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《読書》米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川書店

2006-06-24 08:35:50 | 読書

●〔42〕米原万里『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』角川書店 2001
(2006.06.20読了)
 2006年6月13日にNHK-BS2で「追悼 米原万里さん 世界・わが心の旅 プラハ 4つの国の同級生」という番組が放送されました。この番組は1996年2月に放送されたものの再放送です。1960年、プラハのソビエト学校で同級生だった3人の友達(ギリシア人・リッツァ、ルーマニア人・アーニャ、ユーゴスラビア人・ヤスミンカ)を米原万里が訪ねて、再会を果たすという内容です。
 プラハのソビエト学校で学んでいた生徒は、各国の共産党関係者の子弟です。その後、1989年の東欧革命及び1991年末のソ連の消滅により、東欧の社会主義圏は崩壊してしまいます。それにより、リッツァ、アーニャ、ヤスミンカも激動の人生を歩むことになります。したがって、彼女たちと30年ぶりに再会を果たす話は、必然的に感動的な物語となっています。
 この本も同じ中身です。面白く読むことができましたが、先にテレビ番組を見ていたので、ややネタバレでした。しかし、本の方が当然、背景や状況などが詳しく書き込まれていました。「社会主義」というものを考える上で多くの情報を提供してくれる本だと思います。


 その日の授業は、マリヤ・アレキサンドロヴナ先生のこんな質問からはじまった。
「人体の器官には、ある条件の下では六倍にも膨張するものがあります。それは、なんという名称の器官で、また、その条件とは、いかなるものでしょうか」
(中略)
「では、ターニャ・モスコフスカヤ、あなたに答えてもらいましょう」
(中略)
「だって、マリヤ・アレキサンドロヴナ先生、あたし、恥かしくて答えられません」
 ターニャはさらに激しく身をよじりながら、弁解した。
「私の両親は、パパもママもとても厳格なんですよ。おじいちゃまの名に決して恥じないよう、はしたない言動は慎みなさいと、いつもいつも言い含められていますもの。先生は、そんな私に恥をかかせる気ですか? 絶対に絶対に答えられません。口が裂けても嫌です」
(中略)
 それで、先生は、矛先をヤスミンカに向けた。
「よろしい。では、ヤスミンカ・ディズダレービッチ、同じ質問に答えてください」
 ヤスミンカは、即座に立ち上がって簡潔に答えた。
「はい。突然明るいところが暗くなったような条件下の瞳孔です」
「その通り、ヤスミンカの答えは正解です。瞳孔は、ちょうど写真機の絞りの役割を果たしているのですね」
 マリヤ・アレキサンドロヴナ先生は満足げにヤスミンカの方を見やって、座るように合図すると、ターニャの方に向かって言い添えた。
「モスコフスカヤ、あなたには、三つのことを申し上げておきましょう。第一に、あなたは宿題をやって来ませんでしたね。第二に、とても厳格な家庭教育を受けておいでとのことだけど、そのおつむに浮かぶ事柄が上品とは言い難いのは偉大なお祖父様のおかげかしら。そして、第三に……」
 と言いかけたところで、先生は突然恥かしそうにうつむいて口をつぐんだ。
(中略)
 先生にそう言われてヤスミンカは腰を下ろしかけたのだが、何を思ったのか再び立ち上がった。
「あくまでも私の想像なんですが、先生がおっしゃりたかったのは、次のようなことではありませんか」
「はあ」
 マリヤ・アレキサンドロヴナも生徒たちも虚を突かれて間が空いた。その隙を突くようにヤスミンカは顔色一つ変えることなくサラリと言ってのけた。
「第三に、もし本当にターニャがそう思っているのなら、そのうち必ずガッカリしますよ」
 そして腰を下ろした。五、六秒ほどの沈黙に続いて教室全体が振動するような笑い声が響き渡った。マリヤ・アレキサンドロヴナも顔を真っ赤にして笑い転げている。どうやら図星だったみたいだ。(pp.195~199)

 上記のジョークはどこかのジョーク集で読んだことがあります。これが、オリジナルなのかもしれません。ただ、この本は大宅壮一ノンフィクション賞を受賞しているので、ノンフィクションなのでしょうが、あまりにもよくできすぎている気もします。

(ドイツで医者をしているリッツァに対して)
「それで、ドイツ人やドイツでの生活には満足しているの」
「ぜんせん。もちろん、病気じゃないかと思うほど街も公共施設も清潔なのは気持ちいいけれど、ここはお金が万能の社会よ。文化がないのよ。チェコで暮らしていた頃は、三日に一度は当たり前のように芝居やオペラやコンサートに足を運んだし、週末には美術館や博物館の展覧会が楽しみだった。日用品のように安くて、普通の人々の毎日の生活に空気のように文化が息づいていた。ところが、ここでは、それは高価な贅沢。」(pp.79~80)

 「物質的には貧しくても心は豊かだ」というのは、かつては社会主義国を賛美する言説でしたが、それが、ここに出てくる意味は何なのでしょう。

 市民図書館で借りました。

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