Mooの雑記帳

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3月21日(木) 政党交付金制度を考える(その1)

2024-03-21 20:05:52 | 日記

政党交付金(助成金)は、毎年1月1日現在で、所属する国会議員の数や過去の国政選挙の得票数に応じて、総務大臣に届け出を行った政党に交付されます。政党助成法は、その金額について次のように定めています。

第七条 毎年分として各政党に対して交付すべき政党交付金の算定の基礎となる政党交付金の総額は、基準日における人口(基準日の直近において官報で公示された国勢調査の結果による確定数をいう。)に二百五十円を乗じて得た額を基準として予算で定める。

今年2024年については、9党に総額315億円が交付される予定であるとメディアは伝えていました。(下はNHKの報道から)

国民一人当たり年250円、有権者数で割ると一人約300円のお金が各政党に配分されるわけですから、支持していない政党にも否応なく配分されることになり、果たして「政治改革」に値するのかどうか。

よく知られているように、日本の政党の中で、日本共産党だけが、この制度がつくられた当初から、①国民の思想・信条の自由を踏みにじる憲法違反の制度である、②政党の堕落と国民無視の政治を助長する制度であるとして反対し、受け取りを拒否しスジを通しています。私は、かつて、この一事をもってしても、日本共産党を支持するに値すると書いたことがありました。

1.政党助成金制度とは何か
総務省は、「なるほど!政治資金」で、政党助成制度(1994.2.4公布)について次のように簡単に書いています。

政党助成制度は、議会制民主政治における政党の機能の重要性にかんがみ、選挙制度及び政治資金制度の改革と軌を一にして創設された、国が政党に対する助成を行うことにより、政党の政治活動の健全な発達を促進し、もって民主政治の健全な発展に寄与することを目的とした制度です。(総務省 政党助成制度のあらまし

この説明を読んでも、全然「なるほど」とは思われませんね。大体、この助成金を受け取っているにもかかわらず「政党の政治活動の健全な発達」とはほど遠く、「民主政治の健全な発展に寄与」などしていないことは明らか。それどころか、自民党に至っては、裏金作りに汲々としている状態で、始末に負えない。

ところで、上の説明の「選挙制度及び政治資金制度の改革と軌を一にして創設」とはどのようなことか。一体、この政党助成金制度はいつ、どのような経緯で作られたのか。

2.政党助成金制度の歴史

この制度が作られたのは1994(平成6)年でした。細川内閣時に「政治改革」と称して、小選挙区制度とセットで持ち出されたものです。

1988年に、リクルート事件が発覚。下は鹿児島大学・吉田健一氏のレポートによるもの。(Wikipediaによる解説はこちら

リクルートによって関連会社のリクルートコスモス社の値上がり確実とされた未公開株が、中曽根康弘、竹下登、安倍晋太郎、渡辺美智雄など当時の実力者に譲渡されていたことが発覚した。当初は「リクルート疑惑」と報道されていたが、平成元年2月13日に江副浩正リクルート前会長が逮捕されて以降「リクルート事件」となった。当時の政治家や中央省庁の高級官僚が次々に逮捕され、金権腐敗に対する国民の政治不信が増大し「政治改革」のきっかけとなった。

未公開株の譲渡が閣僚級の政治家や高級官僚、財界人がリクルート社からの献金を受けていたという、金権腐敗を象徴するようなリクルート事件の衝撃は大きく、1989年春には竹下登内閣が総辞職に追いこまれ、さらに同年4月からの消費税導入に対する世論の反発や、竹下の後釜の宇野宗佑首相の女性問題などが重なり、同年7月の参議院選挙では自民党は大敗し与野党逆転が生じました。日本社会党を率いた土井たか子委員長が「山が動いた」と表現したのは有名な話ですね。

1989年、竹下総理の辞任を受け就任した宇野総理の諮問機関として第8次選挙制度審議会が設置され、90年に答申が出されます。この答申で、「政党中心」「カネのかからない選挙」等と称して、「小選挙区制の導入」、「政治資金の公開と規制強化」が打ち出され、同時に政党助成制度が提案されます。これをもとに、海部内閣が関連法案を国会に提出し、続く宮沢内閣時には、自民党案などが提出されますが成立には及びませんでした。
その後も、佐川急便事件、金丸巨額脱税事件など、政治腐敗事件が相次ぎます。
1993年6月には自民党が分裂、宮沢内閣不信決議案が可決されて行われた93年7月の総選挙で自民党が敗北、自民党から離れたグループを含む非自民8党会派による細川護煕内閣が誕生しました。この細川政権時に、選挙制度改革の目玉としての小選挙区比例代表並立制と政党助成制度の創設を中心とする「政治改革」関連法案が成立することとなります。

「政治改革」関連法の成立で存在意義を失った細川内閣は10ヶ月で幕を閉じ、自・社・さきがけ村山政権が発足します。金権腐敗の再発防止を表看板に、細川内閣も「将来的に企業団体献金を禁止する」「5年後に交付金総額を見直す」としていたものの、その後発足した自公を中心とする連立内閣は2000年に「見直し」をしないことを決定し、政党支部への献金は容認するという「企業献金禁止の抜け道」をつくって、政党交付金と企業団体献金の二重取りの仕組みの永続化を図ったのです。

国民からの厳しい批判に晒されながらも、「政治改革」の名の下に、濡れ手で粟の状態で政治資金をいかに自分のものにするかを最優先とした仕組み作りをやってきた結果が現在の税金を原資とする政党交付金の使い放題・ため放題、企業・団体献金の野放し、そしてご存じの政治資金パーティーによる裏金作りというわけです。

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