言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

チヌーク三都巡り山科盆地と明智光秀(その15)

2019年01月31日 | Weblog



 東山丘陵と伏見丘陵の東に景色は移ります。見えて来ました山科盆地の全景です。
 左端下側が小栗栖です。明智光秀、竹籔から竹槍が突き出されて深手を負った為に自害した場所です。その場所を「明智籔」と言います。明智光秀胴塚もあります。
 上遥かに琵琶湖が見えるような見えないような。

京都東山から伏見(その14)

2019年01月30日 | Weblog

 伏見区上空です。正面上に伸びる丘陵は東山連峰。

 下側に、鳥羽伏見の戦いの伏見口戦場が見えます。団地になってます。伏見奉行所の跡地です。
 宇治川が見えてきました。

 その宇治川に山科盆地を下ってきた山科川が合流してます。

 伏見桃山城が見えます。勿論、場所も規模も本来の所よりも北側に、今は廃園となった遊園地よ目玉として作られたものです。

長岡京(その12)

2019年01月28日 | Weblog
 済みません。飛ばしてしまいました。チョット戻ります。

 右手に善峯川が流れる所へ小畑川が合流する。ここは古代より大量の河川水が流れ込む低湿地で、桓武天皇が長岡京を放棄せざるを得ない原因の一つになった所でもあるのです。条坊の南東角が、今も水垂れ地名に残る程の厄介な場所だったのです。
 右下によく知られる恵解山古墳が見えます。


 上手に貧弱に見える丘陵が手前に掛けて下ってきます。この丘が長岡京の大極殿などの官庁街が有った場所です。
 名前の通り、長〜い丘です。
 随分と昔、五歳年上の友人が前立腺癌を発症して、今の京都医療センター最上階で延々と何時間も掛かる検査手術を受けた時、暮れ行く西の空の下に黒黒とずーっと伸びる丘陵を見てました。
 友人の身を案ずる気持ちと、長岡京が何故長岡なのかを認識した事とがない混ざって、何とも言えない気持ちだった事を繰り返し、今も思い出します。

第104施設直接支援大隊15周年

2019年01月28日 | Weblog
 昨日は、大隊創設15周年の記念日でした。
 昼夜の部の二部構成で、将にまさに盛大に祝賀会が開かれました。
 隷下部隊の2個中隊、2個直支隊、4個派遣隊等の隊長及び先任曹長に大隊幹部ら20数名に混じるように、各応援団体や我々「北斗会」各人が、それぞれにお祝いの言葉を述べ、今までの歩みを労りをそして、これからの任務精励への願いを込めて、個々に話し合いました。
 とても意義ある会合となり、十二分に実りあるものでした。
 この大隊は、各種車輌保守点検にあたる等という、縁の下の未だ更に縁の下のような、實に全く目立つことの無い役割を担う部隊です。
 しかし、例えねじ釘1本でも疎かにしてはならない地道な努力の部隊でもあるのです。これからも、実直に努力を積み重ねて、日本の防衛の任務職責を果たして下さる事を期待してます。


 

大山崎天王山の戦場(その9)

2019年01月26日 | Weblog

 歴史的説明は不要かと思います。
 十数年前に、陸上自衛隊の某1佐から戦闘になると、高い所高い所へと自然と上ってしまうんですよと聞いた事がありました。

 その東、明智軍が展開していた地域に当たる。
 今は、名神高速道路の大山崎インターチェンジです。

サントリーウイスキー山崎工場付近(その7)

2019年01月26日 | Weblog

 国境の淀川を西に越えると摂津国に入る。手前の直線は東海道新幹線から山際に掛けて、阪急電鉄京都線、JR東海道線、山の中腹を名神高速道路が走る。
 真ん中下辺りは、楠木正成親子の別れの場として有名な“櫻井の宿”。

 更に北上して、下にサントリーウイスキー山崎工場が見えてきた。

 少しズームしたサントリー。
 時に稀少なウイスキーを買う為にわざわざ併設のウイスキー販売店舗に足を運んだりしたが、TVドラマ放映以降、人が増え過ぎた上に、欧米系亜細亜系の人達が押し掛けて来たものだから、18年物や15年物は消えてしまうし、7年物も高騰化してしまいました。

枚つー 掲載写真はここ迄かな?

2019年01月25日 | Weblog

 くずは上空です。画面の3分の1上にUR男山団地がびっしり建ってます。その手前左にくずは東公園。下の真ん中辺りにくずは中央交差点。

 くずはタワーシティのタワー棟です。最上階に有名な騎手が住んでいるとか。

 八幡市に差し掛かかりました。旧の京街道橋本宿上空です。ここに橋本の渡しがありました。戊辰戦争の時に、幕府軍敗残兵がこの隘路を急くように撤退した場所です。
 拡がる河原は“鵜殿”です。葦焼きは春の風物詩で有名ですが、左から右に仮架橋風の工事現場が見えます。新名神高速道路の淀川架橋工事中です。

「枚方通信」アップ写真の頃(その6)

2019年01月24日 | Weblog



 写真の説明がずれました。
 先程の2枚目の写真は星ヶ丘にある医療センターが中央に写ってます。従って、右斜め下へと走る国道1号線と分かります。
 この三枚の写真は、関西外大とクボタ工場へと移り行く光景です。
 「枚方通信」に投稿すれば良かったのですが、スマホからの投稿場所が分かりませんでした。単に、「ひらつー」のライン友達になっただけでした(^_^;)。

「枚方通信」にアップ写真が(その5)

2019年01月24日 | Weblog

 枚方市上空へとやって来ます。
 この頃から、「枚方通信」いわゆる“ひらつー”に目撃情報写真がアップされ始めてた時になるようです。
 そりゃ、ヘリコプター大編隊が突然に爆音轟かせて現れると多少驚くでしょうが、毎年のこの時期に実施されてる事なのです。

 枚方市駅が画面中央の奥に、そこから手前画面3分の一に府立枚方高校校庭。村野の集落が見えるので、交野市上空に居てると。