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●〔51〕小谷野敦『帰ってきたもてない男-女性嫌悪を超えて-』ちくま新書 2005 (2005.07.16読了)
あの『もてない男』が帰ってきました。期待通りに面白い本でした。突っ込みどころ満載。
★『もてない男』その後
★文化人についてのゴシップ好きとジェラシーの素直な表出
★ルサンチマンと断言
★それでも、もてたい、結婚したい
★エトセトラ
その他、テレクラ、出会い系サイト、結婚情報サーヴィス業の体験記もあります。もはや学者の評論というより、身を切ってウケをとる芸のようにも思えます。
●〔51〕小谷野敦『帰ってきたもてない男-女性嫌悪を超えて-』ちくま新書 2005 (2005.07.16読了)
あの『もてない男』が帰ってきました。期待通りに面白い本でした。突っ込みどころ満載。
★『もてない男』その後
ところで私的なことながら、私は『もてない男』を出した年の秋に「結婚」した。「裏切り者」などと言われたのは当然ながら、もともと無茶だった遠距離「結婚」生活は、三年ほど続いたあげく、終わった。(中略)どのような結婚生活だったか、あるいはどのようにして終わったのか、ということは、前妻が雇った弁護士から、書くな、書いたら訴える、と言われているから、書けない。(p.9)こう書かれるとかえって知りたくなるのが人情ですが…。
★文化人についてのゴシップ好きとジェラシーの素直な表出
「若いことはほんまにもてへんかった」と言っている井上章一は、しかし二十代で美しい女性と結婚しているから、私としてはとうてい認めがたいのだが、四十一の時からピアノを習いはじめて、ライヴハウスで演奏するまでになったのも、クラブなどで女性にもてたかったからだ、と『アダルト・ピアノ』(PHP新書)に書いている。(中略)今からピアノを再開しようか、と思ったのだが、井上さんのはジャズ・ピアノである。私は、別の本で書いたとおり、クラシック派であって、ジャズはどうも好きではない。まあ、井上さんの「もてる」というのは、せいぜいクラブホステスにちやほやされる、というレヴェルであろうし、特に羨ましくはない。(p.55)東大名誉教授というのは認知心理学の佐伯胖です。宮台真司と敬虔なクリスチャンの令嬢というカップルの今後は、小谷野敦でなくとも気になるところでしょう。
柴田元幸は、そのエッセイで、自分は運動音痴であった、と書いている。のみならず、柴田は身長が私よりも低い。ところが、この柴田が、けっこうもてるらしいのである。なぜだろう、と思っていたら、やはり、柴田は、音楽ができるのであった。もちろん、アメリカのポップ・ミュージックである。(中略)そこへいくと、ただでさえ運動音痴なのに、好きな音楽はクラシック、趣味は歌舞伎と落語、などという方向へ行ってしまった私が、同世代の女性から浮き上がってしまったのもやむをえないか、とは思う。学生時代、友人に、ベンジャミン・ブリテンの話をしていたら、「君ねぇ、そんな話題持ち出したって女の子は白けるだけだよ」などと言われたことがある。(中略)カラオケへ行っても持ちネタはアニメと軍歌という私では、そりゃあもてまい。(p.56)
『もてない男』で私は、美人マンガ家の岡野玲子がマンガ界の神様のような手塚治虫の息子・手塚真と結婚したのがちょっと羨ましかった、と書いた。ところで、刊行後しばらくたって、読者から、この書き方だと岡野玲子が妬ましいように見えますが……。というお便りが来た。鋭い。私は岡野と結婚した手塚が羨ましいのではないのだ。同じように、猪口孝(妻・猪口邦子)や岩井克人(妻・水村美苗)が妬ましいのでもない。カップルに対して妬ましいのである。とはいえ、ちっとは妬ましくない有名人カップルというのもいる。まあ、さしさわりのないところで言えば、弘兼憲史と紫門ふみとか。その理由は、さしさわりがあるから言わないが……。(pp.67-68)
歌人の枡野浩一が、妻(漫画家の南Q太)から突然離婚と慰謝料を要求され、しかし裁判で自分の言い分が通って和解金を妻のほうが払い、月に一回子供に会わせる約束をしたのにどこかへ雲隠れしてしまった、という愚痴を延々とあちこちに書いている。(p.86)
宮台真司など、都立大助教授の身でありながら、テレクラで人妻狩りをしたとか、援助交際もしたかのように言っていたが、(中略)その宮台は二〇〇五年三月、東大名誉教授の娘で二十歳年下の、日本女子大卒の令嬢と結婚した。令嬢は敬虔なクリスチャンで、一度デートしたらそれ以外の人とはつきあわないということだと考えていたという(『週刊新潮』二〇〇五年三月十七日号)。宮台、これからどうするつもりだ(おそらく真面目な評論家社会学者になるのだろう)。(p.125)
★ルサンチマンと断言
たとえこれ以後私がどれほどもてるようになろうとも、若いころもてなかった、三十まで童貞だったという怨念だけは忘れない。(p.11)説得力があるようなないような。
だから、もう断言してしまおう。二十代のうちは、処女童貞であっても、むやみに恥じる必要はないいが、それも三十歳になったら、三十まで処女童貞を守っただけで立派である、であるから今後はなるべく早く何とかするように、と。十六くらいで「早く処女を捨てたい」などと思う小娘も困りものだが、三十過ぎて「結婚式まで体は許さない」などという女も困りものなのである。(p.165)
★それでも、もてたい、結婚したい
そこで私も、一度この「七ヶ条の求婚条件」というのをやってみたい、と思ったのだが、まさか新聞には載せてくれないから、ここに載せておく。ちょっとハードル高過ぎ。
一、一流または一・五流大学卒または大学院修了
二、二十五歳から三十四歳、初婚でなくともいいから子供はいないこと
三、専門でなくともよいが、文学や演劇に関心があること、ただし古典的なもので、『源氏物語』くら一般教養として原文ないし現代語訳で読んでいること、シェイクスピアも翻訳でいいから五、六点は読んでいること、谷崎や川端が好きというのが望ましく、村上春樹、江國香織などは不可。演劇は、歌舞伎、能楽、ギリシャ劇、チェーホフなど。宮藤官九郎が好きなどというのは不可
四、特に美人でなくともよいが、私の好みの顔だちであること
五、ちゃんと仕事をもっていてそれを続ける意思のあること
六、首都圏在住可であること
七、煙草を嫌がらなければ、性格は悪くてもよし
なお、一流または一・五流大学というのを具体的に言うと、東大、京大、一橋、東京外大、東京藝大、慶応、上智、早稲田(学部による)、ICU、お茶の水大、日本女子大、東京女子大である。(pp.208~209)
★エトセトラ
「ゆとり教育」の擁護者、特に文科省におけるスポークスマンだった寺脇研の発想は、「全ての子供には無限の可能性がある」という、(中略)そして実は、すべての子供に無限の可能性がある、といった能力差を認めない考え方は、スターリンのものだった。実は寺脇は、スターリニストなのではないかと私は思っている。実際、「大衆にわからないものは文化ではない」(『落語の世界2 名人とは何か』岩波書店)と寺脇は言っており、これはまさにスターリンが言っていたことで、こう言いつつスターリンは、ショスタコーヴィチなどの前衛藝術を弾圧したのである。(pp.31-32)いきなり「スターリニスト」と決めつけるところがすごいですね。
東大には、女子学生は他大学からでなければ受け入れないというようなテニスサークルがあるらしく、私は数年前、これを「従軍慰安婦を連想させる」と船曳建夫先生が東大教養学部報に書いているのを見て知った。(p.75)さすが東大!
私は数年前から気になっていることがある。小泉純一郎に、セックスの相手はいるのだろうか、ということだ。(p.112)私は特に気にならなかったのですが…。
ところで、避妊について、ちょっと気がついたことを書いておくと、セックスの前に前戯がある。この時、男の手に、わずかに滲み出た精液が付着することがあって、その手で女の陰部に触ると、危険ではないかと思う。必ずしも、挿入の際にコンドームを着ければいいというものではないので、注意していただきたい……そういう注意をすべき場所ではないかもしれないが。(pp.168-169)ホントなの? しかし、経験豊富な人が言うならともかく、小谷野敦が言ってもあまり説得力は無いと思います。
その他、テレクラ、出会い系サイト、結婚情報サーヴィス業の体験記もあります。もはや学者の評論というより、身を切ってウケをとる芸のようにも思えます。