首相の諮問機関「安全保障の法的基盤の再構築に関する懇談会」報告書が提出されて、我が国の自衛権についてばかりではなく、基本的なところから国家の防衛に関する議論が俄にの如くに湧いてきた。
日本国民が米国の“庇護”の下で68年もの長き戦後平和になれきった風景が激変しそうな様相に気が付いてきた。それ故に“俄に”と言ってもおかしくはない。
今朝のニュースとして、一昨日、OP3C(海上自衛隊の画像情報収集機)とYS11EB(航空自衛隊の電子測定機)に中国軍のSU27戦闘機が30㍍という異常な距離まで接近、まさに偶発的に緊急事態が発生しかねない状況があったという。
対ベトナム・対フィリピンなどには露骨な「力による一方的な現状変更」を次々に打ち出して来る覇権主義の権化が、我が国には挑発を小出しにしつつ有利な状態を既成事実化しようとする一環に他ならない。
北朝鮮による核開発の実感薄い脅威には鈍い反応の国民も、中国軍艦隊の沖縄諸島通過して太平洋進出や航空機による侵犯に対する緊急発進急増、中国漁船が圧倒的な隻数で大挙して押し寄せては根絶やしにする程の漁法、首都や大都会の繁華街を集団で徘徊しては買い物に走り回る傍若無人ぶりを目の当たりにしては、さすがの平和になれきってしまって、戦争にも平和にも不感症症状を呈してた人々も眉をひそめる段階から危機感を肌で感じ始めたに相違ない。
“国家は国民を守る役割がある筈”とは“国民は国家に対する貢献”への報酬という至極当然の論理があるのだ。何度も繰り返すが、平和を維持するコストを負担はしなければならない。それが我々自身の国家を支える義務なのだ。
単独で自衛するだけで済む時代が一体いつ有ったというのだろう? 有史以前から集団はそれぞれの集団間に
各々が持つ“力”に応じて歴史を作ってきたではないか。
集団的自衛権を解釈で済まそうが、根本的な問題を解決する手続きを取ってからにしようが、要は我々の祖国日本の在り方を我々自身がどう取り組み、国際的な問題に立ち向かおうとするか、それが肝心な事なのだ。
戦争に巻き込まれるから避けようなんて話しは、馬鹿も休み休みにしろと言いたい。
隣国に歴史を学べなんて言われるのもあまりに奇妙すぎる。
鬩ぎ合いをしては搾取と略奪を続けてきたのはどの国の事なのか。
ひたすら頭を下げ続け、大量の貢ぎ物に美女数千人を送り続けた屈辱の歴史を持つ国はどこ?それでも我慢してひっそりと堪え忍ぶ事に終始して生き延びてきた国はどの国の事なのか。
歴史は繰り返さない、しかし、歴史は形を変えてやって来る。
明日の日本をどう築いていくのか、その自覚は絶えざる脅威の中に試練として突きつけられている課題なのだ。そして、解決しなければならないのは我々自身の手によってなのだ。
日本国民が米国の“庇護”の下で68年もの長き戦後平和になれきった風景が激変しそうな様相に気が付いてきた。それ故に“俄に”と言ってもおかしくはない。
今朝のニュースとして、一昨日、OP3C(海上自衛隊の画像情報収集機)とYS11EB(航空自衛隊の電子測定機)に中国軍のSU27戦闘機が30㍍という異常な距離まで接近、まさに偶発的に緊急事態が発生しかねない状況があったという。
対ベトナム・対フィリピンなどには露骨な「力による一方的な現状変更」を次々に打ち出して来る覇権主義の権化が、我が国には挑発を小出しにしつつ有利な状態を既成事実化しようとする一環に他ならない。
北朝鮮による核開発の実感薄い脅威には鈍い反応の国民も、中国軍艦隊の沖縄諸島通過して太平洋進出や航空機による侵犯に対する緊急発進急増、中国漁船が圧倒的な隻数で大挙して押し寄せては根絶やしにする程の漁法、首都や大都会の繁華街を集団で徘徊しては買い物に走り回る傍若無人ぶりを目の当たりにしては、さすがの平和になれきってしまって、戦争にも平和にも不感症症状を呈してた人々も眉をひそめる段階から危機感を肌で感じ始めたに相違ない。
“国家は国民を守る役割がある筈”とは“国民は国家に対する貢献”への報酬という至極当然の論理があるのだ。何度も繰り返すが、平和を維持するコストを負担はしなければならない。それが我々自身の国家を支える義務なのだ。
単独で自衛するだけで済む時代が一体いつ有ったというのだろう? 有史以前から集団はそれぞれの集団間に
各々が持つ“力”に応じて歴史を作ってきたではないか。
集団的自衛権を解釈で済まそうが、根本的な問題を解決する手続きを取ってからにしようが、要は我々の祖国日本の在り方を我々自身がどう取り組み、国際的な問題に立ち向かおうとするか、それが肝心な事なのだ。
戦争に巻き込まれるから避けようなんて話しは、馬鹿も休み休みにしろと言いたい。
隣国に歴史を学べなんて言われるのもあまりに奇妙すぎる。
鬩ぎ合いをしては搾取と略奪を続けてきたのはどの国の事なのか。
ひたすら頭を下げ続け、大量の貢ぎ物に美女数千人を送り続けた屈辱の歴史を持つ国はどこ?それでも我慢してひっそりと堪え忍ぶ事に終始して生き延びてきた国はどの国の事なのか。
歴史は繰り返さない、しかし、歴史は形を変えてやって来る。
明日の日本をどう築いていくのか、その自覚は絶えざる脅威の中に試練として突きつけられている課題なのだ。そして、解決しなければならないのは我々自身の手によってなのだ。