青年期を最後に私は親父に近寄ることは無かった。幼少期の嫌な記憶が常によぎったからだ。
お酒好きで、ギャンブル好きな親父だった。小さい頃はよく、パチンコ屋、飲み屋に連れてかれた。私は小さいから無論楽しめる場所ではなかった。寧ろ居心地の悪い場所だった。パチンコのお金がなくなると、家の生活費をおふくろからよく奪い取っていたのも記憶がある。その頃はひと月何千としかならないような、内職をおふくろがしていたのも覚えている。箸やら灰皿なんかもおふくろに投げつけていた親父の姿も焼き付いている。
そんな親父が親父自身の誕生日に旅立った。あまりにも突然やった。
忌々しい記憶が先行する親父ではあったが、いつか許せる日が来るだろうって思っていた。そんな日が来たら会いに行こうって思っていたのに、何十年会うこともなく、成人になって一緒にお酒を酌み交わした記憶もないまま、無くなった。
ずっと寄ることも無かった親父が暮らしていた家に、葬儀の準備や片付けの為久しぶりに来た。ほとんどが昔のままだ。私が知らない物品は少ししかない。けれど死に化粧した親父の顔は私の記憶している顔ではなかった。
親父の死に悲しむことはないだろうって思っていたのに。なぜだろう、こんなに悲しくなるのは。嫌な記憶が先立つけれども、暖かな記憶が少しはあるからだろうか。
親父のいない親父の家。呼びかけたとしても帰ってくる返事はない。今は箱に入ったまま決して動く事のない親父が、線香の向こう側にいるけれど、やっぱり私の知っている親父はもういないのだ。
ずっと許せずにいたはずなのに、今はもう全てを許しているよ。
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