بسم الله الرحمان الرحيم
السلام عليكم
イードの礼拝はイスラームに強く奨励され重要な伝統的なものです。アッラーのみ使いは決してイードの礼拝を怠りませんでした。また彼がムスリム男性のみならず、女性や子供たちもイードの場所に赴くように命じられたと伝えられています。
生理中の女性さえイードの会場に赴くように激励されています。ただし、礼拝する実際の所からは離れていなければなりません。
イードの礼拝前にすること
グスル(沐浴)を行い、最も美しい衣服を着用し、持っているものの中で一番いい香水を(香水に関しては女性には適用されません)することが、高く推奨されています。アッラーのみ使いはそうなさったと言われています。伝統的にはイード=ル=フィトル(断食明け祭)の際にはデーツなど何かを食べて出かけ、’イード=ル=アドハー(犠牲祭)には何も食べずに出かけます。
時間:
イード=ル=アドハーの際には太陽が地平から2メートル(7フィート)ほど上った頃に、またイード=ル=フィトルでは3メートル(10フィート)ほど上った頃の時間に行われます。正午を過ぎたら、イードの礼拝とは、言えません。(注:金曜日の集団礼拝をした者はそれがズフルの礼拝に相当しますが、イードの礼拝はズフルの礼拝とは別に行われる礼拝です。礼拝に間に合わなかった場合は、カダーの対象にはなりません。もしウドゥーをすることで礼拝を逃してしまう惧れのある場合、タヤンムムの適用が認められています。)
場所:
イードの礼拝は、雨や悪天候といった障害がないのなら、戸外か広い場所で行われるほうが望ましい。アッラーのみ使いは雨という理由でモスクで一度行った以外はモスクではイードの礼拝をされませんでした。
アザーンもイカーマもない:
イードの礼拝にはアザーンもイカーマもありません。
’イードの礼拝の仕方:
イードの礼拝は始めのラカーでは7回、2つめのラカーでは5回、計12回のタクビール(アッラーフ アクバル)が伴われた2ラカーから成っています。始めのラカーではタクビーラト=ル=イフラームのすぐあとに、タクビールが唱えられる度ごとに合計7回両手を挙げます。7回のタクビールが済んだら、いつもの礼拝と同じやり方で行います。2つめのラカーの始めには5回のタクビールが唱えられ同様にその都度、両手を挙げます。(注:ハナフィーの場合2回めのラカーではルクーの前にタクビールが唱えられます)タクビールの間に唱える特別なドゥアーはありませんが、こう唱えてみてください。
スブハーナッラーヒ ワ=ル ハムド リ=ッ=ラーヒ
ワ ラー イラーハ イッラ=ッ=ラーフ、 ワ=ッ=ラーフ アクバル
イードの挨拶は
「イード ムバーラク! ワ クッル ’アーミン ワ アントゥム ビ=ハイル」
「イード ムバーラク! ワ クッル ’アーミン ワ アントゥム イラ=ッ=ラーヒ アクラブ ワ アラー ター’アティヒ アドゥワム」(毎年、貴方がたが、アッラーヘより近づき、またアッラーヘの恭順が永く続きますように)
クトバ:
礼拝を行った後に、イマームは、金曜日の集団礼拝のようにクトバ(説話)をすることになっています。イマーム・ナワーイをはじめ何人かの学者は、イードのクトバはその中間に座って、クトバを二つに分けるようなことはしないものだと言っています。
家に戻る:
礼拝から自宅へ戻るときには、行くときとは違った道順にするよう推奨されています。
タクビール:
(a)礼拝に赴くときに、また会場でイマームを待つ間、(b)ズル・ヒッジャの9日目、アラファの日にファジュルの礼拝から始まり、ズル・ヒッジャの13日目、タシュリークの日のアスルの礼拝までのすべての集団の礼拝において、巡礼者においては、ズル・ヒッジャの10日目ナハルの日のズフルの礼拝からはじめます。以下を大声で繰り返し唱えることが推奨されています。
アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、ラー イラーハ イッラ=ッ=ラーフ、
アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル ワ リ=ッ=ラーヒ=ル=ハムド
’イード=ル=アドハには(a)と(b)の両方の場合が当てはまります。
ザカート=ル=フィトル:
ザカート=ル=フィトルは男性や女性で、大人であろうと子供であろうと全てのムスリムに課せられた義務行為です。それはイードの礼拝前に分配されるべきで、ザカート=ル=フィトルはサウム(断食)を清め、かつ誰もその日に空腹にならないように、金持ちであれ、貧者であれ、ムスリム社会の中の誰もが同様に幸せに楽しくいられるようにという意味を持っています。それはいわゆる、イスラームの社会が広い範囲において公正であるという、素晴らしい一例でもあります。
犠牲:
イード=ル=アドハにおけるウドヒヤ(犠牲の)は伝統的に強く奨励されています。それはムスリムがアッラーに傾倒し、従順な僕で、アッラーの道においては彼の生命さえ、犠牲にする用意が常にできているということを現しています。ウドヒヤは全能なるアッラーの命に従うべく自らの息子イスマーイールを犠牲にし、アッラーに奉げようとした預言者イブラーヒームを思い出し、それに倣うものです。
下記は犠牲()の主な留意点です:
i)ビスミッラーヒ アッラーフ アクバルとアッラーの御名を、屠る前に唱えられなければなりません。
ii) ウドヒヤはイードの礼拝前には屠ることはできません。イードの礼拝直後もしくはイードより3日以内(ズル・ヒッジャ月の11/12/13日)に行われなければなりません。
iii) ウドヒヤはヤギ、羊、雌牛、雄牛、水牛あるいは雌か雄のラクダのいずれかで行われます。妊娠中の雌を屠ることはできません。雌牛、雄牛、水牛、らくだの場合は、7人で一頭を分け与えることができます。
iv) 屠られた動物の肉は3つに分けられることになっています。3分の1は貧しい人に分け与えることが必要とされています。3分の1は友達と親類に分け与え、残りの、3分の1は自分自身に。
v) 犠牲のを行うつもりの人が、ズル・ヒッジャの新月が確認された一日めから犠牲のまでの間、髪を切らない、ヒゲをそらない、体の毛をそらない、爪を切らないことはスンナ(一部の学者はワージブとも言っています)(サヒーフムスリム)
注:英語版ではスンナと書かれていますが、私の先生(ハナフィーの’アーリマ)はムスタハブだと言われました。アッラーフ アアラム
イードの日を楽しむこと:
イスラームでは、合法的な楽しみで人生を満喫するよう勧めています。喜びと同胞愛の精神が明らかになるイードの日は特にです。したがってイスラームは、その体力的な能力と共に人間の精神的な強い願望も養います。
この日に、自分も妻も子供も兄弟姉妹たち同胞も、全ての人たちが、満足するべき日です。アッラーへの信仰の確かさから真の同胞との結束と強めるためにも、プレゼントを贈り合い、互いに微笑み合い、心からの愛情やを示して、互いの関心を見せてください。全てのムスリムはお互いに対して、心の底から兄弟としての感情を大切にし、陰口を言うことや他人を非難すること、ムスリム社会の混乱を引き起こすことは避けるべきです。’イードとは自らの心を清めるために、アッラーの象徴を称え、アッラーの印に従うべきときなのです。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام
السلام عليكم
イードの礼拝はイスラームに強く奨励され重要な伝統的なものです。アッラーのみ使いは決してイードの礼拝を怠りませんでした。また彼がムスリム男性のみならず、女性や子供たちもイードの場所に赴くように命じられたと伝えられています。
生理中の女性さえイードの会場に赴くように激励されています。ただし、礼拝する実際の所からは離れていなければなりません。
イードの礼拝前にすること
グスル(沐浴)を行い、最も美しい衣服を着用し、持っているものの中で一番いい香水を(香水に関しては女性には適用されません)することが、高く推奨されています。アッラーのみ使いはそうなさったと言われています。伝統的にはイード=ル=フィトル(断食明け祭)の際にはデーツなど何かを食べて出かけ、’イード=ル=アドハー(犠牲祭)には何も食べずに出かけます。
時間:
イード=ル=アドハーの際には太陽が地平から2メートル(7フィート)ほど上った頃に、またイード=ル=フィトルでは3メートル(10フィート)ほど上った頃の時間に行われます。正午を過ぎたら、イードの礼拝とは、言えません。(注:金曜日の集団礼拝をした者はそれがズフルの礼拝に相当しますが、イードの礼拝はズフルの礼拝とは別に行われる礼拝です。礼拝に間に合わなかった場合は、カダーの対象にはなりません。もしウドゥーをすることで礼拝を逃してしまう惧れのある場合、タヤンムムの適用が認められています。)
場所:
イードの礼拝は、雨や悪天候といった障害がないのなら、戸外か広い場所で行われるほうが望ましい。アッラーのみ使いは雨という理由でモスクで一度行った以外はモスクではイードの礼拝をされませんでした。
アザーンもイカーマもない:
イードの礼拝にはアザーンもイカーマもありません。
’イードの礼拝の仕方:
イードの礼拝は始めのラカーでは7回、2つめのラカーでは5回、計12回のタクビール(アッラーフ アクバル)が伴われた2ラカーから成っています。始めのラカーではタクビーラト=ル=イフラームのすぐあとに、タクビールが唱えられる度ごとに合計7回両手を挙げます。7回のタクビールが済んだら、いつもの礼拝と同じやり方で行います。2つめのラカーの始めには5回のタクビールが唱えられ同様にその都度、両手を挙げます。(注:ハナフィーの場合2回めのラカーではルクーの前にタクビールが唱えられます)タクビールの間に唱える特別なドゥアーはありませんが、こう唱えてみてください。
スブハーナッラーヒ ワ=ル ハムド リ=ッ=ラーヒ
ワ ラー イラーハ イッラ=ッ=ラーフ、 ワ=ッ=ラーフ アクバル
イードの挨拶は
「イード ムバーラク! ワ クッル ’アーミン ワ アントゥム ビ=ハイル」
「イード ムバーラク! ワ クッル ’アーミン ワ アントゥム イラ=ッ=ラーヒ アクラブ ワ アラー ター’アティヒ アドゥワム」(毎年、貴方がたが、アッラーヘより近づき、またアッラーヘの恭順が永く続きますように)
クトバ:
礼拝を行った後に、イマームは、金曜日の集団礼拝のようにクトバ(説話)をすることになっています。イマーム・ナワーイをはじめ何人かの学者は、イードのクトバはその中間に座って、クトバを二つに分けるようなことはしないものだと言っています。
家に戻る:
礼拝から自宅へ戻るときには、行くときとは違った道順にするよう推奨されています。
タクビール:
(a)礼拝に赴くときに、また会場でイマームを待つ間、(b)ズル・ヒッジャの9日目、アラファの日にファジュルの礼拝から始まり、ズル・ヒッジャの13日目、タシュリークの日のアスルの礼拝までのすべての集団の礼拝において、巡礼者においては、ズル・ヒッジャの10日目ナハルの日のズフルの礼拝からはじめます。以下を大声で繰り返し唱えることが推奨されています。
アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル、ラー イラーハ イッラ=ッ=ラーフ、
アッラーフ アクバル、アッラーフ アクバル ワ リ=ッ=ラーヒ=ル=ハムド
’イード=ル=アドハには(a)と(b)の両方の場合が当てはまります。
ザカート=ル=フィトル:
ザカート=ル=フィトルは男性や女性で、大人であろうと子供であろうと全てのムスリムに課せられた義務行為です。それはイードの礼拝前に分配されるべきで、ザカート=ル=フィトルはサウム(断食)を清め、かつ誰もその日に空腹にならないように、金持ちであれ、貧者であれ、ムスリム社会の中の誰もが同様に幸せに楽しくいられるようにという意味を持っています。それはいわゆる、イスラームの社会が広い範囲において公正であるという、素晴らしい一例でもあります。
犠牲:
イード=ル=アドハにおけるウドヒヤ(犠牲の)は伝統的に強く奨励されています。それはムスリムがアッラーに傾倒し、従順な僕で、アッラーの道においては彼の生命さえ、犠牲にする用意が常にできているということを現しています。ウドヒヤは全能なるアッラーの命に従うべく自らの息子イスマーイールを犠牲にし、アッラーに奉げようとした預言者イブラーヒームを思い出し、それに倣うものです。
下記は犠牲()の主な留意点です:
i)ビスミッラーヒ アッラーフ アクバルとアッラーの御名を、屠る前に唱えられなければなりません。
ii) ウドヒヤはイードの礼拝前には屠ることはできません。イードの礼拝直後もしくはイードより3日以内(ズル・ヒッジャ月の11/12/13日)に行われなければなりません。
iii) ウドヒヤはヤギ、羊、雌牛、雄牛、水牛あるいは雌か雄のラクダのいずれかで行われます。妊娠中の雌を屠ることはできません。雌牛、雄牛、水牛、らくだの場合は、7人で一頭を分け与えることができます。
iv) 屠られた動物の肉は3つに分けられることになっています。3分の1は貧しい人に分け与えることが必要とされています。3分の1は友達と親類に分け与え、残りの、3分の1は自分自身に。
v) 犠牲のを行うつもりの人が、ズル・ヒッジャの新月が確認された一日めから犠牲のまでの間、髪を切らない、ヒゲをそらない、体の毛をそらない、爪を切らないことはスンナ(一部の学者はワージブとも言っています)(サヒーフムスリム)
注:英語版ではスンナと書かれていますが、私の先生(ハナフィーの’アーリマ)はムスタハブだと言われました。アッラーフ アアラム
イードの日を楽しむこと:
イスラームでは、合法的な楽しみで人生を満喫するよう勧めています。喜びと同胞愛の精神が明らかになるイードの日は特にです。したがってイスラームは、その体力的な能力と共に人間の精神的な強い願望も養います。
この日に、自分も妻も子供も兄弟姉妹たち同胞も、全ての人たちが、満足するべき日です。アッラーへの信仰の確かさから真の同胞との結束と強めるためにも、プレゼントを贈り合い、互いに微笑み合い、心からの愛情やを示して、互いの関心を見せてください。全てのムスリムはお互いに対して、心の底から兄弟としての感情を大切にし、陰口を言うことや他人を非難すること、ムスリム社会の混乱を引き起こすことは避けるべきです。’イードとは自らの心を清めるために、アッラーの象徴を称え、アッラーの印に従うべきときなのです。
アッラーのご加護と祝福がありますように
والسلام