言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

昨日は、自衛官募集広報官懇談会(その28)

2019年02月17日 | Weblog
 7月の懇談会は豪雨災害直後で支障あって、参加希望者の全員が揃わない状態だったけれど、今回は盛会でした。
 募集広報官の皆さんに加え、駐屯地司令、師団部長、副団長、群長、大隊長等のご参加を得て3時間では足りず、約半時間近くも超過してしまった。
 しかも、まだ話し足りなくて場所を変え、そこでも閉店前迄。
 それぞれ話題はあちらこちらに飛んで、話の輪に出たり入ったりして、今日は、その余韻がくたくた疲労感として感じられます。
 飛鳥京辺りで、進路を西寄りに転じると、葛城と金剛の山並みが迫って来ました。早くも陽は標高の高い山稜に接しようかという勢いです。

別班について(その26)

2019年02月10日 | Weblog
 池上彰の現代史を歩く「スパイの世界」放映中で解説中です。
 私の読後感は前々回で既に述べてあるので繰り返さない。ただ、望むべくは、或る証言者の意見が取り上げられる事です。
 批判的にではなく、肯定的にこの番組部分を認められる事を願うものです。

 ヘリコプター大編隊は奈良盆地東山側をひたすら南下している。

平城京跡飛行中(その25)

2019年02月08日 | Weblog



 航空自衛隊奈良幹部候補生学校は、藤原不比等の邸跡の直ぐ北に位置しているので、この基地を訪問する度に古代との奇妙な時差で心が痒みを覚えます。
 復元された大極殿、そして朱雀門が続き二条の大通りに面してます。
 三枚目の写真手前が悲劇の主人公長屋王邸なのですが見えないと思ったら、国道24号線がぐにゃりと曲がってる内側に見えてました。以前に旧“そごうデパート”が華々しくオープンしたのが昨日の事のように思い出します。
 建設するに当たって掘り返したところが、凄い発掘成果でした。建物は今は総合スーパーに。ご丁寧にも屋上の特殊な部分は中国人が大挙して押し寄せるホテルとなってしまっていると知りました。時は残酷です。
 奈良公園の真上辺りを飛んでいるのです。
 しかし、先程から続く嘔吐気分が判断を鈍くしたのか、反対側にある筈の若草山や高円山を見逃してしまった。返す返すも残念!

「自衛隊の闇組織」講談社現代新書(その24)

2019年02月06日 | Weblog

 著者としては、「文民統制(Civilian Control)を逸脱する。」事が最大の問題点と指摘する。
 比較されるのが、旧軍で中央のコントロールが効かずに、関東軍の独断専行がミスリードした事であると言う事。又当時の中野学校の諜報活動が現在にも秘密裏に引き継がれていて、著者執筆活動や発表によっては危険を及ぼす事が指摘されたという。
 最後に列挙されてある複数の証言者の発言の中で、“国は別班の存在を認めて、海外でも活動できるような体制を作るべきだ。今、別班がやっている活動は茶番だ”は、薄々感じる我が国の防衛体制の弱点を衝いていると思われてならない。
 何度も変わる大臣に、そういった情報活動の詳細が聞かされる訳が無いというのも本当だとは思う。それは、組織としてのあり方からして当然ではないだろうか。一切が予算割り当てられた通りに、領収書付きでとなれば、諜報活動とはなり得ない。
 文民統制という名のもとに、素朴な牧歌的な国作りしか認めないという論は、逆に恐ろしく稚拙な気がしてならない。
 著者は、嘗ての日露戦争の時に、ロシア革命軍を背後から支援して、必死に諜報活動を続けた例にも触れられてあるけれど、その役割を是認するのかしないのか判然としない。
 激増する観光客の経済効果の算盤をはじくなら、その中に潜む危険性への対策に防衛予算を計上し、先の証言者の言にあるように各国と比しても劣らない機関を作るべきとは思えないのだろうか?

 航空自衛隊幹部候補生学校が見える。
 ウワナベ古墳とコナベ古墳に挟まれて、防諜上堅固な場所と言える。嘗て、警務隊長と話した時に、鉄壁の警護を誇っていたのを思い出します。
 この基地の厚生会前の樹樹から落ちるどでかい団栗は、他に無い程の大きさです。本当に大きいのですよ。

アクティブ•ディフェンスActive deffence(その23)

2019年02月04日 | Weblog
 今朝の日経新聞「防衛最前線1」で取り上げられた記事の注目軍事用語です。
 “攻撃を受ける前に相手の能力を失わせる概念だ。”とあります。
 原則的に攻撃を受けてから初めて防衛の為の反撃が許されるという、軍事的にあまりにも馬鹿げた理屈から離れる事が出来ます。
 目玉は、電磁パルス(EMP)弾。詳しくは、新聞紙面をご覧頂きたい。
 今朝、この記事を見て、やっと旧軍の呪縛から解き放たれるのではないかとホッと仕掛けて、はたと思案に耽った。
 砲撃や銃弾が飛び交う戦場に居る訳ではないけれど、恐ろしくなる程の科学の進歩をみせる現代では、地域や国そのものが一挙に無力化されてしまう武器が既に存在しているのです。
 映画「ダイ・ハード3」のように、交通や電気やガス等のインフラが乗っ取られてしまうだけでは済まなくなっている。
 最近では、ウクライナ紛争でロシア軍にこの種類の攻撃を受けて軍事的手段が麻痺してしまった為に対応が取れなくて多大な損害を被ってしまっている。
 もはや、地上、地下、海中、海底に空間、それも宇宙空間までと、手に届かないものは何も無い世界に私達は生きている訳です。
 そうであるが故に、アクティブディフェンス構想が一日も早く実現し、防衛の役割を果たしてくれる事を望むのです。

チヌーク、大和に(その22)

2019年02月03日 | Weblog


 大和国に入りました。
 機体の下は、奈良市街北側を東西に走る丘陵地帯です。
 「歌姫越え」という優雅な名前の緩やかな坂道を以て山背國との往還がなされました。
 前掲の木津川の木津は、伊賀國や近江國からの木材やその他の物資輸送の港である事から付けられた名前と分かります。
 またこの為に、奈良盆地から流れ出る河はただ一本、大和川しかありません。
 琵琶湖から流れ出る河が、瀬田川しかないのと同じです。
 が、この頃に機内の様子がおかしい事に気が付きました。皆さん大人しくというか、グッタリとして目を閉じて座ったまま!しまった、しまった!!
 眼にしてしまった為に、途端に胸に付き上げるものが湧き上がって、さぁー大変!持参のビニール袋を取り出して、口に当てたものの、胃袋からは何も出ない。
 しかし、機体は進む、時は過ぎゆく、袋を左手に持ったまま右手にスマホとカメラをぶら下げて、右手即ち西の方角にあたる窓に移った。

山城国、歴史的風景(その21)

2019年02月02日 | Weblog


 木津川市の山城郷土資料館が山裾が木津川に落ちる所にあります。以前は、よく行きました。
 超名高い「椿井大塚古墳」とこの地の古代からの地名「コマ、狛」になった大伽藍「高麗寺」があった場所です。
 今は、僅かに南門の礎石が残るのみです。榮耀榮華を誇った寺院回廊も夢と消えてしまって、数頭の牛が鳴いていた頃に訪れたので、その歴史の落差に一層無常感に包まれたのを思い出します。

京都府も南の果て(その20)

2019年02月02日 | Weblog

 京都府も南の果て迄来たようです。木津川市に入ります。
 右側にほそぼそと拓かれた山肌の人家の行き着く先は「神童寺」です。
 写真家土門拳が腰を据えて不動明王像や愛染明王像等の写真を撮ってたと、孫を背負いながら説明してくれた老いた寺僧が語ってた姿を思い出します。

映画でよく出てくる流れ橋でした。(その19)

2019年02月01日 | Weblog
 先程のアップした最後に、時代劇であれ現代であれ、映画ではさんざん出てくる木津川流れ橋です。

 山城大橋です。
 国道24号線と307号線が木津川右岸つまり手前側で交差してます。ここでは木津川は北上するのです。
 信楽へ往くときはここを通ります。
 嘗て、ブッシュ大統領が奈良のトイザラスを訪問した時は、この堤防の両脇に全国から動員した警察官がずーっと立って警戒してました。凄い数の警察官が居たものです。