師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

ふたあたま

2011年03月03日 | 天意の実践

これは、神降ろしを師匠が始めた頃に、あるお客さまに対して、

降ってきた言葉だ。

『ふたあたま』

あたまが二つある。

二律背反が本人の中で成立している思考。

二重人格に似ているが、根本においては違う、と知った。

いろいろな方とお話しをさせていただいているにつれて、

それこそいろいろあると痛感する。

なかでも、話をしていて違和感がある場合。

「たぶん、うそなんだろうな、真実には程遠い。」

と、師匠は言う。

聞いていて、辻褄があわないことを一生懸命に話している。

それは、本人だけの真実。または、そういうことにしたい

という、願い。

以前はその程度であったし、『ふたあたま』などという事例は

そうそうないかと思っていたが、

何度かの違和感だったのが気がつけばなにやら背筋に

うすら寒いものに感じるようなことが出てきた。

事故や事件が近い将来 《ここで起こるのだ》

を感じた、

あの感覚が

人に対してもあることを知った。

『ネガティブマインド』。見方をかえれば、『人間トラップ』。

『マイナスエネルギーの焦点となっている、ひとのカタチをした

別なもの』 

という表現が一番近い。

だから、『ふたあたま』。

 

ものすごく礼儀正しく、挨拶などはふつうにできるのに、

人間関係においてはトラブルが多く、本人も悩んではいるようなのだがー、

ある瞬間、他者の困惑を悦ぶ表情を浮かべた。

これが違和感の正体だった。

『性悪』ー性根が悪い。

これが本性。ひとを困らせ、怒らせることが、

この者の悦び

ほかには興味がない

このために、この者は在る

本人が何より望むこと

つまり、この『性悪』が本人の存在意義なのだ。

本人が望む以上、それを無くすことはできない。

ただ、そのような者と共に在りたくなくば、

関わらぬことだ

それもまた、そなたの自由

そちら側、こちら側。どちらにも自由がある。

選ぶのは、自分である。

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