日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

伏見桃山城の巻 「キャッスルランド」跡地に残った大天守と小天守

2016-01-08 14:53:44 | 近畿
今回訪れた伏見桃山城は1964年に開園した遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」内に造られた鉄筋コンクリート、エレベータ付きの模擬天守です。遊園地は2003年に閉園となり、施設は京都市に寄贈されて、市は2007年に「伏見桃山城運動公園」としてオープンしました。大天守、小天守は老朽化のため現在は立ち入り禁止です。
歴史上有名な伏見城ですが、最初の伏見城は豊臣秀吉が自身の隠居所として1592年に完成させましたが、1596年の大地震で崩壊しました。秀吉は再度伏見城を建築し、その伏見城で秀吉は1598年に死亡。天下分け目の関ヶ原の戦いの前哨戦で徳川家康の家臣・鳥居元忠が守る伏見城は西軍の大軍に攻められ落城。その後、家康は伏見城を再建するが、幕府の在京機能は京都の中心部の二条城に移り、1619年に廃城となりました。

運動公園の入口

櫓門

櫓門の内側


大天守と小天守

大天守

石垣

小天守





運動公園の南東に明治天皇の伏見桃山陵があります。


運動公園の西側に桓武天皇の柏原陵があります。

二条城の巻 最後の将軍・徳川慶喜が大政奉還を諮問した歴史の舞台

2016-01-07 14:53:08 | 近畿
二条城は大政奉還の舞台として知られます。
大政奉還は土佐藩主山内容堂が将軍徳川慶喜に建白し、慶喜は二条城に諸藩の在京重臣を集めて諮問をし朝廷に提出しました。

二条城の切符売場

東大手門は修復工事中です。


二の丸唐門

二の丸御殿。内部は撮影禁止です。



二の丸御殿


二の丸庭園

本丸櫓門

内堀に架かる東橋

本丸側から見た櫓門


本丸御殿。元の桂宮邸で、明治期に城内に移設された物です。

天守台の階段

天守台

天守台からの眺め

天守台下の内堀




本丸西橋

西門(埋門)


中仕切門

加茂七石

清流園

和楽庵の茶室

清流園の石碑


北大手門

二条城の石碑。二条城は明治時代は皇室の離宮でした。

東南隅櫓

二条城の近くの刀剣店


大坂城の巻 秀吉が築き、徳川が再建、昭和初期に鉄筋で再再建

2016-01-06 14:52:31 | 近畿




大阪城京橋口の旧大阪砲兵工廠の化学分析場。明治から昭和20年の終戦まで大坂城周辺は巨大な軍需工業地帯でした。この建物は軍事遺産の一つです。


旧大阪砲兵工廠の正門、大阪城の筋鉄門




京橋口枡形の大阪城で2番目に大きな巨石・肥後石。加藤清正が肥後から運んできたと言われていたが、実際は備前岡山藩が運んだらしい。


京橋口の枡形





明の時代のこま犬。日中戦争の期間に中国から運ばれて、戦後、日中国交回復後に正式に日本に寄贈されました。




極楽橋を渡って天守閣へ向かいます。実は私は大阪城公園には2度ほど来ていますが、この橋を渡り天守閣へ上がるのは初めてです。







徳川期の天守は戊辰戦争の際に焼失し、1931年(昭和6年)に鉄筋コンクリート製・エレベーター付きで再建されました。天守の外観は豊臣の天守と徳川の天守の折衷案となったようです。


残念石。大坂城の石垣の多くは小豆島で切り出されました。切り出したが、実際には運ばれずに現地に残された石もたくさんあります。それら使用されなかった残念な石の一つが1981年(昭和56年)に小豆島から運ばれて大阪城内に展示されました。

「真田丸」便乗のポスター


幕末に製造され天保山砲台に据えられた大砲。明治になると時を告げる号砲に使用されました。「お昼のドン」です。

天守最上部

最上部の売店

天守展望台

あべのハルカス。手前は修道館

旧第4師団司令部。戦後は市立博物館として使用されました。




「三大夜城」、大阪城、高田城(新潟)、高知城です。



天守の1階はいろいろ賑やかです。


金明水井戸屋形

1月9日から6月5日まで大阪城の多門櫓、千貫櫓、煙硝蔵が特別公開されるそうです。

上田城とは友好城郭提携。意図に無理がある。


大坂城は秀吉が造った城ですが、大坂夏の陣で天守は焼失しました。徳川幕府は本丸一帯を盛り土し新たな天守台に天守を築きました。豊臣の時代の石垣が最近になって発見され、将来公開されるようです。


旧第4師団司令部



1970年の万国博の際に埋められたタイムカプセル

南側の桜門付近

大坂城最大の石・蛸石。高さ5.5m、横11.7m、推定重量は100t以上。

銀明水井戸

桜門

桜門の堀

豊國神社

「黄金の茶室」のレプリカを公開中でしたが、時間がなくてパスしました。

修道館


再び天守に戻りました。


大阪城は巨大な城です。2、3時間ではとても回り切れない。多門櫓、千貫櫓、煙硝蔵はぜひ見たい。本丸東の高石垣、西の丸、二の丸などじっくり見たいものです。

駿府城の巻 徳川家康が大御所として晩年を過ごした城

2016-01-04 14:50:59 | 静岡
丸子城の帰りに駿府城に立ち寄りました。駿府城は静岡駅から徒歩10分ほど、交通至便の地にあります。

静岡市役所

静岡県庁。県庁も市役所も駿府城の三ノ丸跡に建っています。。




大手門の石垣



巽櫓

弥次喜多像



東御門高麗門

東御門櫓門

高麗門の内側




巽櫓

巽櫓は公開されていますが、この日は休館でした。


駿府城下町の絵図


本丸堀

家康の遺訓「人の一生は重き荷物を負うて遠き道を行くが如し」

家康手植えのミカンの木

鷹狩をする家康の像




天守台跡。駿府城には天守再建計画があります。江戸城、甲府城にも再建計画があり、小田原城、名古屋城、大坂城はコンクリ天守を解体し新たに木造天守を再建する計画があります。いずれも実現性は不透明です。これらの計画のなかでは駿府城は天守台跡が更地でもあり、一番可能性は高いような気がします。

天守台発掘調査のための寄付金を募っています。


坤櫓


この方向に富士山が見えるそうです。




打込み接ぎ(右)と切込み接ぎ(左)の石垣

県庁の新館

二ノ丸堀の復旧工事

二ノ丸堀

二ノ丸橋

県庁



市役所本館

徳川慶喜屋敷跡。現在は浮月楼という料亭です。

静岡駅前の家康像。背後のビルの葵の紋に注目です。

静岡駅に戻りました。

丸子城の巻 武田流の三日月堀と丸馬出しの遺構が残る

2016-01-04 14:49:59 | 静岡
丸子城は静岡駅からバスで20分ほどの国道1号線の近くにある山城です。

静岡駅に到着

バスで吐月峰駿府匠宿のバス停にきました。


中央の木札が丸子城の案内板です。

とろろ汁の店。このあたりはとろろ汁が名物です。



駿府匠宿。道の駅のように地元の名産品を展示、販売する施設です。

丸子城の入口



梅林が続きます。

中腹からの眺望


丸子稲荷神社


外曲輪


三日月堀の土橋



武田流の三日月堀

大手曲輪

北曲輪



二の曲輪


堀切


枡形虎口

本曲輪。丸子城は北曲輪、二の曲輪、本曲輪が南北にほぼ一直線に連なっています。

食違い虎口



本丸跡。丸子城の本丸は標高136mの三角山の山頂にあり、別名三角山城といわれます。北側は今川氏、南側は武田氏によって築かれ、連結されています。今川にとっても武田にとっても駿府防衛の重要な拠点でした。

馬出し曲輪



本丸北側の堀切。このさらに北西側に大竪堀や丸馬出があるのですが、足元が不安なので断念しました。





本丸北側

平虎口




再び北曲輪の三日月堀付近です。

駿府匠宿の産業展示ホール

吊るし雛飾り