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《読書》許光俊『問答無用のクラシック』青弓社

2007-11-11 07:43:49 | 読書
●〔81〕許光俊『問答無用のクラシック』青弓社2007(2007.11.01読了)〈2007128〉

○内容紹介
カルロス・クライバーやギュンター・ヴァントらを悼み、大野和士の「正しさ」を称揚する。朝比奈隆に引導を渡し、コンサートホールまでの道のりに思いを馳せる。ますます弛緩するクラシックの世界に斬り込んで渾身の一撃を加える。
カルロス・クライバーらの演奏家を俎上に載せ、『魔笛』『蝶々夫人』などのオペラを厳しく採点し、「バレエをいやがる男たちの心理」を語る。レクイエムの現代の意義を説き、巨匠幻想をぶち壊す。許イズムで「クラシックの現在」を縦横に語り尽くす快作!

○この本のなりたち
 本書に掲載されているのは、各種雑誌などのために書いた文章、および、発表の可能性はわからないが筆のおもむくままに書いた文章の両方である。基本的には書かれた当初の姿を守っており、大幅な加筆はしていない。ちなみに本書掲載中、自分でもっとも気に入っているのは、最後の「架空庭園」で、これは「ユリイカ」(一九九六年四月号、青土社)のために書いた。
 五年前に出した『クラシック批評という運命』(青弓社)が私の二十代の記録集というのなら、これは三十代のアルバムということになろう。両者を比べてみると、スタイルの変化は如実だ。われながら、時の過ぎ去るのは速いことよと思う。「邪悪」をキーワードにしてやりたい放題をしてやろうと思っていたのが二十代だが、そのあと、抑制というのを覚えた。見極めというのを学んだ。不埓なたとえかもしれないが、ともかく道を歩いている美女にはすべて声をかけなければ気がすまないのが二十代だとしたら、じっと観察して、陥落しそうな女だけに的を絞るようになったのが三十代だったと思う。ただし、習熟だの賢明だの巧妙だのというのは、衰微と紙一重であることは肝に銘じているつもりだ。(「あとがき」p.243)



○『パタリロ!』
 「『パタリロ!』は優雅に」と「ひとりぼっちのパタリロ」という2本のパタリロ論が載っています。
 『パタリロ!』は暗記するほど何度も何度も読み返したが、それでも飽きない。こうなると、ベッドサイドの『聖書』のようなものである。あるときはひとつの台詞の深い意味を考え、あるときは登場人物の心の機微に感じ入り、あるときはパタリロの顔が変化するさまを眺めながら、世の不思議を思う。(「『パタリロ!』は優雅に」p.208)

 パタリロは王様である。
 そういう設定だから、私たちはすんなりと受け入れてしまうけれど、本当はたいへんなことなのである。
 しかも、わずか十歳にして王様である。テン才ということなのだろうが、パタリロがテン才とはダジャレに終わるものではなく、実際に頭脳明晰であるらしい。(「ひとりぼっちのパタリロ」p.209)


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