済みません。飛ばしてしまいました。チョット戻ります。
右手に善峯川が流れる所へ小畑川が合流する。ここは古代より大量の河川水が流れ込む低湿地で、桓武天皇が長岡京を放棄せざるを得ない原因の一つになった所でもあるのです。条坊の南東角が、今も水垂れ地名に残る程の厄介な場所だったのです。
右下によく知られる恵解山古墳が見えます。
上手に貧弱に見える丘陵が手前に掛けて下ってきます。この丘が長岡京の大極殿などの官庁街が有った場所です。
名前の通り、長〜い丘です。
随分と昔、五歳年上の友人が前立腺癌を発症して、今の京都医療センター最上階で延々と何時間も掛かる検査手術を受けた時、暮れ行く西の空の下に黒黒とずーっと伸びる丘陵を見てました。
友人の身を案ずる気持ちと、長岡京が何故長岡なのかを認識した事とがない混ざって、何とも言えない気持ちだった事を繰り返し、今も思い出します。