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歴史は人生の教師

高3、人生に悩み休学。あったじゃないか。歴史に輝く人生を送っている人が。歴史は人生の教師。人生の活殺はここにある。

蓮如上人物語(17)(血染めの恩徳讃)

2010年10月16日 | 蓮如上人物語
蓮如上人物語(17)(血染めの恩徳讃)

不審な火の手が揚がり、
吉崎御坊は瞬く間に火の海と化した。

蓮如上人は、拝読中の『教行信証』証の巻を
書院に置き忘れてしまわれたことに気付き、
取りに行こうとされたが法敬に制止された。

「しょ、上人さま、この猛火ではとても・・・!」

「ええい!放してくれ法敬!
 親鸞聖人ご真筆の『教行信証』、
 一巻たりとも失うわけにはいかぬ!
 ああ、この蓮如、
 祖師聖人さまに申し訳立たぬ・・・」

本光房が蓮如上人の御前で手をついた。

「上人さま、お許しくだされ。
 この本光房了顕、
 一命にかえても、
 その『教行信証』証の巻、
 お護り申し上げまする。
 何とぞ、何とぞ、
 この本光房にお任せくだされ」

「ほ、本光房か!」

「いざ!」

と脱兎の如く猛火の中へ
飛び込んで行った。

「浄土真宗の根本聖典、
 今こそお護り申し上げねば・・・」

必死で辿り着いた書院では、
証の巻がまだ燃えずに机の上に
残されているではないか。

「!しょ、証の巻!
 ああ、何と有り難い!!
 これぞ、如来聖人のご加護・・・」

と恭しく掲げる。

しかし浸っている場合ではない。
一刻も早くこの場を脱出せねばと、
今来た道を振り返るも、
今にも覆い被さるように、
猛火が容赦なく本光房を襲った。

「ああっ!」

周りを見渡しても、出口が見当たらない。

「ああ、何ということだ・・・」

親鸞聖人ご真筆『教行信証』証の巻を
お護りするため
猛火の中へ飛び込んだ本光房。
無事に証の巻を手にしたが、
脱出の術を失ってしまった。

「ああ、何ということだ・・・。
 もとよりこの場で
 我が命尽きようとも、覚悟の上。
 されど、されど、このお聖教、
 この御本典だけは
 お護り申し上げねば・・・
 上人さまとの誓いがたたぬ!
 どこかに逃れる術は、
 どこかに水は・・・!」

と、本光房は腕から
血が流れているのに気付いた。

「血だ・・・。そうだ、この血だ。
 この血によって、
 この御本典、お護り申し上げるのだ
 もう、それしかない!」

と、腰から短刀を引き抜いた。

「蓮如上人さま、
 多生にもお会いできぬ上人さまに、
 今生で会わせていただいた本光房。
 本当に、本当に幸せ者でございました。
 やがて散り行く露の命、
 護法のためならこの本光房、
 大本望でございます」

短刀を自分の腹に向ける。

「お許しくださいませ、
 上人さま、お先にお浄土へ・・・
 失礼いたしますっ!!」

と、一気に腹を十文字に切り立て、
奥深く証の巻を埋め込んだ。

「南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」

翌朝、吉崎御坊を焼き尽くした猛火も、
ようやく収まり始めた。

人々は火を分けて本光房の姿を必死で探した。

すると、一人が
「ほ、本光房だ!了顕殿が!」

蓮如上人はすぐさま駆け寄られ、
自ら、焼け残った畳と共に
本光房の屍をかき出し、
残り火を消された。

その姿は、右の手に刀を抜き持ち、
左の手は腹を抱え、
両眼は見開いていた。

「お、おお・・・本光房!我が過ちで、
 そなたをこんなことに・・・
 許せ、許せよ、本光房。
 許してくれ・・・
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏」

と、法敬が本光房の屍に目をやると、

「しょ、上人さま。
 腹が、本光房の腹が切れておりまする!」

「な、なんと!」

見ると、ハラワタを掴み出し、
お聖教を奥深く差し入れ
抱えていたのだ。

「上人さま、ここにお聖教が・・・」

「おお、本光房、けなげであった。
 よくぞ、この蓮如の果たさねばならぬことを・・・
 本光房、よくぞここまで・・・」

蓮如上人は、涙ながらに本光房の顔を撫で、
見開いたままの両眼を、
優しく閉じられたのである。

「本光房、そなたこそ、
 そなたこそまことの仏法者!
 そなたの選んだ決死の報恩、
 われら親鸞学徒の鑑じゃ。
 永久に、全人類の明闇を晴らす、
 灯炬(とうこ)になるであろう・・・
 南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏・・・」

「如来大悲の恩徳は
 身を粉にしても報ずべし
 師主知識の恩徳も
 骨を砕きても謝すべし」
  (恩徳讃)

まさに、恩徳讃そのままを体で示した、
本光房了顕の殉教であった。

かくて吉崎御坊は焼失したが、
親鸞聖人直筆の『教行信証』6巻は
護り抜かれたのである。

この時の証の巻は
「血染めの聖教」とも
「腹籠(ごも)りのお聖教」
とも呼ばれ、今に厳存している。

蓮如上人のもとには、
本光房了顕のような、
真実を知り、真実に生かされた、
多くの若き親鸞学徒が参集し、
布教最前線で活躍していたのである。





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