説話集「宇治拾遺物語」巻三の十七«小野篁広才の事»にある逸話の中心の文である。
そもそもが嵯峨天皇の時代、“無悪善”という立て札が宮中に立った。何と読むのか分からない。
そこで、才能溢れてながらも和する事が苦手な人となりの小野篁に読み下せと仰せあった。渋りながら“(悪)さが無くて善からん”、つまり嵯峨天皇が居ないと良いなぁである。
スラリと読んでしまったから、さぁー大変!書いた張本人と目されて弁明に大わらわ。
犯人でないというのなら、この文を読んでみせよと出されたのが、表題の「子」の連続。
答えは、「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子=ねこのこのこねこ、ししのこのこじし」。
「子」の読みが多くある事からできたお話なのだ。
午前零時が子の刻で「ね」、後は音読み訓読みを重ねたらそうなる。
些かできすぎた話しであって、言葉遊びが流行った段階で作られたものに違いない。
嘗て、授業の掴みとして板書した事を思い出します。
そもそもが嵯峨天皇の時代、“無悪善”という立て札が宮中に立った。何と読むのか分からない。
そこで、才能溢れてながらも和する事が苦手な人となりの小野篁に読み下せと仰せあった。渋りながら“(悪)さが無くて善からん”、つまり嵯峨天皇が居ないと良いなぁである。
スラリと読んでしまったから、さぁー大変!書いた張本人と目されて弁明に大わらわ。
犯人でないというのなら、この文を読んでみせよと出されたのが、表題の「子」の連続。
答えは、「猫の子の子猫、獅子の子の子獅子=ねこのこのこねこ、ししのこのこじし」。
「子」の読みが多くある事からできたお話なのだ。
午前零時が子の刻で「ね」、後は音読み訓読みを重ねたらそうなる。
些かできすぎた話しであって、言葉遊びが流行った段階で作られたものに違いない。
嘗て、授業の掴みとして板書した事を思い出します。