言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

説話の中にある「夢」

2007年04月27日 | Weblog
 夢殿で触れたように、嘗ては神託として神様の独擅場(どくせんじょう)であった世界に仏教が入ってきて、宗教的な大系が完成されていた為に取って代わられただけの話なのだが、仏様が沢山登場する。
 日本初の仏教説話集「日本霊異記」には多くの仏や僧が夢の中に出て来る。
 昨日の聖徳太子の教典解釈書の不明部分を夢に出てきた僧が解いてくれるという類の話なんかは当然ここにもある。
 前世で誤って教典の一字を焼いてしまった因果で、生まれ変わった今どうしても覚えきれない一文字がある事を教えてくれたのも夢である。
 誇張やこじつけがある事からして、話半分以下に楽しめばいいのだが、恐ろしく宗教が訃術が生活と密接に関連していた事も同時に理解しておけば更に良しである。
 作者である”景戒”の「心の迷い」や「愛欲の世界」、「俗世への執着」などが正直な告白として読み物として今に伝わる力ともなっているのは古典として耐えうる元として面白いと思う。
 男遊びが過ぎて死後に乳房が腫れる女が出て来る。最後は往生するという話だが、「邪淫の生活」なんてのは言葉からして魅力的ではないか。
 ”人間的”な事であるという其の一点において、生きるという事の意味をはしなくも表しているように思えて為らないのだが、どうだろう?

「夢殿」

2007年04月26日 | Weblog
 これを見て、「あ~、あの建物ね!」という教養人しか僕のブログを覗く人は居ないと決め込んで話を進める。って、砕けて居ることにする。

 法隆寺の東院にある何ともロマンチックな名称の八角堂のことである。
 聖徳太子と後に呼ばれる事になった「厩戸皇子」が中晩年に至って住まいし、瞑想に耽ったという建物だ。
 この瞑想を以て、「夢」という事と関連を持つ事になったのだろうが、これを日常の事・日課とした理由はともあれ、あの救世観音に代表されるような仏像や若草伽藍と呼ばれる広大な寺院を作った人だから、それなりの場所を必要としたのだろう。
 座禅に似た視觀を得ようとしたのだろうと推測するのだが、伝えられる話にはこんな話もある。

 太子に仕える者の飼い犬が、ある日、一匹の鹿の脚を喰い折取らんとした。其の鹿を哀れんだ太子は、犬を押しとどめたのだが、後日再び襲いかかり、脚を食いちぎってしまった。
 そこで、太子が夢殿にはいって寝てみたところ、夢の中に僧侶が現れて、こう告げたのだそうだ。
 ”犬と鹿とは前世の宿業で憎み合っていた”からだと。
 不可思議な出来事の夢を見て、理由は解決したということだ。
 宿業という曖昧な仏教的因果律を「聖徳太子伝歴」は伝えて居るのみである。

 仏教経典解釈書である「三経義しょ(*漢字がない(>_<))」を執筆したのも夢殿であると伝える。要するに、書斎なのである。
 ただし、其処にはチャンと仏様が現れて不明なところを教えてくれたそうでもある。勿論、夢の中でだ。夢の中に神様が現れたりするのと同じ事が仏様もなさってるわけだ。
 
 「夢」とは便利なものである。

「夢(ゆめ)」、本来は「いめ」

2007年04月25日 | Weblog
 今では「夢」を「いめ」等と発音・表記する人は居ないと思う。
 しかし、上代は全て「いめ」だったのだ。
 解釈次第では東国方言として「ユミ」とする万葉歌もあるようだが、「ヤマト」に属する地域は「いめ」と言っていた。
 万葉集(490・807・3639・3714・741・2912…)の和歌や記紀の記述によればそうなのである。
 い(寝)+め(目)→いめ、だからやはり寝る時に見るものなのだ。
 それにしても、目はやはり寝る時にも視覚的意識が語に反映されているのが面白い。
 人生のどの時代でも夢の中ででも逢いたい人や、せめて見たい人が存在してるというのは幸せなのだろうか、それとも不幸せなのだろうか?
 それは間違いなく、自分の人生の歩み方や在り方を表しているものである事だけは確かなようである。

「夢」(二)

2007年04月23日 | Weblog
 「夢」という言葉に何かしら心惹かれるのは日常的に見るものでありながらも、生理的な意味での睡眠に付随して、体験とか願望とかが織り交じり展開される不思議な物として体験するからである。
 叉、「夢」には憧れや願望等の仮の実現をも可能にする。
 ある種幻覚的な精神状況に陥るのである。
 と言っても、現実にはない状況を見たくても見られる事は保証される訳ではない。
 だから「夢」なんだろう。
 
 人智を越えた霊的なものとして不思議とするのも無理はない。が、そこに深い意味を持たせて何かを導こうとするのも「別の意味での夢」と言っても良いかも知れない。
 果たせない遙か向こうにあるもの、憧れるものという対象である限りは「夢」はいつまでも魅力を失わない言葉である。

「夢」

2007年04月21日 | Weblog
 忘れては 夢かとぞ思ふ
        思ひきや 
          雪踏み分けて 君を見んとは
                     在原 業平
                    (古今和歌集・雑歌・下)

 「夢」の歌は有りそうでいて、実はそれ程は無い。
 考えてみれば、景色とか現象とかとは違って、日常的には誰でも見ているものだ。それ故に、平凡な着想を書いても仕方ないだろう。奇異な夢の出来事を描いてもそれも続く世界が拡がる訳でもない。
 案外と、手強いものなのだ「夢」とは。
 それでも、「夢」という語の響きには、何か遠くを見る不思議な感覚を思い浮かべさせる力がある。

 この歌のように、嘘だろうと思いたい気分で現実を否定したいのに、そうではない悲しさ・不遇を悔やむ気分は、これまた誰もが経験する事である。
 そうだから、事情を知らないでこの歌を見ても、例え有名ではあっても何という事もない平凡な物でしかないのだ。

 過ぎ去った過去に多くの傷を持つ者にとっては、今ある現実は「夢」であって、本当は幸せな境遇で居たいという気持ちが溢れそうなのだ。
 そうで有ればある程に一層、切々とした悲しみに暮れざるを得ないのだ。

 現実であって欲しくない時、それが「夢」なのである。

「夢の通ひ路」

2007年04月20日 | Weblog
 前回の「夢の浮き橋」を思い出す為に和歌集を繰ってみると、これでは”本歌取り”をする以外にはこの名文句は使えないと思った。
 すると、「夢」という”こと”に付いては早い者勝ち・使った者勝ちの特許権のような優先権が生じている事になる。
 言葉が、(韻文にせよ散文にせよ、)その多様性を有しているにも関わらず、人の”言の葉”に上ってしまうと、後代の人間には使用不可にも等しい事になってしまう。
 それが文化という事なのだが、個人として独自に着想したとしたら不本意な気がしないでもない。
 一層の工夫が、努力が要るという事になるのだという結論かな?

 住之江の 岸に寄る並み よるさへや
           夢の通ひ路 人目よくらむ
                    藤原 敏行朝村(百人一首)

 下の二句だけが意味を持つ。何とも「臭さ」が付きまとうのだが、それは時代からして仕方はないだろう。名句とはいかないのだと思う。
 ただ、「夢の通ひ路」は恋する心を伝えようとする気分は充満している。
 ラブソングとして歌っていればいい身分なら「これは素敵!」と満足だろうなぁ。
 男と女の恋心は何時の世も原則的には同じ。
 個人として感じるものは様々なれど、一括りの男女の情感と情念の世界が拡がっている事だけは確かなようだ。

夢の浮き橋

2007年04月19日 | Weblog
 「別れる」の文を書いていて思い出した断片が「夢の浮き橋」である。
 「分かるる」を含む下の二句は口を突いて出てきたのだが、どうしても上の句が思い出せない。
 それこそ”うっそ~?!信じられない”位に好きな和歌なのに…。という思いとは裏腹に益々記憶回路から遠ざかって行く。他の色々な句が浮かんでは、それを打ち消していくという体たらくなのだ。
 焦りに焦って、和歌集を次々とめくっては探すという仕業となった。
 あった、あった!やれやれ。

 春の夜の 夢の浮き橋とだえして 
          峰に分かるる 横雲の空
                      藤原定家  
                     「新古今和歌集・春の歌(上)」
 
 夢を見ていた心地のまま夜明けの空を見ていると遙けく見える峰からたなびく雲がククッと別れるかのように流れていく。と言った感じかな?

 気が遠くなるような「出来た風景」であって、如何にも布団を被ってウンウン唸りながらひねり出した事は間違いないのだろうが、それでも文字で描いた風景としては秀逸である。

 景色としての別れは絵には為る。
 人情としての別れは、「絵」になる場合もあれば、修羅場の地獄模様や抽象画の世界で、のたうちまわる羽目にも為りかねない。
 こういう風に、サラッと人生を渡る事が出来ればサラッとし過ぎて生きてきた実感がないのじゃないかと言うと、それはひがみかもしれない。

「会うは別れの始め」続編

2007年04月18日 | Weblog
 一方の「別れる」についても言葉として置いて行かれたのでは寂しいだろうという思いから、触れて置かなくてはならないだろうなと考えた次第である。

 古代では、「別れる・別ける」は「(別)わかつ・わかる・わく」なのだ。
 が、知られていない言葉として「(散・斑・分)あかる・あかつ」がある。
 語の感覚としては少しばかり微妙に違っているのだが、その微妙さの故に逆に僕は惹かれる。厄介な性格だと思うんだがね。
 当て嵌まる漢字を見ても判るように、様々の意味が含まれている。
 本来の漢字は別々なのだが、日本語である”やまと言葉”の守備範囲が狭いのだから致し方ない。
 日本語が発展しようとして伸び始めた途端に大陸から物も精神中枢に関わる事もドッと押し寄せたのだから、堪らない。
 漢字の勢いに押されっぱなしで、文字も「真名」に対する「仮名」という劣等の名前になってしまったのだ。
(脱線のしっ放しでなかなか筆が進まない。)
 
 叉、「わかる」の語源も色々ある。
 (分)わく+(生)ある
 (我)わ・あ+(離)かる
なんてところが有力候補と言えばそうかな?って感じもする。
 ここには出会う場面がないが、どちらにせよ一つになっていた物が別れていくのだ。原因と理由は様々である。これに特別に意味を持たせて、感情や情念を抱くと複雑な人間が生じて理屈で解決できない世界が展開される事になる。

 出会いは何時かは別れの時を迎え、その生きる悲しみの中に不思議な安堵と言葉にならない余韻を同時に感じるのだが、どうだろう?
 人と人の繋がりには自分自身の生き方の反映があり、別れにも同じく自分の意思を映し出した歩みが有るのだと思う。 

 例の啄木の歌の中にこんなのがあった

     何処やらに
     若き女の死ぬごとき悩ましさあり
     春の霙(みぞれ)降る

 丁度そんな冷たい雨が降っている今日である。

「あう」は、古代は「あふ」

2007年04月17日 | Weblog
 「あう」は嘗ては「あふ」。
 で、意味は基本的には変わらないが、も一つ深いものが加わっていた。
 それは、古典の世界では常識的な事なのだが、現代においては奇妙な感じがする。「結婚する・性行為をする」という非常に具体的で生々しい事だからだ。
 「記紀万葉」はじめ古典の世界では盛んに出て来る言葉である。

 今では「あう」が顔を合わすという一般的な視覚的イメージが先行してしまって居る為に、どうにも具体的な動作や行為が伴わない。
 もっと刺激が欲しいと言えば不謹慎かも知れないが、どうにもピンと来ないのが正直なところである。

 で、考えた。複合的言葉に残っては居ないかと。
 すると、直ぐに浮かんだ。結婚させると言う意味の「娶す(めあわす)」は「め」+「あわす」だ。しかし、これでは女性に叱られそうだ。
 なにせ、「め=女」だけを「合わす」のだから。
 と言っても、「を(男)あわす」という言葉が無いのは僕のせいではないのだ。
 どちらにしても、表現に乏しくなった現代の言語生活では聞く事が少なくなった今では同じかな?聞いても意味を把握して呉れないのでは、気も萎えてしまうのだ。

「会う・逢う・合う」は「別れ」の始め

2007年04月16日 | Weblog
 「あう」という言葉は、何らかの関係を生じる事を前提としている。
 何の関係もなく、生じもしないのなら「あう」とは言わない。

 「逢って食事する。」は距離的接近と目的を持っての意志的行為。
 でも、知り合う以前は他人。「会う」の前に「出会い」が必要なんですね。
 これは、必然的という運命論的に考えようが何しようが偶然でしかないのです。
 まさに運命の分かれ道で、自分が幸せなのか不幸せの渦中にあるのか、想い出の中に埋没するのだろうか、それはそれで後の問題なのだ。運命は一端決定してしまう。
 「だからひどい目にあった。」か、「天使にあったように幸せ。」かという結果は「あう」事の因果結実でしかない。
 
 とは言え、現実に生きる身にしてみれば切実な事だ。
 だから、「あう」は、本質的な根幹の部分で受け入れられる事も必要である。
 「彼(彼女)とは性格が合う(合わない)」は、人によりけりなのだが、理屈でいかない所もあってね~…。
 せいぜい「服が合わない」程度の事なら自己責任で解決して下さい。

 さてそういう事からすると「わかれ」 とは、いったんは「であう」事を経て、別れて離ればなれになる事態を指す事になる。
 悲しい事ではあっても、別れてせいせいするに越した事はない。結局は心の問題といういつもの結論になるな~。
 別れが辛いなら出会わない事なのだが、そういうわけにはいかないのが人生!