言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

なにわの海の時空館(4)

2008年05月14日 | Weblog
この燈台は確か現存していたと思うのだが、自信はない。
 いつしか陸地の中に取り残されて、保存為にどうだこうだという記事を読んだ記憶がある。
 それにしても江戸時代、町中にのんびりと茶を飲んだり、用事も無くフラリフラリと出歩いている人達が大勢は居たはずもないのに妙な情景である。
 大阪歴史博物館に展示されているパノラマを再々見に行くのだが、流通経済の勃興気分が湧いてくるのは、もしかして古代に疲れてきたのかも知れないか?!
 西鶴全集も手放してしまったし、三上三次著の「江戸時代史」も失ってしまっている。「時代風俗考証事典」が残っているのは不幸中の幸いか。意外な風俗の有様に口が開きっぱなしと言う有り難い本である。
 昨日は、「岡本大八事件」を調べていて、思わず時間を過ごしてしまった。
 鎖国に至るあまりにも意外な事件の顛末は不可思議なとしか言いようがない。チョット小説に仕立ててみようという気がしないでもない。
 「壬申乱前夜」のように独り善がりの史実解釈は、自分でも疲れる割りに面白くないから、書く前の調査に時間を掛ける必要はありそうだ。
 と言っても、「大日本資料」は読まなければならないと考えるとかなりな負担は有るよな~(-_-)。

なにわの海の時空館(3)

2008年05月13日 | Weblog
元和偃武(げんなえんぶ)なってのちの頃からは兎も角、徳川家康・秀忠統治の時代である慶長・元和の期間は、意外にも海外にも国交を求めて門戸を開いていた事はあまり知られていない。キリシタン禁制の強烈な印象のせいかもしれないが。
 それでも、政権の奪取成るや否や一挙に鎖国へと傾斜し、明国と同様に排外的な鎖国のみで国家を保とうとするのでなかった事は驚きでもある。
 社会経済の面から、貨幣制度の統一と交通制度の整備として、早くから(豊臣政権が未だ余然を保っていた時から)後藤庄三郎を江戸に呼んで金座を開かせ、慶長6年に伏見には堺から大黒常是を呼んで銀座が開設されたが、駿府そして江戸へ移設されている。
 三貨制の基礎が成ったのはこれからである。
 そして、菱垣廻船が大坂~江戸を行き来し始める。海上幹線交通路が瀬戸内を中心としていた時代から東へと延びた瞬間なのだ。
 京都・大坂・江戸の三基幹の金融流通体系が始まった事は、同時に単なる都市と農村との分離である事だけでなく、巨大な非生産消費人口を養う為、農業生産者との媒介者としての商工業者を生み出すに至る要因となったのである。
 これが、「町人」の発生なのだ。
 それまでは町人という階級は存在しなかったのである。
 江戸時代という期間は様々なとらえ方が出来るのだが、僕が一番得心するのは一に「町人」なのだ。
 言うなれば、現在の中産階級意識は、この町人意識の延長線上にあるのではないかと思える位なのだ。
 そう考えて「時空館」の浪華丸を見ていると、その背後にある製造業流通業の発達の歴史が浮かんで見える気がしたのは当然だとは思いませんか?独り合点かな~?

なにわの海の時空館(2)

2008年05月12日 | Weblog
 如何にも幻想的な雰囲気がする通路である。
 この先に何があるんだろうとワクワクさせる効果は確かにある。
 満月に泳ぐ魚2匹はこの通路の天井にある丸窓である。

 菱垣廻船が時空館の主人公。
 あまり関心がなかっただけに、行ってビックリ見て感心してしまった。
 知的好奇心がムクムクと湧き上がって、先日の遠州灘を航海している気分になった。「菜の花の沖」を何度も読み返し、確かめるはめにもなったのだけれど。
 北前船ではないしても、叉わずか数百石と言えども、それはそれでこの眼で見てみると驚く程の迫力を感じた。思わず唸ってしまったのだから。
 架空の船「浪華丸」ではあっても、実際に航海をして試してあるという点でもまさに”本物”なのだ。模型ではなくて、実用に耐える本物の船である。
 船の梶は、小説にも文献にもあるとおり成る程「一枚」なのだ。見れば、成る程とても大きい!
 これは大変な労力を必要としたのは間違いない。二枚梶ならば作業が楽になると同時に、遭難する恐れもグッと減ったに違いないのに、新規停止という徳川時代の国是は合理性からは遠かった訳である。
 
 と言う事から考えても、柔軟な思考と弾力的な運用は、政府という守るという発想から出発する硬直的な組織にこそ求めたい事である訳だ。

大阪港・サンタマリア号(1)

2008年05月08日 | Weblog
 大型連休(NHKだけが言う)が小型になった黄金週間は、例のヘリ搭乗の為に予定が立てられず、結局は家計という都合もあって典型的な安近短で過ごした。
 混ぜご飯か、散らし寿司のようなごちゃ混ぜお楽しみだったのだが、思ったよりもキラキラぁモザイクの連日で随分と楽しめた。

 ヘリの翌日の火曜日は、大阪港のサンタマリア号始発に乗る事から始まった。地下鉄大阪港駅に降り立つと、時間的には未だ早いので朝マックを買い込んで、時々水平線に沈む夕陽を見る場所に座って出港時間を待っていた。
 朝からここに座る事は今まで無かったから新鮮気分である。岩場に似せた岸壁が妙に似合っている錯覚に陥って幻覚を覚えている内に船が入港着岸である。
 神戸方面の高速湾岸線の橋をくぐって、USJ桟橋からUターン、港内の住吉を巡るブーメラン航海が始まった。
 日本最大の「IKEA」が開店前の仕上げ工事をしているのが見えた。もうすぐ開店だそうである。

 で、その時に大柄長身の老白人夫婦の亭主が”何処から来たのですか?”と声を掛けてきた。
 ”何処から?”って、外国人の問いなど初めてである。そりゃ無いだろう(笑)。大阪だと答えても、”ン!?”。大阪に来ていて大阪に居てる事を認識していないらしい。
 仕方ないから、こちらも”どちらからお出でですか?”と。
 テキサスからさ。1ヶ月間日本に居るんだわ。これから、博多どんたく、長崎へいきますねん。東京から始まって京都へ行ったんだい。とさ( ̄ー ̄)。
 医者も付いてきていると言ってたから、病気抱えているのかと思ったが、それなら長いよな~!
 ”金持ちかい”とは訊くまでもないが、15歳から働き始めて45年間小麦やトウモロコシ関連の仕事を続けたという。その後に12年間勉強してドクターコースまで行ったとか。
 おまけにオタクさん達もアメリカ見物は如何?と来たよ。
 行きたくないわい!そんな余裕があるかよ(ノ∀`)、とんでもない。
 内のカミさんは素早く、老婦人の手に輝くデッカイダイヤモンドの指輪をチェックしてたそうだが、ヨタヨタしながらも余裕の生活である事は確かだよな~。
 ところが、そのお陰で航海中の後半部分が話しに集中してたせいで、港の景色がまるで記憶にない(T_T)。
 何だか損した気分で、カミさんは”良いご旅行を!”僕は、”楽しい一日を!”
 世界中を回ったけれど、上海と日本が素晴らしいと言ってましたわ。
 そりゃそうだろう!

なにわの海の時空館(1)

2008年05月08日 | Weblog
 地下鉄コスモスクエアー駅は、今までは単なる乗り換えの駅に過ぎないと思っていた。
 だって、モノレール線になってるのは採算が取れない路線だからと。
 「インテックス大阪」へと2駅しかない区間乗るだけだったから。
 インテックス大阪!
 IT事業で希望があった頃は、ここのブース開設して、二次元コードの夢を描いていたからね~。今は空中分解した「天満クラブ」仲間が居ましたなぁ。
 その後に起業したりして華やかな時代でした。すっごい赤字で僕だけ大損をして撤退しましたが…。
 
 話が逸れましたな(^_^;)。
 気にはなってたこの「時空館」、コスモスクエアーから歩いていけるとは知らなかった。それも岸壁の素敵な散歩道になっているとも。
 本館は、地下通路で結ばれた海の中にある。
 江戸時代の文銭に似せたコインを入れて入場するという凝りようである。エレベーターで地下に降り、幻想的なボンヤリと青い照明に浮き上がる通路。海底トンネルなのだ。
 その証拠に上を見上げれば真ん丸な月が浮かんでいる。
 オット違った、取り付けられた上部窓なのだが、ぽっかり浮かんだ満月のようなのだ。
 月の泳ぐ魚!