言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

断念した一コマ

2018年08月28日 | Weblog

 参加を決めたものの、体調を見極めながらと思ってた総合火力演習は、結局は直前に断念。
 誘って一緒に参加の本会副代表氏を。そのまま私の代理として行って貰った。
 富士中央IC付近のホテル1泊して、混雑予想が意外に空いていて、早目に指定の駐車場である富士学校に着いいてしまったそうだ。
 ところが、受け付け開始午前7時30分より1時間も早い到着で大慌てさせてしまったと恐縮の至り。門衛で«スーパーVIP»と呟かれたのも面映ゆい気分になったという。
 冒頭の写真は、演習が終わり、富士学校に戻っての幕僚長主催昼食会で、山崎さんが挨拶なさってる時の写真を送ってくれたものである。
 終了後、招待を受けた各人が、幕僚長にご挨拶に向かうという長蛇の列に並んだそうだが、これまた山崎さんは大変にお疲れさまだったと想像します。

ヘリコプター体験搭乗者から

2018年08月25日 | Weblog

 今日は、今年に入ってから「北斗会」として、3回目の体験搭乗会である。その内の一人から送って来てくれた。
 よほど嬉しかったようで、文章から笑顔が浮かんで来る。
 八尾空港滑走路を横目に見下ろしつつ上昇し、大抵は東か西のコースを回る。今回は奈良市内を巡る東コースだったそうだ。高円山手前で、平城京跡を北に見たかと思った時にグルッと左旋回し戻って来るのだ。縁起絵巻で有名な信貴山を越えて、法隆寺伽藍の佇まいに飛鳥時代や平安時代を想起し空を飛ぶのだ。
 何だかまるで自分が行ってきたような気分になる。何度も付き合って飛ぶ事が多くあったので、光景が脳裏に浮かぶのである。
 新しく入会される方が少ないので、駐屯地司令より体験搭乗ご案内頂いても該当者に苦しむ事が多くなった。
 これでは多数で人選に悩む方がマシかもしれないと苦笑いしてしまう。

呼ぶよりそしれ!

2018年08月21日 | Weblog

 雨が降らない、と言った途端に時雨が走り去った。
 “呼ぶより謗れ”という諺のような図である。高い入道雲が湧き上がり、虹も千切れながらも立った。
 空中に繰り広げられる景色は幾ら見ていても飽きる事が無い。
 遠くの雨柱、成層圏どこ迄という白雲、夜明けから日暮れ、そして都会の灯りに、少ないけれど輝く星!
 独りよがりの詩人となって、時が過ぎる。

It never rains but it poursの逆?!

2018年08月21日 | Weblog

 7月始めの豪雨災害の頃を過ぎてよりこの辺りは全く雨が降らない。
 あの豪雨禍も、偶々発生した颱風がもたらしたものであり、それが無ければ、おそらくはもっと以前から照り続き、日照り災害となったに相違ないと思える。
 “滅多に降らないのに、降れば大雨”という諺の逆versionといった天候である。
 木の葉は萎れ加減で、枯葉として散った物もあり、このように黄変してしまった物もある。
 いつもなら歩くのも面倒な草丈に伸び切った足下の雑草は、短な丈で枯れて、まるで小さな荒野の如く殺風景な姿を曝している。
 さて、荒んだ景色に似て、私も些か落胆の体なのだ。

 折角の幕僚長さんからの招待で、富士総合火力演習に行く予定をしていたのに、事情があって行けなくなってしまったからである。
 駐車場は富士学校で、演習場とは送迎付き、紫色チケットAスタンド指定席、しかも幕僚長主催の昼食会まである。言う事なしと言うのに、何と言う事なんだろう。
 代理の方を立てて行って貰うのだけれど、土産話ではどうにも得られない臨場感を想像しては残念と呟くのみである。

京都五山送り火の会を終えて

2018年08月19日 | Weblog

 もう、二桁を幾つか超える「京都五山送り火の会」が無事に終了。こればかりは毎年の8月16日と決まっているので、日程に困る事は無い。
 ただ、季節が移ろい、夏の終わりを告げる頃でもあるので、天候を気にするのが毎度の事とは言え、些か疲れる。
 今回も、陸将、陸将補や駐屯地司令等のお客様が揃うのかと気を揉んだ。
 7月の豪雨での災害派遣が完全撤収するのか、又はいきなりの災害が起こるのではないかと言う可能性があるからなのだ。
 その可能性が生じて、僅かに機材撤収する為に幾人かの隊員が現地に残っているので大隊長が欠席となってしまった。
 数年前の奈良県南部と和歌山県の災害の時は、団長以下欠席だったし、地震の時は、海上自衛隊基地司令以下がお越しになれなかった。
 そういう訳で、今回はまぁやれやれお揃いになった安堵感がある。
 鴨川と白川通りの間にある小料理屋の屋上からは、全ての送り火が一通り眺める事が出来る。写真はご覧の通り舟形。あくまでもお盆の行事なので、花火見物ような華やいだ雰囲気は無い。ご先祖様をお見送りしたというやや軽く安堵した気分が充ちる。
 それには理由があるのだ。一昔前に駐屯地司令の1佐として浴衣着だったのが、今回は陸将となっての参加なのだ。いやー、年月が流れたなぁとしみじみ感じたのである。

F1尉とスターバックスコーヒー

2018年08月16日 | Weblog
 先日、大隊のEDSが異動により交替、そこで私の所に挨拶に伺いたいとS准尉より連絡があり、ご足労願った。支援協力を円滑に行うには欠かせない連絡将校との顔合わせである。
 初対面の挨拶を交わして直ぐに珈琲でも飲みながら話ましょうと、車を駐めやすい方のSTARBUCKSコーヒー(近所に2軒あるので)へ。
 異動して来たF1尉は出身地も前任地も九州。そこで、一言出て驚いた。「今迄STARBUCKSコーヒーに行った事が無い」と言うのだ。
 さすがに、少々驚きはしたものの、仕事柄そういう事もあるかと勝手に想像して納得してしまったのだが。
 何を飲むかと見守っているとキャラメルの文字に注目。私と同じように甘い物好みかと。先ずは珍しい物を見る雰囲気と味に対する好奇心が漂う。 
 一口口に含んでの反応は«オッ( ^ω^)»
 大体がこういう場面で人物像が浮き上がるもので、互いにもろ肌少し脱いだ気分となったのは思わぬ産物であった。
 前任地の駐屯地には先日退役したばかりの高射特科N1佐が嘗て居たのだが、半ば知っていたような口振り。20万人居ても日常的に接触するなり知るなりのものがあるという事なのだろう。
 話も弾んで1時間以上経ってしまった。後日又連絡を取り合って、様々に生じる支援協力態勢を具体化する事を確認した。
 凡そ、2年に一度の異動による交替は、大隊に限らず全体にあり、度毎の人間関係拡大は必要でもあり、且つなかなかに意味があるではないかと思った次第である。

射撃戦の追記

2018年08月15日 | Weblog
先程、敗戦の日に付いて、思い出すままに述べた父親の述懐である。
 グラマン戦闘機との射撃戦を交わした経緯について詳しく述べなくてはならないかと思う。
 当時、父はS金属工場勤務であった。その前に、二度召集令状来て、最初は鳥取の連隊に入隊した。そこで、重機関銃中隊に所属し、機関銃一機に付き射撃手、弾薬担当、台座係など数名必要だったそうだ。非力ではないにしろ都会育ちであった為に、農村出身者の一等兵達に助けられ海岸の砂山を駆けたとしみじみ言ってた。父は、例外なのか話したくなかったのか分からないが、初年兵として陰惨冷酷な目にあった等とは一切聞かなかった。
 やがて、召集解除となるも、次に姫路の連隊に入隊したそうである。
 どうした訳か、これも召集解除され、工業地帯真ん中の工場勤務に戻ったが、そこでは空襲に備えて、工場屋上に据えてある機関砲の射撃を担当したのである。
 度重なる空襲警報に屋上に駆け昇り機関砲に取り付いていたが、B29は遥か上空を飛び、一斉に落とし来たる焼夷弾が空を覆うのを見ていたそうだ。見ている分には、陽に反射してキラキラとして綺麗だったと言ってたが、内心には複雑な景色であったに相違ない。
 落ちて来た焼夷弾は着弾するや辺りに飛び散って、燃えたゴム状の粘着物は生なかに消せる物ではなかったと、ニ親は何度も言っていたのだから。
 追記の目的を忘れそうになってしまった。
 爆撃機援護のグラマン戦闘機との繰り返し射撃戦は想像するしかないが、最終的に戦闘機は正面から向かって来た時に機関銃銃弾がエンジンに命中し、いきなり煙を噴き上げて飛び去ったと言う。
 父は、その事に付いていつも一言付け足していたのだ。«あれは、ジェットエンジンを吹かしたんだと思う。墜ちていないと思う。パイロットはどうしたんだろう?無事だったかなぁ?»と。
 父の心情心中を深く知る事はもはや無いけれど、この言葉が私の心の中に染み込んで居て、未だに覚えているのだ。それで充分だろう。

何が間違っていたと言うのか!

2018年08月15日 | Weblog

 73年が過ぎた。
 終戦記念日とは言うまい。日本という国が初めて独立を失った日なのだ。単純に戦争が終わったのではない。無条件降伏という敗戦である。   
 歴史的な繋がりの一つの因果として記憶にとどめ置かなくてはならない大切な事なのだから。
 父親が、空襲に来たったB29援護のグラマン戦闘機と機関銃で撃ち合った生々しい記憶をいつまでも持ち続けた事実。そのグラマン戦闘機は、エンジンから煙を上げて飛び去り、結果として撃墜認定を受けて5円の褒賞を貰った事。
 母親は、兄が赤紙召集受け、ビンタで腫れ上がった顔と臀を見たという記憶。そのまま南方へと送られる輸送船が潜水艦によって何をなすことも無く沈められた事。ぼんぼん育ちの本当に優しかった兄が、通ってたカフェ街の女性達に歓呼の声で送られた入営も如何にも虚しい。
 毎年毎年の今日、生きてきた年月で物心付いて以来、戦争に付いての様々な言い聞かされた事はあるけれど、両親の実感は重い。
 歴史は繰り返すというけれど、同じ事は繰り返さない。形を変えて繰り返すのだ。だから、事実に学び生かさなくてはならない。
 負けた事が間違いではなく、まして勝ったとしても正解ではないのだ。言うまでもなく、戦いを引き起こす前に解決するのが一番なのだ。
 単に平和が良い、戦争はいけないなんて唱えて終わりではなく、建設的な参画を自らを含めて望むのだ。
 今日はそういう日なのだ。

中国SOSUS敷設-海上自衛隊新聞より

2018年08月06日 | Weblog

 コラム「一口国際関係」の記事である。2018年5月米国防当局者は、中国が新しい広域海洋監視システム(水中ソナー監視網SOSUS、地上・海上基地長距離レーダー網、ネットワーク)を展開したと語った。このことは米空母部隊の前衛である攻撃型原子力潜水艦にとって、主体の艦隊の防御がより困難となり、中国の新型攻撃型、ミサイル搭載型原子力潜水艦等の追尾を困難にすると懸念している。つまり、中国の新型広域海洋監視システムが、米国の潜水艦の行動の自由を制約すると。2017年6月国営中国中央テレビ(CCTV)によると、東シナ海と南シナ海に海底観測システムを、20億人民元(約320億円)を投じて、敷設する計画を報じた。長期的な観測データを取得し、海洋環境調査に資することが目的だとしている。上海にある同済大学の科学者は、「国防」へのメリットに言及した。大義名分に海洋環境調査を掲げつつ、その実は広域海洋監視システムを設置強化し、東・南シナ海から外国の潜水艦を閉め出すことを狙っている。
 以上が記事です。
 国内全土に桁違いの監視カメラを設けて、即座に個人を特定監視しているのだから、海洋を区画区切って音響探知や視認するシステムを築きあげる事は可能に違いない。それが、それぞれの海洋関係国の領海調整を無視して、実効支配の仕上げの一環になるのだから、如何に巧妙に行動を起こしてくるかを見守り、防御方策を講じなければならないと考える。