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満月通信

「満月(バドル)」とは「美しくて目立つこと」心(カリブ)も美しくなるような交流の場になるといいですね。

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)③

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

ヤスリブヘの旅も無事平穏ではなかった。マッカの町を出て閻もなくラクダが北に向かってはぐれ、一隊と離れてしまった。
クライシュの嫌がらせが追いかけてきた。マッカで預言者を悩ませてきた一人、アルフワイルス・イブン・ナキーズが現れてふたりにまつわりつき、ラクダを刺して驚したために、ふたりは砂上に投げ出されてしまった。

ファーティマはその頃、細く弱い身体であった。成長期に遭遇した数々の苦難の出来事ゆえに体の発育が遅れてしまったのだろう。囲いの苦しい生活は彼女の健康に影響し、精神的には強くなっていったが身体は丈夫とはいえなかった。
アルフワイルスがラクダを突ついたため、砂漠の奥地に投げ出された二人は残りの道を足を引きずり歩かねばならなかった。マディーナに到着したときの二人はぐったりと疲れ果てていた。マディーナの皆がアルフワイルスを呪った。
何年か過ぎた後も、父・預言者はこのときの出来事を忘れずにいた。
ヒジュラ歴八年、マッカ征服の大勝利の日に、預言者が次の者は、もしカアバの覆いの下に隠れたとしても見つけ出したら殺せと命じて詠み上げた名簿の中にアルフワイルスの名があった。

アリー・イブン・アブーターリブはアルフヮイルスヘの復讐に使命を燃やし、使命を全うした。
預言者はマディーナで住まいとマスジドが完成されるまでの間、愛用のラクダ・カスワーが歩みを止めた場所-アンサールのアブーアイユーブの館-に滞在した。
この館はアブーアイユーブが死んでから、その使用人アフラフのものとなっていたので、アルムギーラ・イブン・アブドッラハマーン・イブン・ハーリス・イブン・ヒシャームが千ディルハムで買い求め、修繕して町の貧しい人びとを何人か住まわせていた。

預言者は住まいとマスジドの建立に精出して働いた。ムハージルたちもアンサールもそれに刺激されて、こう歌いながら競って仕事に励むのだった。

「預言者が精を出し、我々が坐っていられようか。
 とんでもないこと、そんなことは出来ないさ」
 ムスリムたちがそれに応えて歌う。
 「来世の幸せなくして、何の人生ぞ。
 アッラーよ、ムハージルとアンサールに慈愛を垂れ給え」

話では、そのとき使徒は重い日干しフンガの荷を運んできたアンマール・イブン・ヤーセルの頭髪にかかった埃をその手で払っていたという。

アリー・イブン・アブーターリブが声を張り上げて歌うのが聴かれた。
 「立って坐って働いて、
 マスジド建立に尽す仲間には、
 埃まみれが相応しい(埃から遠ざかろうとする者は神の御前で平等には扱われない)・・・」

ひき継いでアンマールがこの歌をマスジド完成の日まで歌い続けたという。

新しい住まいは立派な城ではなかった。マスジドの中庭に面した質素な長屋風の建物であった。ある家は石を積み上げて築いたもの、またある家はシュロの木を粘土で固定して作られた。どの家もシュロの葉で屋根が葺いてあった。

その高さは預言者の孫であるファーティマの息子ハサン・イブン・アリーが語ったところに拠ると・・・
「預言者の家に入ると、私はまだ十代の少年であったけど、手が天井に届いた・・・」

アルブハーリーのハディース集には・・・預言者の家の戸は爪でひっ掻いただけで開いてしまう、すなわちドアの周囲に縁がないのだ!・・・とある。

家具もまた、その当時のマディーナの暮らしにしてもかなり粗末で簡素なものであった。
彼のベッドはりーフが敷かれただけの紙切れであった。

この質素な新しい住まいにファーティマがマッカからやって来た。
そして今や指導者として尊敬される地位を得た父と安住したムハージルたちに会った。
異郷での淋しい生活を慰め合いお互いに助け合おうと、アンサールとムハージルたちのそれぞれが兄弟となった。
この兄弟の契りはファーティマがマッカから移り住む前に行なわれたものだった。
仮にそのとき彼女がそこに居合わせたとしても、父が教友たちにこう言ったのを少しも不思議と思わず受けとめていたことだろう。
「それぞれ信仰上の兄弟となりなさい」そしてアリーの手を取って言った。
「これは私の兄弟……」 そしてジャアファル(そのときまだハパシャにいた)のためにムアーズ・イブン・ジャバルを、アブーバクルにはハーリジャ・イブン・ズバイル・アルハズラジーを、オマル・イブン・アルハックーブにはイトバーン・イブン・マーリク・アルアウワィーを、アブーオバイダ・イブン・アルジャラーフにはサイード・イブン・ムアーズを、そしてオスマーン・イブン・アッファーンにはアウス・イブン・サービトを、そしてズハイル・イブン・アルアッワームにはサラマ・イブン・サラーマを・・・のようにしてムハージルたちにはそれぞれ兄弟ができた。

アリー・イブン・アブークーリブは預言者の兄弟となったのだ!

また遠からず、我々はこのアリーが兄弟となった預言者の最愛の娘の夫となって、より深い絆で結ばれたのを知ることになる。

当時ファーティマは十八歳になろうとしていたが、彼女にまだ結婚の意志はなかった。
その昔最愛の姉ザイナプが幼ない自分を残してアブールアースの家に嫁いで行ってしまった日の感傷から影響を受けた点は見逃せない。すでに年月が径ち、幼ない少女は大人に成長し、結婚の意義を知った。
ハディージャも、ザイナブも、そしてルカイヤもウンムクルスームも、すべての女が心に留めたようにこの自然の仕組みを受け入れる準備は彼女にも自然と出来ていた。

新しい住まいに移ってから、従兄のアリーが今まで以上に身近な人と感じられるようになった。
アリーが父・預言者と常に一緒に行動しながら、言葉に出さず胸にしまってある想いを彼女は感じとった。
ファーティマには従兄の胸の中の秘密が読みとれた。適齢期を迎えて以来彼女は自分の心の呼びかけを聴いている。
アリーは自分に関心を持ち、自分以外の誰をも念頭に置いていないのだと・・・。

アリーは彼女の一番身近な人、最も頼りになる人であった。彼は同胞以上の人、血のつながった従兄である・・・クライシュの青年の中でも勇気と知性、意志の強さは秀でており、誰よりも早くイスラームに帰依した預言者に一番近い教友である。

しかしながら彼女の心の扉は他の男性にも開かれなかったように、アリーに対しても閉じられていた。
最愛の父の傍らで暮らすこと、父の家における自分の役割に固執していただめかもしれない。
彼女は母ハディージャ亡き後の家庭を守る主婦であると、いつも英雄を励まし労わった亡き母の跡を継ぐ者であると、自負していた。そのためファーティマには『父親のお母さん』の呼称がつけられたほどだ。

実にこれ以上の名誉な立場があるだろうか!だが、一体いつまで・・・?

これはフアーティマが考えてもみないことであった。否、考えたことはあったかもしれない。
しかし、いつか先行き将来に迎える出来事として気に掛けなかった。
今現在の自分の立場を疎かにしたくなかったからであった。

妻として主婦としてアーイシャ・ビント・アブーバクルがムハンマドの家庭に入ってくると、ファーティマは好むと好まざるとに拘らず父の家を出る時が来たと悟ることになった。若く美しく賢い妻に主婦の座を明け渡すためであった!


إن شاء الله
続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)②

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

彼の部族であるクライシュの人びとへの呼びかけに始まり、血筋を共にする一門のマナーワの人びと、そして叔父・叔母であるアッバースとサフィーヤ、そして最後に娘ファーティマの名があげられた。
父はこの尊い教訓の讐えに彼女の名を採り上げた。そしてこの教訓は彼女の名で締めくくられた。
ムハンマドが最も大切に思う娘のファーティマにさえ何もしてあげることが出来ないなら、一体誰を-否、誰であろうとも-神の定めから救うことが出来ようか?
サヒーフ(公認の伝承)に拠ると、預言者はこう言った・・・
「ファーティマは私の一部。彼女を苦しめることは私を苦しめること、彼女を恐れさせることは私を恐れさせる・・・」
「この世に生きた最も良き四人の女性、マリヤム(聖母マリア)、アーシア(幼ないモーゼを救い育てたファラオの妻)、ハディージャ、そしてファーティマ」
「神はあなた(ファーティマ)が満足なら満足なさる。あなたが怒れば、それに対してお怒りになる・・・」

イブン・ジャリージュの話では・・・
「彼は私に何度か話してくれた。ファーティマは預言者の末娘で彼が一番愛した娘だと」

先に一部の東洋学者が使徒伝やハディース集に満載された預言者の娘ファーティマに寄せる愛情物語について批判し、これらの話はシーア派の教義が発展していった段階でイスラーム史上に大きな反響をねらって創り上げられた話だと主張したと述べたが、この件でラーマンスはこう言った。
「ムスリム史家たちはファーティマのことは初め念頭に入れなかった。しかしイスラームにシーア派の思想が浸透してくると彼女に関心が集まった。彼女の姉たちについては相変わらず何も書かれなかったが、ファーティマに関しては時代を遡り、ハディースに様々な物語が加えられた」

ムスリムのオマル・アブールナセル氏がラーマンスの主張にこう反論している。

「使徒伝の著者たちがファーティマについて、またその姉妹の預言者の娘たちについて記さなかったのは彼らがイスラームや預言者の教えを重点的に書き残そうとしたためであって、イスラームの教義や発展そのものは預言者の娘たちと直接に関係ないからである。特に娘たちが聖戦に加わって目覚しい戦績を残したわけではないし、預言者の打ち出した政策やシャリーア(聖法)においても、著者が詳細に彼女たちの記録を残さればならぬほど重要な存在ではなかったのだ。よって自然に大事と思われた事柄以外に彼女たちにまつわる記事は残されてないのである」

だがこの応答ではラーマンスの主張を覆すことにはならない。氏はこう応じるべきであった・・・、
まずファーティマが『父親のお母さん』と呼ばれたほどに預言者の愛と信頼を得ていた件については、
これは初期の口承の時代を代表する人びとや、使徒伝の研究者や創教時代の歴史家たちの、預言者・教友たちの時代までの正統なイスナードを持つ信頼のおける記録から採って、今日の我々た伝えている話なのだと。

これらの古い文献は各時代の代表的な学者・批評家たちが引き継いで研究を重ね、正統な理論に基いて編集された信憑性の高い史料である。内容的にも、イスナードの点からも、信憑性の十分高いもので、この根拠に欠けた主張への応答として、これ以上付け加える必要はあるまい。意固地な東洋学者のグループに示そうか『首飾りの話』で使徒が「私の一番好きな人に・・・」と言いながら、孫娘のウマーマ・ビント・アプールアースに首飾りをかけてあげた話を・・・。
このハディースには誰も文句をつけなかったのに、実の娘ファーティマヘの愛についてはあらゆる記録と史実を結んでいる糸を断ち切ろうとする。そして、おかしなことに同じ出典の物語であるのに、彼らは首飾りの話は信頼できるものとして鵜呑みにし、ファーティマ夫人にまつわる話には疑いを持ってかかる。

彼らが冷静に理性的に見たならば、首飾りの話は母のザイナブ夫人を亡くした幼ない孫娘を不胴に想う預言者の優しい同情の気持が表われた話としてみたことだろう。預言者はいつも家族や身近かな女たちのことを心に掛けていたのだと・・・。そして別の折に錦織りの布地が贈られてきたときに、アリーにこう言っている、預言者を発見できたことだろう。
「ファー・ァィマたちに分けてあげなさい」そこでアリーは布地を四等分して、その一枚をファーティマ・ビント・ムハンマドに、二枚目をファーティマ・ビント・アサド(アブーターリブの妻で、アリー、ジャアファル、オカイル兄弟の母) に、三枚目をファーティマ・ビント・ハムザに、そして四枚目をファーティマ・ビント・アブーターリブ (ウンムハーニー) に与えた。
別のハディースでファーティマ・ビント・シャイバ(オカイル・イプン・アブーターリブの妻)に与えたとも言われているが

では、どうしてファーティマは父親にこんなに大切にされたのだろう。

これはファーティマについて書こうとする者に必ず問われる問題点である。
それなのに一部の東洋学者はムハンマドのファーティマに寄せる深い愛を記す物語は、その死後に生まれたシーア派の創作物語だなどと勝手にいとも簡単に片づけている。だが、あまり驚きもするまい。
このようにイスラームの史実を勝手にねじ曲げて独断の色に染めたとしても、我々はそれを非難したりはしない。
彼らも人の子、独断と偏見からは逃れられまい。
ただ残念に思うのは彼らが研究に十分な努力と熱意を持たなかったことだ。この二つは良き研究成果を産むために必要であった。たとえ偏見の誤ちを含んでいたとしてもである。

誠実な研究者は即座にてっとり早く採り上げるなどということはしない。
深く見据えて遠く成果を求めて行こうとするはずである。
預言者の四番目の娘への愛も、男性優位の当時のアラブの社会的背景と結んで考えてみようとすることだろう。
恐らくファーティマへの愛には、三人姉妹に続いて誕生した女児として周囲から望まれずに迎えられた者に対するムハンマドの深い同情の心が秘められていたのであろう。この点も見逃してはなるまい。

ムハンマドはその大きく温かい父性と人間性ゆえに、望まれずに迎えられたこの娘に十分な愛情を注ぐことが出来た。
また彼女が望まれぬ誕生であったなど夢にも思うことなく過ごせるよう、大きな愛情で包み込むことが出来た。
我々母親の身であっても二番目も女児、三番目も女児の誕生を迎えたときには、深い母性愛を試みられるではないか。
それでは愛しい父であり、使徒として選ばれ送られた者の立場はどうであったのだろう。
彼のような人は必ずやその娘から『四番目も女の子』の暗い誕生の陰を払い除けようとするだろう。
だからファーティマの特別な存在は他の三人の姉妹たちへの父の愛情を失なわせるようなものではなかったのだ。
父の愛を一身に受けたファーティマの幸運は三人の姉妹を失った後に倍増したものと思われる。
さらにハサンフセインの二人の息子を産むと、たった一人残った末娘に授かった二人の息子のみが子孫となったことからも、より一層深く大きく愛されたのだろう!

ファーティマはハディージャ夫人のもとへ飛んで行って告げたことだろう。
「ほんとうに、私はこの上なく幸せなの! この胸に入りきれない程の喜びよ! だって、お父様が人びとの前でこう呼びかけたのですもの。皆々よ、自分の心を買いなさい。誰も神の定めに対しては何も出来ない。ファーティマ・ビント・ムハンマドのためであっても、父・預言者は何もしてあげられないのだ。彼女に信仰する心がないのなら・・・」

彼女は神を信じ、その預言者・使徒を信じた。そして自分の人生を来世のために、永遠の幸福を買うために捧げようと決めた。

温かい優しい手で母は小さな娘の額をなで、静かにつぶやくのだった。
「私は今日・明日とも知れない命、そして充分な人生だった・・・。
姉たちザイナブとルカイヤの二人は良き夫のもとで暮らして私は安心。ウンムクルスームはすでに大きいし経験もあってもう大丈夫でしょう。でもファーティマよ、あなたはこんな幼ない時期から、こうやって苦労を覚悟の人生に向かうのですね・・・」

偉大な父の任務を思い、ファーティマはこう答えた。
「安心して下さい。私のことは少しも心配要らないわ。クライシュの邪教徒がどんなに激しく弾圧しようとしても、そんな圧力にムスリマの心は乱されたりしないわ。ファーティマは預言者の一番深い愛を受ける幸運を望んでいるの。預言者への忠誠の心があるがら耐えられるのよ」

神は彼女の願いに応えられた。彼女の信仰心を厳しく試みられた。彼女を父親と共に歩ませた。
父親に投げかけられる惨禍を目のあたりに見せた。父親に従う人びとが受ける苦しみで彼女をも苦しませた。
猛暑の季節、彼らの上に置かれた焼けるほどの岩石の熱さ重さを、彼女もまた同じように感じていた。
クライシュが無力な下層の人びとの背に打ちおろす鞭の痛みを、彼女もその肌に感じていた。

ファーティマは父と共にアブーターリブの山麓谷へ移った。辛い囲いの生活に何年も耐えた。
囲いが解けてマッカに戻ってからは母ハディージャの死に会った。
マッカに居場所のなくなった父はヤスリブヘのがれた。その後を追って従兄のアリーが三日遅れで旅立った。
一足早く発った預言者に代わって、預言者のもとにあった人びとの預り物等の返却を済ませるためであった。

ファーティマとウンムクルスーム姉妹はマッカにとどまり、父の使いがヤスリブから迎えに来る日を待った。
そしてついにマッカのムハンマドの家の戸が閉められた。ヒジュラしたムスリムの家々の戸も閉められた。
そこにはもう誰も住む人々はいない・・・。


إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام

ファーティマ・ザハラー(ラディヤッラーフ アンハー)①

2007-06-23 | 預言者の娘たち
بسم الله الرحمان الرحيم

السلام عليكم

「預言者の娘たち」は現在在庫がなく、再販の予定も今のところないようなので、他のサイトで紹介されていたものがありましたので、こちらでも一部ご紹介します。


「父親のお母さん」と呼ばれた娘



彼女は男児を尊ぶ当時の社会環境にあって四番目の女児として誕生した。
創教の五年前であった。
以来、彼女は父に続いてイスラーム史上に輝かしく登場して後世にはかり知れない影響を残して逝った。

神は彼女の誕生を晴れある出来事に重ねられた。
それはカアバ再建の折、黒石を納める栄誉をめぐって仲間割れが生じていたのだが、その仲裁役にクライシュの人びとがムハンマドを選んだことであった。
この記念すべき日に重なった娘の誕生をムハンマドはことのほか大切に思い慶び祝った。
すでに女児三人が生まれた後で女児の誕生を祝うことなど、マッカではまず考えられないことであったろう。
幼少の時代は両親の深い愛に育まれ、優しい姉たちに甘えて幸福に過ごした。
ことに長女ザイナブは彼女の小さなもうひとりのお母さんであった。

ザイナブが従兄のアプールアースの家に嫁いで間もなく、ルカイヤとウンムクルスームがアブドルオッザー・イブン・アブドルムッタリブの息子たちと結婚し、相次いで姉妹たちが家を離れてしまった日々をファーティマは淋しい想いで過ごしていた。幼ない彼女には娘を両親や兄弟姉妹と引き離してしまう結婚というものの意義がよく理解できなかった。
このことは長く彼女の心に掛かっていて、無邪気な彼女の心の底に大きく跡を残してしまった。
さらに当時家族が遭遇した事態ゆえに、その跡は一層深く心に沈んでしまった・・・。
父は俗世界から身を遠ざけ、孤独な瞑想の世界に競った。
母もまた最愛の夫と同じ道を歩み、父が一緒のときは細かく気を配り、不在のときはその後を心で追う毎日であった。
三人の姉たちは新居に移って結婚生活を送っていたので、ファーティマはほとんどの時をひとりでいることが多かった。
彼女を独りぼっちにさせるこれらの出来事をあれこれと考えをめぐらして過ごすのだったが、それが自然と彼女の性格形成にも影響を及ぼした。

彼女は父が実の息子のように大事にした従兄のアリー・イブン・アブーターリプを兄とも友とも思い、特別な親しみを抱いてきた。アリーとは年齢が四歳程しか違わなかったので、自分が結婚についてあれこれ考えたことなど、とても気恥ずかしくて話題に出来なかったであろう。仮に話し合ってみたいと考えたとしても、とても彼女から口に出して話題にすることは出来なかったであろう。
そのうち定めの時が到来して、アラビア半島は揺れ動いた。ファーティマももはやあれこれ思いめぐらしてなどいられなくなった。夢見る少女は否応無しに目覚めねばならなかった。父に下された神の啓示に続いて、彼女の周辺でめまぐるしく様々な出来事が起きた。

彼女は五歳そこそこであったが、苦難に直面した自分を知った。
卑劣な偶像信仰者たちが新しい教えに対抗して巻き起こした嵐の真只中に立たされた自分を知った。

彼女は楽しい遊びの時間を失っても、何の苦労もなく過ごした幸せな日々がこのように急に消えうせてしまっても、泣き悲しんだりなどしなかった。彼女は喜んで幼年期を卒業した。ためらいなく友だちとの遊びから身を引いた。幼ない年齢であっても神に選ばれて使徒となった父への娘としての義務を自覚し、すすんで新しい人生を受け入れた。これから背負うべき重荷もわかった。抑圧された僅かな数の人びとのみを味方として、信仰以外に何の武器も持たずに、クライシュの全勢力に立ち向かう英雄たちの間に自分の人生を求めた。

もはや以前の独りぼっちの感情はなかった。
イスラームが自分と選ばれた父・預言者、信徒の母ハディージャ、ムスリマの同胞たちとを血縁よりも強くかたく結びつけていた。ムハンマドの家族は誰もがそれぞれの雑念を忘れて一つの宗教のもとに集まった。
唯一絶対なる神を敬い崇め、その至高の 神に祈りひれ伏し、神以外の何者をも畏れない・・・。

兄と慕うアリーがイスラームに最も早く帰依した三人のひとりであったことが彼女には嬉しかった。
ふたりが別々の宗教に従って暮らすことや、アリーなくしてイスラームの恩寵を受けることなど、彼女にはとても考えられないことであった。

彼女はハーシム宗の長老アブーターリブも、ぜひイスラームに帰依して欲しいと祈った。長老には父・預言者もこう言った。
「あなたこそ、私は心からこの忠告を伝え、神の導きに呼びかけたい人なのです。最もそれに相応しい方であり、それに応えて欲しい方です・・・」と。

彼女はまた姉の夫である従兄のアブールアースもぜひイスラームに入信して欲しいと願う。
いやハーシム家の人びと全員が入信してくれたらと順う。彼らは父の生家の人びと、同じ血でつながった親戚の人びとである。彼らと訣別することは何よりも辛いことにちがいない。まして戦い合うことなど、父には堪え難いことであろう。

しかしながら神は預言者の一族に苦しい試練を与えて試みられた。至大至高の尊い計らいから、選ばれた使徒を確固たる信念、揺るぎない信仰と献身の理想像に創り上げようとなさった。

また神はファーティマ・ビント・ムハンマドに大変な苦難の試みを与えられた上で、最も尊い愛を得る幸運を彼女に授けられた。幼ない頃から聖なる戦いの渦中を生き抜き、姉たちが皆、世を去ってしまった後も父と共に生きて、この英雄が天の使いに召されて逝くまでの一部始終を見届けたのだった。彼女はそれらの出来事すべてに相応しい人だった・・・。

遊び場から、友達からも離れて父の傍らに自分の身を置いた幼ない彼女は、父について家を出た。
クライシュの居住区の東へ西へ出向いて神の教えを伝道する父は、その度に低俗な嫌がらせや陰謀に出会う。

彼女は父のすぐ近くに立っていた。父はカアバに向かって進み、神殿の黒石に口づけした。すると彼を見つけた邪教徒たちが集団になって襲いかかって来た。彼をとり囲み、こう言らだ。「お前がこうこう言う奴か・・・?」

預言者が「そうだ。私がそう説いた者だ」と答えた。

ファーティマは気をしっかりと持った。彼女は男たちの一人が父の服の胸ぐらを掴んだのを見て足が竦んでしまった。
そのときアブバクルが立ち上がり、こう戒めた。

「神をアッラーと呼ぶ故にこの男を殺すつもりなのか?」

彼らは怒りに燃えた目で睨みつけた。そして彼の髭をひっ張り、頭を殴打すると去って行った。

ムハンマドはカアバを出て道を歩いた。近くを娘がついて歩いた。
道で出会う人びとは、自由人も奴隷も、彼をにせ預言者呼ばわりして罵倒を浴びせる。家に辿り着くまでにすっかり傷つき、疲れ果て、床に入ると毛布にくるまった。

ある日、彼女は父の近くに立って注意深く気を配っていた。
ハラム(カアバの周辺)で礼拝してひれ伏すと、そばに何人か多神教徒たちがいて、そのうちのオクバ・イブン・アブームイートがひれ伏した背中に汚れた動物の臓物の皮を投げた。娘が来てその皮を取り払いながら、卑劣な行為を罵ると、預言者は顔を上げ、こう言った。
「クライシュの面々、アブージャフル・イブン・ヒシャーム、オトバ・イブン・ラビーア、オクバ・イプン・アプームイート、それにウバイヤ・イブン・ハルフ、彼らの上に呪いあれ!」

多神教徒たちはその祈祷に恐れをなし、怒りに燃えた視線を投げつけた。預言者は礼拝を終えて家に帰った。娘ファーティマが後をついて行った。

その後何年も経ずして、ファーティマは父がこのときの祈祷の中で神に戒めを求めたこれらの人びとが、パドルの水場の周囲に殺され倒れているのを見た。

使徒がクライシュの人びとの問に出向いて伝道したある日のこと、ファーティマもやはりそこにいた。
それは『あなたの近親者に警告しなさい(クルアーン第二六章二一四節)』の神の御言葉が下された日であった。
「クライシュの人びとよ、神を信じ、善行にいそしみ徳を買いなさい。神の定め(懲罰)の前には私は無力で何もできない。アブドマナーフの子孫たちよ、私は神に代わってあなた方に何もしてあげられない。アドハース・イブン・アブドルムッタリブよ、私は神に代って、何もしてあげることができないのだ。叔母サフィーヤよ、私は何もしてあげられない。愛する娘ファーティマ・ビント・ムハンマドよ、私に出来ることなら何でもしてあげたい。だがあなたがいかに私に乞い願っても、私は神の定めの前には無力でどうすることもできないのだ・・・」

ファーティマの胸は打たれた。心の内で叫んだ。
「お父様、私はあなたと一緒に参ります・・・」

彼女は気をしっかりと持ち、華奢な体に徴笑みを浮かべて誇らしく人びとの中を歩いた。
父・預言者は姉妹の中から特に自分を選んで、いや家族の人びとの中から特に自分を選んで譬えとし、彼にとって最も身近かで大切な者であっても神を信じなければどうしてあげることも出来ないのだと人びとに伝えたかったのだと・・・。



إن شاء الله

続きます

アッラーのご加護と祝福がありますように

و السلام