言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

今津と今浜

2009年05月17日 | Weblog
 この金曜日に近江の今津に行って来た。この辺り一帯の町村合併で安曇川流域が全て「高島市」という「市」になった。
 今津町が市の中の一部となったのだが、何がどう変わったものでもない。相変わらず、閑散とした駅前に所在なげに喫茶店が一軒有るだけのそれこそ何もない湖西線の駅である。
 古来「今+津」なのだ。壬申の乱時は三尾の戦闘があったところでもあるのだが、扇子の骨を作るところとして有名ではある。それも今は家内工業としても成立しがたい消滅寸前のものとなっている。細々とした旧の街道付近を歩けば表に向かって明かりを採りつつ作業をしている姿が見られたものだったが、何処に行けども姿は無い。
 感傷に耽ると、「今」という固有名詞が付いた古代の息吹も空に舞い飛んで消えてしまった感があるのだ。「今」という言葉は「新しい・最近の」という意味なのだが、固有名詞として定着してからは古くなろうが「今」なのだ。
 嘗て、盛んに若狭からの街道を辿り、敦賀からの山越えの道を下ってきて、この津=港から船運で今日へと上っていったという重要な地点であったのだ。
 琵琶湖で船運というと、「丸子船」という特殊な形をした船がある。季節により変わる風や北湖を回流する三つの流れを巧みに利用しつつ、アチコチの港に荷を運ぶのに適した船である。
 今は浜大津から、ミシガンという外輪船を模したアメリカ南部に紛れ込んだかのような奇妙な船がウロウロしていて風情も何もあったものではない。残る港と言えば彦根、長浜。殆どが竹生島往復である。要は観光船ばかりなのだ。琵琶湖自体がいや滋賀県全体が観光を売り物にしているのだから仕方がないのだろう。
 又、横道に逸れてしまった。
 その「長浜」は秀吉が初めて城持ちの大名となった時に築城した所である。今津の対岸に当たる。その長浜は、それ以前は「今浜」と呼ばれるところだったのだ。
 先程の「今」を考えると、新しい浜という話になりそうだが、どうもそうではないらしい。長浜という名称が示すように延々と長い浜が南の「磯」集落まで続くのだ。
 水際の名前として、「浜」、「磯」、「渚」、「汀」などが揚げられるが、使い分けについては又の機会に触れよう。
 今浜が長浜に変わる時、浜は深く掘られて、琵琶湖畔に突き出た城が築かれた。浜ではなくなったのだ。浅井氏の小谷城が陥落し、典型的な山城が平野部に降りてくる時代を迎えて、より一層水運(兵員輸送も含めて)を重視した時代を迎えたという事なのだ。
 さ、それで今津なのだが、何故「戦車隊」がここにあるのか?それも、第3師団と第10師団の戦車隊が揃って此処にあるのだ。演習場としての立地だろうとは思うのだが、何だか腑に落ちなくて。
 話題が急に変わって申し訳ないのだが、疑問をそのまま言うのも面白くないので「今」の話をしたまでである。