言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

「いくさ」という言葉(6)

2010年03月17日 | Weblog
 旧陸軍の特攻出撃の代表的な基地であった知覧には「特攻平和会館」がある。
 旧海軍のそれは、現在も海上自衛隊の航空部隊基地である鹿屋基地内に資料館がある。

 十年程前の終戦記念日に知覧を訪れた時は、流石に沢山の人々であふれていた。九州を十日間掛けて回っていた私には偶々その日になっただけの事なのだが、一旦到ってみると正直なところ、ある種の感慨を覚えずには居られなかった。それだけに、館内の展示されてある遺書類に目を通すのに夢中になりすぎて閉館時間まで居てしまったくらいだ。感情移入が過ぎて覚えず全身で感じるかのような見入り方をした為に熱くなり過ぎて、館外に出た時には真夏の暑い空気に包まれているにも拘わらず重苦しさから解放されてホ~ッと深呼吸をしたのを思い出す。
 ところが、何故かその直後から何とも言えない違和感が湧いてきた。何なんだろう、この気分は?
 
 それは、その翌日訪れた鹿屋基地資料館で感じたのとは違うのだ。
 展示の多寡を言うのではない。数的には少ないのは確かだが、遺品があり、遺書がありと言う意味では等質である。
 鹿屋基地を飛び立った特攻機は北へと向かう。一旦は大隅半島の山塊が尽きようとする稜線部に向かって高度を上げつつ左へと旋回し、朝日を受けて煌めき始めた錦江湾の上空を飛ぶ。湾と深く碧い太平洋を分ける印のような秀麗な開聞岳はすぐである。
 今生の別れとしては美しい墓標と言えると胸に納めたのかも知れない。ふと、そんな想いが浮かぶ。如何にも具体的なというか現実的なというかそんな像が脳裏に描かれていったのである。

 再訪したのは二年前である。同じく夏。梅雨が明けた直後だった。
 熱っぽく焦れるようにして入館を急いだ気分はもう無かった。それは、既に見てしまったからという訳ではないのだ。何かの理由が道の途中から分かり掛けてきたからだ。
 ”これでもか”という様々な標識や表示やまるで神社の参道のような灯籠群などがそれだ。 
 “軍神”の集合地としての“平和”会館。全てはそれであった。提灯行列と歓呼の声。繰り返してはならないのはそれなのに、平和の名の下に鎧が見え隠れする。本当の平和とは何か。何によって保ち、維持し続けて行けるのか?
 感傷的な気分に浸り、感情的な気分の高まるのを排除し、過去の事実を出来るだけ客観的に判断し、今を将来をどのような社会を国家を築いていくのかが大切なのだ。
 多言を要しないだろう。是非とも二つとも訪れて日本の在り方の判断材料として欲しいと思うのだ。
 さて、来週になってしまったが、三度目の訪問には何思う自分であろうか?