で再建された御坊は、
跡形もなく破壊されてしまった。
京都に次いで、吉崎でも。
蓮如上人のご心痛は、
いかばかりであっただろうか。
吉崎御坊の出火の原因は何だったのか。
失火ともいわれているが、
当時の状況から放火の疑いが
強いといえる。
人々の心には、本光房了顕の殉教が
強烈に焼きついた。
「了顕に続け」と、門徒同朋の、
信仰のエネルギーは、
再建に向けられた。
かくて、再建工事は、
驚くほど急ピッチに進み、
2ヵ月後には、
以前にもまして立派な
吉崎御坊が完成した。
ある日、お弟子が蓮如上人に申し上げた。
「日々、参詣者が増えていきます。
素晴らしい繁昌ぶりです。
仏法は盛んになりました」
だが、上人は、否定された。
「一宗の繁昌と申すは
人の多く集り威の大いなる事
にてはなく候、
一人なりとも人の信を取るが
一宗の繁昌に候」
(御一代記聞書)
浄土真宗の繁昌というのは、
人が多く集まり、
威勢がいいことではない。
と断言されている。
誰でも、人が少ないより多い方が
「繁昌」と思うのが当然だろう。
常識を真っ向から
破っておられる。
では、どうあるべきなのか。
「一人でも信心獲得することが、
浄土真宗の繁昌なのだ」
と説かれている。
どれだけ参詣者が増えても、
信心決定する人がなければ
繁昌とはいえない。
他力の信心を獲て、
この世からまことの幸福に
救い摂られる人が一人でも
多く現れてこそ、
「浄土真宗の繁昌」
なのだと、
蓮如上人は教えられている。
当時は、秀吉、家康の天下統一から、
百年以上もさかのぼる乱世で、
各地で、激しい権力争いが
展開されていた。
蓮如上人は
「紛争に加担してはならぬ」
と厳戒しておられたが、
御心に反し、本願寺門徒は、
加賀(石川県)の政権争いに
巻き込まれたのである。
吉崎御坊の存亡のみならず、
蓮如上人のお命にまで
危機が迫った。
上人は、やむなく吉崎を
脱出された。
この時、蓮如上人61歳、
吉崎でのご教化は、
わずかに4年間だった。
蓮如上人が去られて数日後、
加賀の守護・富樫の軍勢が、
吉崎御坊へなだれこんだ。
血のにじむ浄財で再建された御坊は、
跡形もなく破壊されてしまった。
京都に次いで、吉崎でも。
蓮如上人のご心痛は、
いかばかりであっただろうか。