言葉の旅人

葉🌿を形どって、綾なす色彩に耽溺です。

今年のカレンダー最終頁、護衛艦「いずも」

2014年12月26日 | Weblog
 来年の自衛隊カレンダーは、写真と暦とが切り離し出来るようになっています。写真頁を切り取って保存する人の要望に応えたようです。
 ところで、護衛艦「いずも」が最終頁を飾る今年のカレンダーには深い戦略的期待が込められていると思います。
 搭載可能なのはヘリコプターです。航空母艦のように戦闘機が離着陸する派手さはありません。如何にも地味な印象を与えるために、勇み立つ何か華々しい場面が欲しいところです。
 が、対中国海軍との力学に於いて非常に重要な意味があるのだそうです。
 日米安全の連携で米国艦隊が洋上に於いて活動する為には欠かすことが出来ない役割を担う事になる護衛艦になるのです。
 艦隊活動上で一番の阻害となるのは敵潜水艦による魚雷攻撃です。従って、三竦みの様な話になるのですが、潜水艦にとっての脅威はそれを補足して空中から索敵魚雷攻撃する兵器としてのヘリコプターが大いに有効な手段となる訳です。と言う事で、この「いずも」は中国にとって目の上の大きな瘤となります。
 命名進水式典の写真を眺めていて、じわりと重みが感じられてきます。切り取っておきましょう(笑)。
*来年のカレンダーご希望の方はお申し出下さい。
*「北斗会」新年会は1月31日午後2時30分、京阪樟葉駅「平八亭別館」で借り切り実施します。会費4千円(飲み放題付き)です。

米、台湾に軍艦4隻を売却へ

2014年12月24日 | Weblog
 台湾国防部(国防省)は19日、米海軍のフリゲート艦4隻を台湾に売却する権限を大統領に与える法案が米議会で可決され、オバマ大統領が18日に署名して発効したとして、米側に感謝の念を示す声明を発表した。
 これに対して早速、中国外務省の秦剛報道局長は、フリゲート艦売却について“中国内政への粗暴な干渉”と非難し、外交ルートを通じて米側に抗議したことを明らかにした。
 日本がフィリピンやベトナムに対し巡視船等を供与した時にも同様な反応を示したのだが、環礁地帯を埋め立てて一方的に実効支配の手を拡げようとする中国を牽制する実際的な手段としてはまだまだ足りない事は明白で有る。
 先日の豪州やインドとの整備拠点設置や、新興国に対する低利融資を早め着実に強固な結びつきをより大きくする必要があるのではないか。

旧日本軍の従軍慰安婦問題

2014年12月24日 | Weblog
 これは「過去ではなく現在と未来の問題だ」と、韓国の朴槿恵大統領が米民主党マイクホンダ下院議員と会談し指摘し早期の解決を期待すると述べたのが19日の事である。
 米国に於いてホンダ議員は、以前から慰安婦問題に対して日本糾弾の急先鋒として活動し続けていることは周知の事実である。
 2007年に慰安婦問題で日本政府に対して謝罪を求めた米国議会決議の提案者である。
 その時は唐突にして激しい日本政府への攻撃姿勢に大いなる疑問を抱たのだが、その後も吉田証言の虚偽が明らかになっても何ら変わること無く同じ主張を繰り返している。
 何故にそうも慰安婦の問題に固執するのか理解に苦しむところであるが、ホンダとある名前からも分かる様に韓国側としても同じ下院議員でも利用価値が高いと踏んでの待遇があるに違いないと推測される。
 ホンダ議員をわざわざソウルの大統領府に招いて会談設定をし、そして予定調和の声明を出し、日本の対応を要求する。同じページを繰り返し読み上げるに似た繰り返しに些かうんざりするにも限度がある。というか、もう無視しても良いのでは無いだろうか?もはや誰も振り向く事は無い程に価値が下がっている筈だと思えるのだ。

「日米防衛指針の改定延期」について

2014年12月22日 | Weblog
  前回に「装備品輸出支援企業へ低利融資」提言という記事について書いたばかりの翌日、安全保障法制を巡って与党の議論が終わっていないということで、指針(ガイドライン)改定期限を当初の年末から来年前半に先送りしたという。
 衆議院選挙対策を優先した結果、自公間の協議が進んでいない。それどころか、以前から議論が噛み合わず先延ばしをして時間稼ぎした揚げ句なのだからお粗末と言うしかない。
 隔たりは平行線のままでどれだけ延ばせば意見が合意する見通しがつくのだろうか? 
 来年に迫った統一地方選挙が終わってからと言うのではないだろうね?と、選挙を最優先する党人たちの思惑が、日本の防衛の在り方を何時までも落ち着かなくさせている元兇と言わざるを得ない。
 トルコへの戦車輸出は壊れてしまったとは言うものの、インドや豪州との協力の方向が具体的になり、周辺諸国へ低利融資してまでもジックリ同盟関係を結び固めて行こうという深謀遠慮はハナから論議だけに終わり、益々日本をアジアの東端の孤立した状態へと落とし込むことになるではないか!
 “機雷除去”、“周辺事態”の対立項目は日本の安全保障の在り方の根本的な問題なのだ。
 口先だけで言う「平和の党」は地球的な規模の見通しを阻害することを目的としているのでは無いかと疑うほどである。
 日米両政府は中国の海洋進出や北朝鮮による核ミサイル開発を踏まえ、1997年に定めた現行のガイドラインの改定で合意しているのだ。
 今年10月にまとめた新ガイドライン中間報告では、平時から有事まで途切れること無く切れ目無く両国で対処する事を掲げ、米艦の防護など自衛隊の米軍支援を拡大する方向性を打ち出している。
 一刻も早く、しっかりした法整備の元で自衛隊の活動を円滑化する支障を来すことは止めて欲しいものである。

装備品輸出支援企業へ低利融資

2014年12月19日 | Weblog
 F35整備拠点の記事の下に、「有識者会議が提言案」として掲載されてありました。

 海外展開を目指す企業への低利融資や、経済規模が小さい新興国を対象に購入資金の援助などの制度を検討するとあります。
 豪州と結びを強くすると同時に周辺のアジア各国への配慮というか、同盟を含めての規模拡大を図るためには予算的に困難な支出新興国に対するには必要な制度となるに違いない。2015年夏までにまとめると言う事だが、既に下準備も交渉も始まっていることは想像に難くない。
 4月に防衛装備移転三原則を閣議決定したものの、国家安全保障会議(NSC)審査「重要案件」が2件に留まっているという現状を、具体的に強力に推し進める制度となる事を願うものです。

日豪にF35整備拠点

2014年12月19日 | Weblog
 これは過去の記事では無くて、本日の記事です。

 潜水艦の話は以前に触れましたが、今度は戦闘機へと軍事力の共同(協同というべきか)歩調を合わせる動きが活発になって来ました。
 米軍の最新鋭ステルス戦闘機「F35}の拠点を豪州にも置く事になったと言う事は、即ち防衛装備品で初の参加国連携となる訳で、安全保障の枠組みが強固になる二歩目と言えるかも知れない。
 運用開始は2018年初頭までには始めるという。
 日本にとっては国産のステルス戦闘機開発を目指すためにも、一層の防衛産業の基盤強化にも繋げる良い機会でもあるといえます。

戦時メディアの責任正面から問う

2014年12月17日 | Weblog
 今年の9月29日、読書ページの紹介にあった本の事です。

 書籍の名は「国策通信社『同盟』の興亡」(鳥居英晴著)。
 価格¥5,000円は高過ぎて手が出ませんでしたが、読んでは見たいと思ってます。

 現在の共同通信社と時事通信社への分割前の国策通信社の話です。
 日本の総戦力体制構築を体現した組織として「同盟通信社」が誕生する。
 1931年に勃発した満州事変を契機に“ナショナル・ニュース・エージェンシー”設立が政府内に於いて計画され、1936年に政府の強引な介入で新聞連合と電通通信部が合併されて成立したものでありました。
 巨額の政府助成金が投入され、その情報活動は外務省や軍部と一体化してのだが、1937年の日中戦争勃発と共に国際宣伝戦の最前線に立ち、情報工作のため日系アメリカ人や語学堪能な左翼インテリを能力主義で続々と採用したと言う国策会社躍動感の秘密の由来が明らかに説明されている。
 戦局悪化と共に大本営発表が少なくなると、海外放送への対抗上やむなく「こっちも勝ったというニュースをデッチ上げてそれを放送していた」というのだから罪は深い。
 誰に強制されなくても、虚報が生まれるシステムは情報組織に内蔵している。と、あります。
 それは戦時下に限ったことでもない、と言う事は慰安婦問題のデッチ上げ記事を生み出した事など今更言うまでもありません。
 今日そして明日の報導が、と言う前に過去の報導も厳しく問い続けなければならない事であると思います。       
 
 

中国潜水艦インド洋で活動

2014年12月16日 | Weblog
 前回の「こくりゅう」記事と同じページに貼っておいた切り抜きです。
 同じく〝海上自衛隊新聞〟平成25年11月1日号の「一口国際関係」欄の見出しです。インド洋海域での活動が増加し、インドの海上安全保障に深刻な危険を与えているとするインド国防省の機密文書の内容を報じた。
 とあります。艦艇交信記録22回などの具体的な事例をあげています。
 日本の技術で豪州との潜水艦開発などの案件も最近取り上げられています。
 それらは南太平洋・インド洋と日本の生命線線上に当たりもします。
 日本近海での活動に関しては、既に言うまでもなく〝戦場〟に等しい状態が継続している(らしい)のですが。

22年度潜水艦「こくりゅう」命名

2014年12月15日 | Weblog
 「海上自衛隊新聞」 平成25年11月15日(金)付けの記事題字です。

 そうりゅう型、初の名称 とあります。
 Facebookにドック入りの写真を掲載しましたが、進水式から一年経ても未だ偽装中という奥の深さに驚嘆した次第です。
 使用頻度と過酷さから考えてみると、そうだろうなと想像します。

 そうりゅう型の6番艦、基準排水量2950㌧、全長84㍍、幅9・1㍍、深さ10.3㍍。
 主機関ディーゼル、スターリング機関、電気推進1軸で、就役は27年3月です。
 従って、今は最後の仕上げ最中という所でしょう。

 非大気依存推進(AIP)システム採用による潜水性能の向上、各種システムの自動化、高性能ソナー装備による捜索能力の向上、ステルス性能向上などを図ると共に安全対策を強化している。

 瑞祥動物の名からの命名として「こくりゅう」と言う事です。方位としての4龍で、黒は北を意味する事から一番最初に守るべき方位としてそれを選んだと言う事になります。
 「日本海」の守りですね。海を荒らすものを海底に引きずり込む龍として、活躍を期待したいところですが、そんな事態が起こらないことを願います。
 まさかの事態に備える。躊躇なく即応する。それでこその期待です。

「経済こそ平和の原動力」

2014年12月08日 | Weblog
 この記事も2007年8月25日のです。「世界を語る」の欄です。
 イスラエル大統領シモン・ペレス氏。1994年にノーベル平和賞を受賞してます。してみると、平和賞だけはノーベルとは違うという理由がよく分かります。
 石油収入の急増で豊になった中東の産油国がパレスチナを助けてくれる筈なのに、対パレスチナの支援の多くは欧州や日本からで、アラブからの支援は少なかった点を指摘している。
 その後も変わらず、溢れる富は自国の為にのみ使われ、更に富ますべく金融資本となって世界を飛び交うのは周知の事実である。
 面白い表現をしているので、引用しておく。
 「日本人は前向きな考えを持ったが故に、石を人に向けて投げるのではなく、美しい石庭を作る事に使った。いつかは過激な人々も石を投石のためではなく、庭のためにあると信じる様になるかもしれない」
 まだ「石」の方がましな世界になりました。

「社会不信 愛国の道へ」

2014年12月05日 | Weblog
 この記事も2007年のです。1月9日朝刊です。
 「ロスト ジェネレーション 8」予備自衛官補の訓練を受けている大学院生などの記事の中味ですが、中学一年の時にバブルが崩壊し失った10年が始まった時から危機感が続きます。
 高専2年生の95年1月阪神大災害ボランティアで惨状を目の当たりにする。3月サリン事件。東大修士課程経て02年重工メーカーに就職するも業績悪化、より良き環境を求めて退職。安定も安全も、泡の様に壊れていった。「脅威がこんなに身近にあるのに、…」。
 気が付けば日本が,身近で、守るべき、愛すべき存在になっていた。

 記事には沢山の赤い線を引いてありました。
 バブル崩壊は兎も角、直接見聞きした、災害と世界経済などと自分の仕事との結びつきに“虚”感を感じた事が動機となって居ると見て取れます。

 私が終戦生まれ最低出生率時代の申し子とも言うべき端境期感覚にありつつも、「遅れてきた軍国少年もどき」を今に到るまで引きずっているのとは違っていますが、内部に危機感を抱くという店では同じと言えます。
 理由の如何を問わず、安定的な生活を営む営まないの如何を問わず、フッと眼前の光景が暗転するのが事実としてあり得るならと言う想像(決して想定外では無い)。そういう危うさはあるのです。
 そうだから、何気なく“ん?”と危機を発したら三陸の大津波が起こってしまった。起こったことが偶然ではあっても、常にある危機感は“生きる”為に必要なんだと言う事です。
 「まさか自分が…」は、明日にでも・今でも“ある”んです。

 彼は「身の回りに頼れるものが無いと感じ、一足飛びに日本への思いを語る若者達。」の仲間入りとなり、結果として予備自衛官補の道を選んでいる。

 02年から採用が始まった予備自衛官補の倍率は平均約3倍にも上るとあります。現在は、自衛官志望青年のお試し受験で随分と膨れあがりましたが。

 さて、「北斗会」起ち上げの動機も“危機感”からなのですが…。始めてから6周年目、さまざまに思いは駆け巡ります。

「日本人は愛国心が足りないと思いますか?」(2)

2014年12月02日 | Weblog
 香港に於ける学生を主とする運動は、共産党による一党独裁支配を露骨に示し始めた事に反発し、民主的な選挙を求めた事に始まる。
 二年前の香港での教育介入に始まる。
 「愛国教育」導入への猛反発がそもそもの発端である。
 このように、国を愛するという事は何を意味するかによって如何様にもなり得る。単純に故郷・郷土を愛する様にとはいかない。
 政権を掌握するものの手によると目指すところが、その都合次第で目的とする帰着点が違ってくるのは我々自身も既に経験したとおりである。
 膨大な国土と人口を有していながら、異民族を吸収合併して抑圧的な支配を広げようとする時、愛国とは多数民族による異民族や低所得層の不満のはけ口を他に向けようとする事に他ならない。
 他国・他民族を敵視しする事で暴発を自国政府に向けさせないようにする手口なのだ。

 さて、我が国である。
 足りている論
 “ことさらに愛国心を意識していないことが、その国を愛している証拠”
 “自然な郷土愛の延長としてして有る”といったふうに、愛国心の欠乏を憂える論調をいぶかしがっている。
 足りていない論
 “政治への諦め感と国民の向上心の欠如”
 “国民を大切にしない政府の施策の結果”
 “不所持、犯罪、経済状況、どれをとっても愛せる国と思えない”など、政治不信が根底にあるわけで、今の為政者が愛国心を論じるなど片腹痛いという苦言となっている。

 この時既に“愛国心が、総中流社会の崩壊で増大する「見捨てられた人々」を組織化する安易な接着剤になるならば、社会をより荒廃した状況に引きずり込みかねない”
と、警告している。
 顕著に目立ちだしているヘイトスピーチ運動は置くとしても、領海や排他的経済水域での傍若無人な振る舞いや戦闘機による侵犯は日本国民の心理に本来の望むべき在り方としての愛国が、排他的排外的な方向へと向かった時、あまりにも危険な領域へと足を踏み入れる事になってしまいはしないかと恐れるのである。
 愛国や憂国と声高に唱える人達、警告を発する人達、それを憂える人達、真摯な論議の果てに得られるものが何であれ自由な論議が絶えず起こり続けることを今は望むばかりである。

「日本人は愛国心が足りないと思いますか?」

2014年12月01日 | Weblog
 さて、随分と長い年月に溜め込んだ新聞の切り抜き記事が或る種の飽和状態になり、ふと感慨に耽るともない気分が生じて、人生に於いてもここらが潮時かと思い、この際に止める事にした。
 飛び飛びではあっても、四十数年に渡って続けた習慣である。古い記事の多くは、糊の形の斑状にも茶色く変色している。
 紙面は毛羽立ち、しかも印刷活字も小さく薄い。こんな事に今更気がついたのではないのだが、若い時には何とも思わなかった活字に、老眼も進んでしまうとこんなにも読み辛いのかと、それら時代が過ぎ去った実感は迫ってくる。
 何度かに分けて捨てていきながら、果たしてこれらを如何に活かしてきたのかと自分に問うてみると、それも心許ない。頭脳に精神に生きていると胸を張って言いたいのだが、読み返してみると大掃除の時に出てくる畳下に敷かれてあった新聞紙を読む様な懐かしさと“そうだったのか!”と意外な新鮮さが押し寄せてくるのだから些か複雑な物である。

 朴正煕暗殺事件と言う衝撃的な記事であっても、今となってはその娘が大統領になっている“想定外”の出来事の前に埋めるべき連続的なものも無い。
 そうしてみると、断続的な切り抜き記事の持つ意味は、単発的な出来事や特集記事に焦点を当てて何らかの思いを述べて葬ってやることが、我が人生の締めくくりの一環と為しても相応しいのでは無いかと思う。知人友人の皆さんへの、一種の遺言と言っても良いのではないかとも思う。

 2007年(平成19年)1月13日(土)朝日新聞「Be-between」テーマ:愛国心
2369人が答えました。日本人は愛国心が足りないと思いますか?
 「はい」36%、「いいえ」38%、「どちらでもない」26%。足りている、いないが拮抗

 当時は、第一次安倍内閣が唐突に「美しい国」を標榜してなにやら時代の空気とは多少そぐわないことを言い出したぞと思ったのを思い出す。
 「愛国心」に言及しだした工夫の末の美しい国論なのだった。前年末に教育基本法に「愛国心」条項が盛り込まれ「伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛する態度を養うこと」を唱えている続きである。
 戸惑いのようなそぐわなさを感じたと言ったのは、先ず「愛国心」定義やそれに伴う諸々の着色を勘案するからであったのだ。
 戦前の国家主義の反省の国民的な合意、もしくは大筋の了解を得られままに過ぎ去ってきたこの戦後という年月は、清算への落ち着きをもたらす様な時間的な余裕は無かった。
 まして問題なのは、議論は百家争鳴ならまだしも、前時代的な精神を引きずった思想と、反動による無責任平和論主義論との大きく二極化した争論でしか無いすれ違いの不毛をいまだに続けているとしか見えない。
 時々刻々と移り変わる時代の器を受け止めた論議となり得てないのだ。
 “鬼畜米英”だったのが、敗戦の日を挟んでいきなり見事なまでに“平和と自由主義の賛歌”へと切り替わった。価値観の正反対転換を経験したのだ。
 従って、「愛国心」と問われた場合、あの日を境に日本を愛する心は問われるまでもなく勿論漏っているのだと胸を張って言える。
 が、問われてきた方向を考えてみると、私は私なりの思う日本を愛する心なんだよと言い換えておかないといけない気がするのだ。
 次回続きとして、当時の人々の反応をみてみよう。