すれっからし手帖

「気づき」とともに私を生きる。

自分を知る、相手を知る

2006-05-14 21:04:06 | ひとりごと

相手に何らかの感情を感じさせたいと画策することは、
ほとんどの場合失敗に終わるだろう。
相手が自分を好きになるように仕向けても、
うまくはいかない。
相手は相手の理由で、
感じたいことを感じ、
好きだと思う人を好きになる。

相手に感じて欲しくない感情を
感じさせないようにすることは、ほぼ無理に近いだろう。
相手に別の人や物事に興味を持たないでと懇願しても
うまくはいかない。
相手は相手の理由で、
感じたくないことは感じないし、
興味や関心のベクトルも自由に向ける。

人が感じていけないことはない。
周囲に迷惑を掛けたり、傷つけたりする、
という理由で、
口にしてはいけないことはあったしても、
感じていることは、感じていることだ。
たとえ悪い感情であっても、
感じでいる事実を消すことはできない。

感じるのをやめるということは、
人にとって心の死を意味する。
感じることをごまかすことで、
自分を殺してはいけないように、
感じることをやめさせることで、
相手も殺してはいけない。

だったら黙っていればいいのか、というと、
そうではない。
自分と相手、散々葛藤して、
お互いの感じ方を明かし合えばいい。

自分の感じていることを素直に認め、
それを相手に告げること。
相手が感じていることを否定しないで聞き入れ、
それに率直な感想を言うこと。

それが、
自分を知るということ、
相手を知るということ。
関係はそうしてはぐくまれるものだ。



自分を納得させる難しさ

2006-05-14 02:06:36 | ひとりごと

普通、
他人は自分の言いなりになってはくれない。
そして、
自分自身だって自分の言いなりになってくれないことが多い。

自分を納得させるのって、
実はものすごく難しいのだ。

ある事柄について、
納得できない自分に出会ったら、

「自分はなんて融通が利かないんだろう。
聞き分けが悪いんだろう。
頭ではわかっているのに、
どうして自分はそれが納得できないんだろう」

と落ち込むばかりでなくてもいい。
むしろ、その事柄に反応する自分の芯の部分に、
“譲れない、大きな何か”があるということに、
気づくことが大切なのかもしれない。

周囲からは、つまらない物に見えても、
自分にとっては、
かけがえのない何かなのだろう。
今は、捨てられない、
捨てたくない、何かなのだろう。

そんなときは、
納得できない自分に観念して、
その自分のままで、
迷い、苦しみ続けるしかない。

自分を動かせるのは、自分。
結局最後は自分なのだ。
家族や友達、占い師や自己啓発本、
周囲の助言で動くことができても、
それが、自分の本心と合致しないものだったら、
やがてブレーキがかかる。
他人のアドバイスに一旦は納得しても、
自分の奥深くに相容れないものが潜んでいたら、
結局は、自分の本心を優先させることになるだろう。

それって普通で自然なことなのだ。
自分は納得していないのに、
周囲の意思で突っ走ることのほうが、
危険なことかもしれない。

さまざまな葛藤や心のプロセスを散々繰り返して、
“その日”は来るかもしれない。
“譲れない、大きな何か”が、
もう、自分にとって必要でなくなるその日。

自分が自分で納得させることができたときに初めて、
多少のことでは挫けない意思や力がわいてくる。
失敗したり、挫折したりしても、
人のせいにしないでもすむ覚悟もできる。

自分の人生は、
そうやって一つ一つを自分に納得させて、
自分が作っていくものなのだ。

もちろん、
一生かかっても、
自分で自分を
納得させることができない事柄もあるだろうけどね。