「きみはいい子」の小説を読んで思い出した、息子と、友だちのこと。
初めて自分で仲良くなった友だちとお別れしたこと。
私は、当時あまりに悲しくて日記に残しました。
↓
H君は、息子が幼稚園の年少組になって初めてできたお友だちだ。
入園当初、戸惑いからか落ち着きなく離席することの多かった息子。
入園式から泣いてばかりで、これからやっていけるんだろうかとお母さんを心配させたH君。
母親同士が仲良しのわけでもなく、席が近いわけでもないのに、なぜが気の合った二人。先生も、不思議がるほど。
入園当初は、ちょっぴり劣等生だった二人が、お互いを通して、幼稚園に居場所をみつけ、二人打ち解けるほどに、園の生活にも馴染んでいったんだろう。
私が迎えに行くと、H君の上履きをはいた息子が出てくることがあった。
担任のベテラン先生いわく、
「どうしてだか、この二人、いつも一緒にいます。」
担任の若い先生いわく、
「お互い好きすぎて、靴まで交換しちゃいました」。
Hくんは、色が白くて、お兄ちゃんがいて、見た目はそんなにやんちゃっぽくなく、繊細そうな感じ。
でも、息子曰く
「H君がね、『○○くん、行こ行こ』って言ってくれたの」
と、誘ってくれたのは、もっぱらHくんの方だったよう。
バザーの時、ぐずりだした息子を家に帰したあと、H君が、私の目の前に現れた。
「○○君は?」
帰っちゃったよ、というと残念そう。
そして、それから何度となく私のもとに来ては、
「○○君来てたの?」「○○君は?」と尋ねてきた。
その様がかわいらくして、息子を気にかけてもらえることが、ありがたくてうれしかった。
その日を境に、幼稚園で顔を合わせると、私にも手を振ってくれるようになった。
私もH君が大好きになった。
息子の口からも、H君の名前が消えることはなかった。
そのHくんが、夏休みに、四国に引越してしまった。
お父さんの転勤が急に決まったらしく、みんなに顔を合わすことなく、さよならになってしまった。
息子もちゃんと、さようなら、ができたらよかったのになあ。
意味がわからなくても、ぎこちなくても、初めてできた、大切で大好きで、いつもいっしょにいてくれた友だちに、
きちんとした「別れ」ができたらよかったのになあ。
終園式のとき、ちゃんと遊べたのかな。
先生から、Hくんのお母さんに、
「○○君ととても仲良しだったのに、残念ですね」
との言葉があったとか。
H君のお母さんにメールで挨拶すると教えてくれた。お母さんも、
「○○君のおかげでHは幼稚園に楽しくいけるようになりました。感謝しています」
と書いてくれた。
たった三カ月のお付き合いだったけど、
H君のおかげで息子は、ちゃんとした幼稚園生になれた。自分を必要としてくれる友だちを持つことができた。
すぐに忘れちゃうんだろうけど、きっと悲しくなるくらいお互いすぐに別の友だちができちゃうんだろうけど、でも、いいよね。
何かは刻まれたはずだから。
このつかのまの時間の中で小さな体が真っ白な心が獲得したことは、二人にとって、大事なものになるはずだもんね。
H君、ありがとう。○○と仲良くしてくれて。
新しい土地で、たくさん友達作って、幼稚園生活を楽しんでね。
○○も、二学期から頑張るね。新しい友だちができるように、頑張るからね。
↑
友だちが去ってから、私が気がかりだったのは、息子にH君みたいな仲良しの友だちが再びできるんだろうか、ということです。
実際、できなかった。今も、まだH君を超える友だちはいません。
幼稚園は好きだし、いろいろな友だちと遊ぶのは好き。一時保育でも、すぐになじむ。ただ、H君はあらわれません。
私が、気負って場を提供したり、私の友人の子供と交流させても、やっぱり同じ。
いつも息子が家に帰ると名前がひっきりなしにでてきたH君は、H君みたいな友だちはあらわれません。
この小説を読んでふっと思いました。
母親の私をこれほど感傷的にさせた、息子と友だちの出会いが、そんなに簡単に、どこにでも転がっているはずがない。
「子どもだから」と軽く考えて、高を括っていたのかもしれません。
子どもでも、たぐいまれな出会いはあるし、簡単に代用のきかない関係があるんだってことを。
初めて自分で仲良くなった友だちとお別れしたこと。
私は、当時あまりに悲しくて日記に残しました。
↓
H君は、息子が幼稚園の年少組になって初めてできたお友だちだ。
入園当初、戸惑いからか落ち着きなく離席することの多かった息子。
入園式から泣いてばかりで、これからやっていけるんだろうかとお母さんを心配させたH君。
母親同士が仲良しのわけでもなく、席が近いわけでもないのに、なぜが気の合った二人。先生も、不思議がるほど。
入園当初は、ちょっぴり劣等生だった二人が、お互いを通して、幼稚園に居場所をみつけ、二人打ち解けるほどに、園の生活にも馴染んでいったんだろう。
私が迎えに行くと、H君の上履きをはいた息子が出てくることがあった。
担任のベテラン先生いわく、
「どうしてだか、この二人、いつも一緒にいます。」
担任の若い先生いわく、
「お互い好きすぎて、靴まで交換しちゃいました」。
Hくんは、色が白くて、お兄ちゃんがいて、見た目はそんなにやんちゃっぽくなく、繊細そうな感じ。
でも、息子曰く
「H君がね、『○○くん、行こ行こ』って言ってくれたの」
と、誘ってくれたのは、もっぱらHくんの方だったよう。
バザーの時、ぐずりだした息子を家に帰したあと、H君が、私の目の前に現れた。
「○○君は?」
帰っちゃったよ、というと残念そう。
そして、それから何度となく私のもとに来ては、
「○○君来てたの?」「○○君は?」と尋ねてきた。
その様がかわいらくして、息子を気にかけてもらえることが、ありがたくてうれしかった。
その日を境に、幼稚園で顔を合わせると、私にも手を振ってくれるようになった。
私もH君が大好きになった。
息子の口からも、H君の名前が消えることはなかった。
そのHくんが、夏休みに、四国に引越してしまった。
お父さんの転勤が急に決まったらしく、みんなに顔を合わすことなく、さよならになってしまった。
息子もちゃんと、さようなら、ができたらよかったのになあ。
意味がわからなくても、ぎこちなくても、初めてできた、大切で大好きで、いつもいっしょにいてくれた友だちに、
きちんとした「別れ」ができたらよかったのになあ。
終園式のとき、ちゃんと遊べたのかな。
先生から、Hくんのお母さんに、
「○○君ととても仲良しだったのに、残念ですね」
との言葉があったとか。
H君のお母さんにメールで挨拶すると教えてくれた。お母さんも、
「○○君のおかげでHは幼稚園に楽しくいけるようになりました。感謝しています」
と書いてくれた。
たった三カ月のお付き合いだったけど、
H君のおかげで息子は、ちゃんとした幼稚園生になれた。自分を必要としてくれる友だちを持つことができた。
すぐに忘れちゃうんだろうけど、きっと悲しくなるくらいお互いすぐに別の友だちができちゃうんだろうけど、でも、いいよね。
何かは刻まれたはずだから。
このつかのまの時間の中で小さな体が真っ白な心が獲得したことは、二人にとって、大事なものになるはずだもんね。
H君、ありがとう。○○と仲良くしてくれて。
新しい土地で、たくさん友達作って、幼稚園生活を楽しんでね。
○○も、二学期から頑張るね。新しい友だちができるように、頑張るからね。
↑
友だちが去ってから、私が気がかりだったのは、息子にH君みたいな仲良しの友だちが再びできるんだろうか、ということです。
実際、できなかった。今も、まだH君を超える友だちはいません。
幼稚園は好きだし、いろいろな友だちと遊ぶのは好き。一時保育でも、すぐになじむ。ただ、H君はあらわれません。
私が、気負って場を提供したり、私の友人の子供と交流させても、やっぱり同じ。
いつも息子が家に帰ると名前がひっきりなしにでてきたH君は、H君みたいな友だちはあらわれません。
この小説を読んでふっと思いました。
母親の私をこれほど感傷的にさせた、息子と友だちの出会いが、そんなに簡単に、どこにでも転がっているはずがない。
「子どもだから」と軽く考えて、高を括っていたのかもしれません。
子どもでも、たぐいまれな出会いはあるし、簡単に代用のきかない関係があるんだってことを。