師匠の不思議な日常

天の語らい地の学び 香る神々との対話 天界、龍神界の物忌み(巫女)師匠こと天卜占と弟子で審神者(さにわ)である臣の日々

『優』ー杉下右京から見えてくること

2009年03月19日 | 天意の実践

物事を判断するのにいいとか、わるいとかではないという話は、

ここで何度も話していますが、

見方も、いいとか、わるいとかではなく、どう感じているか。

今回は師匠が感じている結果。

『優』とはなにか。

『優しい』とは、『すぐれている』ことでもある。

で、今回のお題『杉下右京』は、ドラマ『相棒』の主人公です。

ドラマは架空の話とはいえ、ある程度は多くの他者による共通認識の

下で成り立つ世界です。

かくあるべき、またはこうだろう、というもの。

今までのシーズンを通じて、相棒を卒業した亀山薫という人物は、

視聴者目線の人物というか、一般大衆の代表格的ポジションで、

説明役でもあったわけです。

そんな彼からみた、杉下右京像は『強いひと』

そして、自分、亀山薫や普通の人は『強くない』存在だと、

何度か言わせています。

人物の描き方も、右京は精神的に強く、薫は弱い。

これも、見方だと思うのですが、

薫の優しさが、かえってひとを傷つけたり、困った事態をおこす、

というか、ドラマが展開していくわけなのですが、

結局は『正義』とは何かを、製作者は提示しています。

『刑事コロンボ』の頃は、時代というのもあったと思うのですが、

犯人は、政治家や、権力者、成功者であり、

『相棒』で描かれる犯人にも、権力者がいます。

そんな、犯人を糾弾するばかりが、『正義』なのかと考えさせられます。

善人が、ときとして、悪人となるばかりではなく、

それが本当にその人の、

または、

当事者のためなのかは、日常的によくあることであり、

誰もが経験するかもしれない、起こりえることなのではないか

と思います。

そんな中でまず、ひとつめ。今回の事件の場合は動機。

親にとっては、いくつになっても、子供は子供だと聞きます。

ここの描き方として、『優しさ』というものについてを考えます。

今回の『相棒』では、

何度も倒産をした子供を思い、死ぬことでお金を残そうとした親が

そこには描かれていました。

これは、今シーズンのドラマ『ヴォイス』でもありましたね。

『ヴォイス』では、お金は残せなかったけれども、

親の思いは届けられたというものでした。

『相棒』では、母親の死亡により、保険金がおりるよう画策した

父親とその隣人たちに、何かを感じた息子の改心に、

これも何かを感じ安心した親を、表現豊かに前田吟さんが

演じていました。

親の優しさから、息子の肩代わりをし続けた結果、

今回の事件となるわけですが、

今のご時世、現実に起きていることだなあ、と思います。

まあ、その先の殺人となるかは、また、別の次元での話では

あります。

そして、今回の事件の発覚となる、捜査を依頼した女性が

新たな事件の犯人となるのですが、

これも、右京さんの正義というより、優しさなのだなあと思います。

介護というか、サヴァン症候群の弟の世話をしていて、

もう、限界だったのだなあ、が今回の複線としてありました。

心配なのは、弟のことではなく、そんな弟を看ている自分のことを

聞いてほしかったのだなと、思いました。

これも、別のドラマの『ヴォイス』でありましたね。

「今回は違う。」と訴える声に、

「少し休んだら。」と声をかけて欲しかったんだと。

これが、事件が発覚するきっかけとなったのですからねえ。

現実に、介護にしろ、子供を育てるにしろ、

人の世話をするには大変なエネルギーが必要です。

今の時代、疲労している人、癒されたい、

癒しを、休息を欲している人はごまんといるんじゃあないかなあ。

倒産した息子が運が悪いかといえば、そうとも思えません。

今までは、親がなんとかしてくれていた。

だからこそ、なんども、会社を作り、倒産していた。

甘ちゃんが、今回の事件をきっかけに、卒業していく。

目が覚めたってのは、結果オーライなのではないかと。

それに、逆に事件が発覚したから、お金もおりたかも。

新相棒・神戸尊(かんべたける)さんは、たまたま発覚したのは

彼の運が悪いから、杉下警部の目にとまって、事件が発覚したのだ

と言いますが、発覚しなければ、この息子、ただのだだっ子。(笑)

「かーちゃんは、なんで死んだんだあ。」と、酒飲んで、

くだをまくしかなかったのが、前進できるわけですから、

なかなか運はいい方だと思います。(笑)

『優しさ』には、『優しさ』に裏打ちされた『強さ』がいると、

よく師匠は言います。

物事がうまくいくと、感じられるのは、

実際は、ちゃんと目的に合うよう機能しているかです。

これは何度も神さまから、聞かされています。

優しくして、それがちゃんと機能していなければ、

それは善人を悪人にするのだということです。

私が今読んでいる本の、実在の人物の白洲次郎氏の話でも感じます。

ひとに対しての優しさが、実は、自分に対しての甘さや、

甘えとなるんですね。

『権利』には『義務』が存在し、

なにかを行えば、それに『責任』が発生します。

そのことが、最近は、あっさりと抜け落ちているように思えます。

忘れているのか、知らないのかはこちらからはわかりませんが、

結果は『無責任』による最悪な事態が起きている。

そして、それが積み重なって

マイナスの思いは伝染していると思います。

それは、ドラマの中の虚構の世界だけでなく、

今の現実と思える世界でも起こっているのです。

ひとはいろいろなエネルギーにさらされていますからね。

他者の騒動に巻き込まれないためには、自分を守ることを意識する。

それには、神の本質でもある円満なエネルギーでいることです。

まんまるなエネルギーでいれば、おそれることは何もなくなります。

引き寄せるものは、自分にとって、有為なものとなります。

そんなひとが増えれば、

もっと、この世界の浄化が進むこととなるでしょう。

追記

初稿に、加筆修正しました。

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