言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

自衛権について(2)

2014年05月26日 | Weblog
 首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書が提出されて、我が国の自衛権についてばかりではなく、基本的なところから国家の防衛に関する議論が俄にの如くに湧いてきた。
 日本国民が米国の“庇護”の下で68年もの長き戦後平和になれきった風景が激変しそうな様相に気が付いてきた。それ故に“俄に”と言ってもおかしくはない。

 今朝のニュースとして、一昨日、OP3C(海上自衛隊の画像情報収集機)とYS11EB(航空自衛隊の電子測定機)に中国軍のSU27戦闘機が30㍍という異常な距離まで接近、まさに偶発的に緊急事態が発生しかねない状況があったという。
 対ベトナム・対フィリピンなどには露骨な「力による一方的な現状変更」を次々に打ち出して来る覇権主義の権化が、我が国には挑発を小出しにしつつ有利な状態を既成事実化しようとする一環に他ならない。
 
 北朝鮮による核開発の実感薄い脅威には鈍い反応の国民も、中国軍艦隊の沖縄諸島通過して太平洋進出や航空機による侵犯に対する緊急発進急増、中国漁船が圧倒的な隻数で大挙して押し寄せては根絶やしにする程の漁法、首都や大都会の繁華街を集団で徘徊しては買い物に走り回る傍若無人ぶりを目の当たりにしては、さすがの平和になれきってしまって、戦争にも平和にも不感症症状を呈してた人々も眉をひそめる段階から危機感を肌で感じ始めたに相違ない。
 
 “国家は国民を守る役割がある筈”とは“国民は国家に対する貢献”への報酬という至極当然の論理があるのだ。何度も繰り返すが、平和を維持するコストを負担はしなければならない。それが我々自身の国家を支える義務なのだ。
 単独で自衛するだけで済む時代が一体いつ有ったというのだろう? 有史以前から集団はそれぞれの集団間に
各々が持つ“力”に応じて歴史を作ってきたではないか。
 
 集団的自衛権を解釈で済まそうが、根本的な問題を解決する手続きを取ってからにしようが、要は我々の祖国日本の在り方を我々自身がどう取り組み、国際的な問題に立ち向かおうとするか、それが肝心な事なのだ。
 戦争に巻き込まれるから避けようなんて話しは、馬鹿も休み休みにしろと言いたい。
 隣国に歴史を学べなんて言われるのもあまりに奇妙すぎる。
 鬩ぎ合いをしては搾取と略奪を続けてきたのはどの国の事なのか。
 ひたすら頭を下げ続け、大量の貢ぎ物に美女数千人を送り続けた屈辱の歴史を持つ国はどこ?それでも我慢してひっそりと堪え忍ぶ事に終始して生き延びてきた国はどの国の事なのか。
 
 歴史は繰り返さない、しかし、歴史は形を変えてやって来る。
 明日の日本をどう築いていくのか、その自覚は絶えざる脅威の中に試練として突きつけられている課題なのだ。そして、解決しなければならないのは我々自身の手によってなのだ。

施設団・大久保駐屯地記念行事

2014年05月26日 | Weblog
二年連続の好天下展示訓練が実施された。
 例年の如くではあるけれど、観覧中央席を挟んで左右にスタンド席が大幅に増設されていて、昨今の日本を取り巻く情勢下にあって自衛隊に関心を持つ向きが増えたと言う事なのだと思われる。
記憶違いなのかもしれないけれど、今年は105㍉榴弾砲の発射回数が増えていたように思う。
写真を撮るのに適切な瞬間をと思いはすれど、次々と移りゆく場面に追いつけず歯がゆい。
隊員が降下した後のロープを回収するのは、重量を考えてみれば大変な作業なのだと気づいた一枚である。

 終了後、例の大隊本部で軽く雑談。もう我々北斗会会員ともスッカリ顔なじみとなった大隊長・幹部と打ち解けて非常に楽しい一時を過ごす事が出来た。“軽く”から“重く”へといつもなら移行するのだが、夕刻に「国連平和維持活動」PKO派遣の隊員が帰隊する迎えがある為にそれはならず、そのまま“軽く”を重ねて随分と長居をしてしまった。
 

「北斗会」 第6回定期総会、時間変更のお知らせです。

2014年05月21日 | Weblog
 6月7日(土)午後1時からの予定でしたが、「自衛隊を知る為の基礎講座」の第4回目講座を同日に実施する事になりました。
 その為、時間を半時間早めて、午後12時半開始とします。
 12:30「定期総会」⇒13:15「基礎講座」⇒14:00「懇親会」の予定です。
 なお、場所はくずは平八亭別館のままですが、総会と講座は座敷で行い、懇親会はテーブル席で行います。

 自衛隊に関心のある会員外の方に申し上げます。
 「自衛隊を知る為の基礎講座」聴講を希望されるなら当日お越し下さっても結構です。
 会員となるには原則として会員からの推薦を必要とします。

自衛権の解釈について

2014年05月18日 | Weblog
 現政権が第1次の政権を担った時以来の悲願とも言うべき自衛権の明確化が現実味を帯びた数日である。
 既に、自衛権そのものは「砂川事件」における最高裁判所の判決によって“憲法によって自衛権は認められている”のである。
 とすれば、そのままで良いではないかと言う向きもあるだろうが、それでは法的な裏付けに漠然としていると言う事が問題だったのだ。

 憲法を守れという声がある。
 しかし、その憲法を守ると言う声の主が言いたいのは、“唱えるだけ”の平和主義なのだ。
 平和は、平和を守る主体の在り方が有ってこそ具体的になり、具体的な手段方法で以てして初めて可能になるのだ。
 自衛権の実態は「権利」の裏付けたる“暴力装置(社会学的な用語として)”つまり“軍事力”を以て出来ることなのだ。
 軍事力を全く持たないで平和を唱えるだけで平和が歩いてやって来るなら、そんな経済的に安上がりな有り難い事はない。口で言うだけなのだから人的な被害がない、死傷者がないのだから誰も悲しむことはない。
 これってあり得るのか?

 以前、遺族会解散の事について述べた。
 解散する程に遺族が出なかった(戦死者がなかった=戦争・戦闘をしなかった)幸せであった。
 その幸せの裏付けは、誰がどのようにして行ってきたのか?
 言うまでもないだろう。

 話を戻す。
 憲法によって自衛権が保証されているという判決そのものの持つ意味は「“自衛権”の種類を問わない」という事なのだ。
 個別的自衛権であろうが、集団的自衛権であろうが規定・規制される事については全く触れていないのだ。が、当たりであろう。
 自衛する権利を行使するのに、問題点が指摘され議論されるならそれはそれなりに為されなければならないと思う。
 ただ、“備え”は要るのだ。
 従って、個別的と集団的を問う現状は南シナ海・東シナ海(実に問題がある呼称だが、日本海呼称と同じように国際的に認められた呼称として)の戦闘的な姿勢で臨む中国を見ていても分かるように、あまりにも引きすぎた態度としか思えない。現実はそんな甘いものでは無いと私が言うまでもないだろう。

 “解釈”を現政権が取るという示された指針(与党都合によって「方向性」と言い換えられてしまったが)は、改憲を必要とするまでもないのだと言うことである。

「いくさ」に関する言葉

2014年05月17日 | Weblog
 もう随分と以前のことのように思える。
 「いくさ」にまつわる言葉のブログを幾つか書いて、尻切れトンボになってしまった。
 終わりはない程に話題はあるのだが、ついつい。
 と言っても、催促される程のものでないため(実際、どなたからも(^_^;))に中断したままであることを思い出した。

 先程の九字呪文中の「兵」を書いて、“ん?”と。
 この字は斧を両手で持つ形から生まれた漢字だったと言う話しはしたよな?とか、「闘」は武器を持って人が相向かってたたかっている様を表してるは、どうだったけ?とか、ふと思い出した。
 
 また始めようかと思う。単なる話題提供なので気軽に読んで貰えれば、それで良しなのだ。

 ただ、「いくさ」と言うことば自体の説明はしたのか?
 不明確なので、再開篇として念のため述べておこう。

 三音のこの言葉を分解しては考察して、成る程と思った考えが私の思いついた説かと思ったら、これも自分の思い上がりで、既に先人の述作中に述べられてあった。

 「いく」は「征く」で、「さ」は「さつや(矢)」の事なのだ。つまり、弓で射られた矢が飛んで行く事なのだ。「さつ」は朝鮮語に由来するSALと言う話しとなるとややこしくなるので止めておくが、戦争というものは先ずは矢を射ることと認識されていたと言う事なのである。

 「いくさ」を漢字表記すると実は「戦」が頭に浮かぶと思うだろうが、「軍」も「兵」も訓じる時はいくさなのだ。

 やまとことばの発達段階に、メソポタミア文化とか天竺印度とかごちゃ混ぜの大陸文化が直接又は半島からドッと押し寄せて来たものだから整理するいとまもなく、象形文字を中心とする“漢字”に吸い寄せられてしまった結果である。

 例えば「生」の訓は幾つあるか?
 「うむ・なま・き・うぶ・さ・お・う…」など、確かでない確かとして26だか、32だかあったと記憶する。殆ど使われないものを含むのだからそんないい加減な答えで済ましておきましょう。

 ここまで読み進まれた方は少数と思います(^-^)。

 少し思い出したが、軍隊の階級について「督・将・佐・尉・曹…」は書いたかと思うのです。
 では、次回。 

本会「北斗会」ホームページ。「会」の宣伝です。http://www.kcat.zaq.ne.jp/hokutokai/index.html

呪文(2)

2014年05月17日 | Weblog
 着たまま縫う時の呪文には、縫い手の片方の肩をトントンと手を槌にして叩きながら唱えるんだと母に催促された事を付け加えます。
 様々な呪文には様々な動作が伴っているのが普通でしょう。そう思います。

 精神の集中には身体的な動作を伴うのが自然というか、そうしないと区切りがつかない気もします。
 例えば、有名な九字の方ですが、“臨兵闘者皆陣列前行”の九文字を唱える時に、一文字ずつ横から縦に手刀を切るのだが、相撲取りの如く手を開いて手刀を切るよりも人差し指中指二本でやるとズッと緊張・集中度が増す。

 佛教でも同様で、唱名に伴う上半身の動きは今でこそ形式化しているが、あの激しさは体内から生じる律動が起こさせたものだと思えてならない。
 静止状態ではあるけれど、精神の集中には“印の結び”も然り、座禅の時の手もそうなのだと思う。止まっては居ても精神はまっしぐら集中へと向かう。

 万葉集中にもしばしば出てくる、実に単純な足占(あしうら)にもあるように、何事にも“何かが在る”と言う潜在的な意識から生まれてからに相違ない。

 といったように、呪文とは魔除けとかの類いとは言え、即ち良かれとする気持ちの向上心の発露と考えれば済むことであって、殊更に有り難がる必要はない。勿論、恐れる必要もない。

 しかし、付け加えて置くけれど、「言葉」の力が人の在り方にまで及ぼす根本はゆめゆめ忘れてはならない。そういう事なのだ。
 

呪文

2014年05月15日 | Weblog
 少年期の頃、よく母に催促された呪文がある。
 「着てて縫うはこれが初めてなり!」と。

 どういう時に言うのかというと、着ていた服のボタンが取れたとか、小さなほころびがあった時に、わざわざ脱いでまでの事は無く、着たままで直ぐさま針に糸を通して取り付けてくれたり縫い合わせたりしてくれた時である。
 何故初めてなら良いのか分からないままである。そう言う事によって災いが避けられるという事であったらしい。それにしては、そう言わなければならない場面が幾度もあったのは、戦後の物の無い、製品の良くない時代の物であったからに相違ない。
 その為に、着てて縫うという状態になる事は絶えてなかったのだが、先日のこと家内がふと綻びを見つけて私に“そのまま”で、と事が偶々あったのだ。
 それで、思い出すままにそんなことを、小さい頃は口にしてたという話しをした。家内は怪訝な顔をして、ふ~んと。意味を問われたのだが、さてどうしてなのかと考えたことがあるのは、将に何事も吸収するのみのその少年期のことである。

 二度あっては不幸なことが起こるとは想像されるのだが、果たしてどんな不幸がやって来るのかは分からない。試してみようにも、必要も無く馬鹿馬鹿しいことだと思ったのだが、ちょっと待てよ。そうは言うものの気にはするだろうなと思ったのだ。

 これが“呪文”という効能かと気が付いた。効く効かないは別として、取り敢えずは唱えておけば、心に落ち着く先があると親からの無言の効能書きを貰っていたらしい。
 呪文に限らず、言葉そのものには言霊という信仰を持ち出すまでもなく、言葉の暴力という場面が取り上げられるように、人の心に大いなる影響を及ぼす事は間違いない。

 褒めてやる、感謝する、礼を言う、お悔やみを言う、そういったような決まり言葉であるとは分かっていても言わなければ、またそういう言葉を受け取らねば心を充たす物が無いのは確かである。
 そうしてみると、様々な言葉は例え言い古されている言葉であっても、全ては“呪文”の安息感というべき役割を果たしているのではないか。

「~したいと思います。」表現について

2014年05月15日 | Weblog
 この言葉、耳にする度にゾッとするのだが、人に問うても誰も不思議ではない表現となってしまったようだ。
何が変なのかと言う顔をされる。

 文法を持ち出して教科書的解説を加えても理解されない程に定着してしまっている。それ程に今や普通に使われているようなので、これも社会的認知を得た“間違った用法”と「認知」するしかないらしい。

 しかし、「たい」と言う言葉。
 これは「食べたい」・「眠りたい」とか願望を表す(文法的には希望の助動詞)時に使われる言葉である事は皆さんはご承知のことだと思う。
 つまり、達成されていないので、そうありたい、そうしたいと願っての言葉として使うのが普通なのだ。
 だから、「する」のだったら、「したいと思う」のではなく、「しよう」とする意思とか意志を含んでいる表現を使って欲しいのだ。「~しようと思います。」と。

 「これから信号を渡りたいと思います。」と聞いてひっくり返りそうになった。“渡るんだろ?!”。
 「電子レンジに入れたいと思います。」、入れなきゃ料理は完成しないだろうが(>_<)!

 文化論を述べる程の学識は無いので苦情として言うだけにするのだが、この他にも目に余ると言うか耳に余る不思議言葉が世にあふれ出して居るかの如く充ち満ちている。

 誰にでも当たり障りなく、丁寧に柔らかく、何事もくるみ包んで言う事で以て無難に過ごすという姿勢の表れのように感じられる。
 日本人よ!これは控えめな表現とかに属するものではないのだ。
 意志を持て、意思を意志を示すのだ。「意思を示したいと思います」ではなく「意思を示そうと思って」くれまいか!

中国海軍の外洋進出本格化から五年。

2014年05月12日 | Weblog
 2010年の出来事である。
 4月8日午前に中国の艦載ヘリが監視中の海上自衛隊護衛艦「すずなみ」に水平距離90㍍まで近接飛行するという大胆な挑発的行為に出た。
 その二日後の10日午後8時頃、沖縄本島の西南西140㎞。沖縄本島と宮古島の間を中国艦艇が続々と航行した。
 21日午後にも中国の艦載ヘリが護衛艦「あさゆき」に同じく90㍍まで近接飛行した。

 公海上とは言え、10隻もの大規模艦隊の航行は将に異例の事態とされた。
 中国が公然と海洋上に於ける覇権をも手中に入れようとし始めた初めての出来事だったのだ。
 それ以前の「沿岸・近海防衛海軍」から「外洋海軍」への脱皮を図ろうとする現れであった。

 この時以来、我が国の領土と台湾を経て、今日“赤い舌”と呼ばれるようになった南シナ海一帯を結ぶ一連の海洋上の島々を第一列島線と呼称すると言う、まことに失礼極まりない例えが一般化してしまった。
 この挙に出た当時では、2015年頃までにこの海域に於ける絶対的な影響力を目標としていたとされる。

 そこで、先日来の南沙諸島に於けるベトナムと中国との衝突は、自国権益の当然の権利として油田開発プロジェクト建設を始めた中国と、絶対に認めてはならないベトナムとの鬩ぎ合いになった事件であると言える。
 また、西沙諸島ではフィリピンの船艇を実力排除して閉め出して固定的な施設を建設してしまった。
 “赤い舌”の左右の部分を傲慢極まりないやり方で実効支配してしまおうという事なのだ。

 2010年4月26日付けの中央党校(共産党幹部養成機関)の機関誌「学習時報」の論文にはこう述べてある。“将来の中国海軍の展開範囲は近海に留まらず、太平洋の西北部まで延ばし、制海権の奪取へ努力すべきだ。”

 してみると、これらは未だ太平洋を東西に分割し、東半分を米国、西半分を中国が管理管轄して支配下に置こうという試みの始まりに過ぎない。と言うか、途中なのだ。

 中国の覇権主義の終局的な目的は、嘗ての“中華帝国”の復活を目指し、地球的規模での最大限の影響力を及ぼす事を目指していると言う事を意味しているのだ。

 遠くは明の時代に鄭和の遠征があった。東南アジアからインド、アフリカ諸国を経てアフリカにまで大艦隊を率いて、南シナ海からインド洋、アラビア海、そして南大西洋に面する国々を圧倒していた時代を築いた一時期が存在したのだ。

 当時の日本は室町幕府の時代にあって、“日本国王 源(つまり足利義満)”が貿易目的とは言え朝貢姿勢を取っていた為に遠征を受けることは無かった。これを幸とするか、また否定的なとらえ方を取るとするかの判断は兎も角、征服を免れる因であったことは確かだ。
 勿論、易々と征服されるような我々日本民族であるとは思わないが、相当な被害を被っていたことは予想される。
 
 それが、その後の歴史の波を越えて今に到る。
 そういう見地から言えば、尖閣諸島は大陸棚にあるからという油田などの資源確保を兼ねて、西太平洋を中国にとって自由な海にしようとする企みの一部に過ぎないのだ。

 あらゆるものを数にモノを言わせて飲み込んでいこうとする大国の利己的な勢いを頼んだ現れである。目先の利益を追い求めて、圧倒的な貧富の差を生み出しながらの多数の国民の犠牲さえいとわないまま、自国さえ良ければと言う剥き出しの本性を露わにし、行使し始めているのだ。

 空母を一瞬にして破壊する能力を持つ高性能のミサイルを搭載したソブレメンヌイ級駆逐艦、静粛性が高いキロ級潜水艦の増強、同じく買い入れた空母遼寧の試験的な段階を終えて自国産の空母建造を公言した艦隊編成は相当な脅威となる。

 先日耳にした日本遺族会解散の時の会長氏の言葉“解散する幸せ”、つまり戦後の日本はそれ以来“遺族”を生んでいない平和な時代を過ごせた日本賛歌ともいえる言葉であった。
 
 ただ、それは確かに戦争をしない幸せな時代を謳歌することが出来た事なのだが、あまりにも当然な空気と化した現在、大切な自国防衛を忘れたままにしようとしてきたのではないか。

 危機は今静かに忍び足どころか露骨公然と目の前にその姿を現しつつあるのだ。
 それでも、自国の危機に際して銃を取る覚悟を持つ日本国民の割合は僅かに15%である。たったのそれだけである。
 他方、近隣諸国は75%である。
 この意識の差は、危機以上の危機ではないか。侵略を受けても銃を持って自国を守るという覚悟も意識も無い国民を生み出してしまっているのだ。
 
 「自衛官募集支援北斗会」という募集に特化して活動を始めたのは、そのあまりの意識の低さに脅威を抱いたが故なのだ。
 理解されにくいのも無理はない。亡国の危機感を覚える僅かな国民の中にあって、“狼が出るぞ!”と叫んでいても“それがどうした?”と言う事なのだ。

 私達の「北斗会」ホームページはhttp://www.kcat.zaq.ne.jp/hokutokai/index.htmlです。
 

「自衛官募集支援 北斗会」 第6回「総会」のお知らせ

2014年05月10日 | Weblog
 まことに爽やかな初夏の候となりました。
 さて、第6回目の「総会」を六月七日(土)開催致しますのでお知らせします。
 場所は樟葉駅ガード下通り京都側突き当たりにある「平八亭別館」です。
 時間は午後1時15分からです。懇親会は午後2時から開きます。
 会費は4千円、いつものように飲み放題コースです。お店を借り切りましたので、例年以上に気楽に過ごせるかと思います。
 出欠に関しては、既に表明されてる方を含めて改めて返信下さいますようお願いします。座席設定の都合上があるので出来ましたら、12日午前中までにお願い致します。 

 会員外の方はホームページをご覧下さい。
http://www.kcat.zaq.ne.jp/hokutokai/index.html

日本国憲法 第9条について(1)

2014年05月09日 | Weblog
 様々な識者の方々の論議が尽きる事無く、と言うかそれぞれの立場から意見を述べるのだから、すれ違いは当たり前の状態を私達一般市民は見ているだけであると言える。
 「9条にノーベル平和賞を」と申請する団体もあれば、押しつけ憲法だから変えるべきだという意見もある。
 意見は違えど、目指す所は同じ「平和」希求と言いたいのだが、そうでもないような危なっかしい方向のもある。
 ただ、何故にそうまでしても喧しくなったのか?
 要は現行憲法下では、9条の規定が世界的な情勢に日本が対応しにくくなってきた“窮屈”さなのだ。

 “解釈”の仕方で今まで応じて来たとは言え、「軍事力を持たない」とは何とも平和ではないか。勿論、逆説なのだ。何も対抗する手段を持たずに平和を保てた事例は皆無なのは歴史をひもとかずとも分かる。
 人類が有史以来という歴史時代を迎える以前から争いが続いてきたではないか。生存する事自体が生物としての定めとも言え、組み込まれている事実なのだ。
 何も、戦いを常態化してそれが本来の在り方という極端な事を言いたいのではない。互いが絶滅するまで争うという愚かさに気付いたからこそ、条約を結び共存を図ってきたのだ。

 だからこそ平和は尊いと言える。多くの過ちと犠牲の上に成り立っているからだ。
 
 ところが、行き過ぎてしまって平和を唱えてさえ居れば、勝手に平和がやって来ると思って居る人達が居るのだ。数年前に、ピースボートに乗った人達の経験談に、ソマリア沖での自衛艦の護衛が付いていた事に対してそんなものは要らないのにと言うのがあった。
 唖然というか、理解不能の不可思議な感覚の持ち主が存在してるのだと認識した。こうなれば狂信的な信心ぶりで、教える事はもう既に不可能の人となっている。

 ロータリーで保護法案に反対する集団と9条を守ろうと訴える人達は同じ集団。
 どうやら、何もかもが一緒くたで、論旨がただの一点“平和”を、そして制限無しの完全自由を“守ろう”と言う事なのだ。ゲンナリする気分で、説得するには無駄な人達の活き活きとした表情を眺めて通り過ぎた。

虹色の雲

2014年05月04日 | Weblog

 なにやら近寄る光!
 思わずお迎えが来たのかと思いました。
 いやいや、生き様に恥じ入る事多い故にそんな大団円がある筈も無く…。


 陽光に暈が大空に拡がっておりました。光が地平線近く降りて雲に分光なったものですが、そんな自然現象と分かってはいるものの、天の啓示と受け取り見とれておりました。

ホームページ開設に対するご感想・ご意見です。

2014年05月02日 | Weblog
*凄く詳細でばっちりですね・
ゆっくり拝見します・
又一歩北斗会発展に向けて前進ですね



*おめでとうございます。
時々、拝見させていただきます。
FBや会員さんのSNSとの連接を図り、多彩な内容と多次元からのアクセスをと思います

*日本国旗は、日の丸です。国旗は、懇親会でも掲げてあります。

*会の趣旨とか分りやすいと思います。詳しくはブログへのリンクですね。
活動報告では、「祇園祭とビール会」がいいですね!

*理念に従って活動して下さい。HPは立派です。


以上です。これらのご意見を活かして活動を継続して参ります。有り難う御座いました。