日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

高崎城の巻 徳川四天王・井伊直政が築城、今は跡地に市役所等が建つ

2015-09-04 17:46:29 | 群馬
岩櫃城の帰りに高崎で下車、高崎城へ向かいました。

高崎駅の西口です。


徳川四天王の一人、井伊直政は、徳川家康が関東入封とともに箕輪城主となり、じきに高崎に移り、高崎城を築城しました。関ヶ原の戦いの後は石田三成の居城佐和山城へ移り、佐和山の近くに新たに彦根城を築城します。井伊家は幕末の井伊直弼まで彦根藩主として続きます。高崎城の城主は井伊家の後は度々城主が変わって幕末へ至っています。
現在高崎城跡には市役所、音楽センター、シンフォニーホール、図書館、保健センター、裁判所、検察庁、高崎総合医療センター、市立中学などの公的施設やNTT群馬支店、郵便局、私立高校などが建っています。



高崎城東御門付近の堀と石垣

二の丸跡に建つ高崎市役所




三の丸東側の土塁と堀




三の丸南側の土塁と堀


高崎公園

公園の藤棚

ハクモクレンの名木

国立病院機構高崎総合医療センター。高崎城跡に歩兵十五連隊が設置され、陸軍病院も開設されました。城跡に陸軍、県庁舎・市役所、病院、学校というのがお決まりのコースです。


高崎城は西側は烏川に面し、中山道が通る東側には堀を配しています。明治になると城と烏川の間に国道17号が造られました。私は17号線を通って三国峠、苗場・湯沢方面、18号線を経て碓氷峠、軽井沢方面へは何十回と行ってますが、17号と18号の分岐点の東側の高崎城は当時の私の関心の対象外でした。

シンフォニーホール


群馬音楽センター。群馬で音楽といえば群馬交響楽団(群響)です。私は札幌出身ですが、札幌には札幌交響楽団(札響)があります。群響、札響ともう一つ京都市交響楽団は、「日本の三大地方交響楽団」だと札幌の中学の音楽教師が言ってました。この建物の設計は建築家アントニ・レイモンドです。1961年に建設され、「日本の近代建築20選」に選定されています。築50年以上を経過しているのでさすがに古さを感じますが貴重な建築物です。


移築復元された乾櫓


移築復元された東門

土塁

歩兵第十五連隊記念碑






高崎城の遺構は乾櫓あたりの集中しています。
高崎城はなぜ印象が薄かったのか。高崎城も高崎藩も歴史物語に登場することもあまりなく、有名な藩主もいなかったからなのではと私は思います。明治になって鉄道の開通とともに高崎は鉄道の町、交通の要衝として知られるようになりました。高崎観音、だるま弁当も有名ですね。
先日、吉村昭の「天狗騒乱」を読んでいたら、高崎藩の軍勢が下仁田で天狗党と激戦を繰り広げたとありました。

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