”「夢」が醒める”と”「夢」が覚める”。
どちらを使うかではなくて、「さめる」の意味が違うのだ。
一般的には、「目がさめて、見ていた夢が消え」起き上がる様を言うのだが、「夢」が今となっては異次元の世界に属していて、「何を思っていたのだろう俺は!」という過ぎ去ってしまった近過去の余韻がさめやらぬままに現実を受け入れようとする状態を言う事が人生にはままあるのだ。
心の迷いから醒めて、今の状態を良しとする精神状態から見て言える言葉なのだ。
しかしながら、例えば去りゆく女の断ち難き想いを迷夢として分かりつつも、捨てきれぬ未練に囚われこれからも続く人生を投げ捨てる男には醒める事のない「夢」もあるのだろう。
心の迷いから醒めると言うのは如何にもサッパリとして他人事としてはそうあるべき等と判断は付くだろう。
こんな種類の危うい「夢」は幾らでも人生の歩み中に転がっては人を躓かせるのだ。
「正常な精神状態に戻る。」、「正気付く。」のが”夢が醒める”という価値判断は、その情念がない時にこそ人は言う事が出来る。
迷い苦しみ、およそどろどろした迷い「夢」の渦中にあってはそれは辿り着けない闇の中にある解答に近いものなのだと思う。
かく言う己が、このような千鳥足に近い文章を書く事自体が未だにそういう種類の「夢」から醒めていない事なのかも知れないという、逆説的な迷いすら覚える。
美しくない人生の軌跡は辿ってはならないと言える大人で居ようというのは斯くも難題であるのだ。
どちらを使うかではなくて、「さめる」の意味が違うのだ。
一般的には、「目がさめて、見ていた夢が消え」起き上がる様を言うのだが、「夢」が今となっては異次元の世界に属していて、「何を思っていたのだろう俺は!」という過ぎ去ってしまった近過去の余韻がさめやらぬままに現実を受け入れようとする状態を言う事が人生にはままあるのだ。
心の迷いから醒めて、今の状態を良しとする精神状態から見て言える言葉なのだ。
しかしながら、例えば去りゆく女の断ち難き想いを迷夢として分かりつつも、捨てきれぬ未練に囚われこれからも続く人生を投げ捨てる男には醒める事のない「夢」もあるのだろう。
心の迷いから醒めると言うのは如何にもサッパリとして他人事としてはそうあるべき等と判断は付くだろう。
こんな種類の危うい「夢」は幾らでも人生の歩み中に転がっては人を躓かせるのだ。
「正常な精神状態に戻る。」、「正気付く。」のが”夢が醒める”という価値判断は、その情念がない時にこそ人は言う事が出来る。
迷い苦しみ、およそどろどろした迷い「夢」の渦中にあってはそれは辿り着けない闇の中にある解答に近いものなのだと思う。
かく言う己が、このような千鳥足に近い文章を書く事自体が未だにそういう種類の「夢」から醒めていない事なのかも知れないという、逆説的な迷いすら覚える。
美しくない人生の軌跡は辿ってはならないと言える大人で居ようというのは斯くも難題であるのだ。