日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

吉田城の巻 豊臣の時代に池田輝政が大改築、明治初期に陸軍歩兵連隊が駐屯

2015-08-25 18:19:44 | 愛知・岐阜
吉田城は豊橋城ともいわれ、豊臣時代に池田輝政が入封し、改築・整備をしましたが、その後の徳川時代には頻繁に城主が交替し城構えが完成することなく幕末を迎え、明治期には陸軍歩兵十八連隊の営舎として使用されました。

豊橋駅に到着。

駅前から豊橋鉄道の路面電車に乗り豊橋公園へ向かいます。

豊橋市役所近くの豊橋市公会堂。1931年(昭和6年)建築の洋風建築。設計は中村與資平、静岡市庁舎や静岡銀行本店の設計を手がけた建築家です。

豊橋を守る2羽の大鷲

三の丸跡の豊橋市役所


豊橋公園入口

公園入口にある旧陸軍歩兵十八連隊の歩哨舎


明治元年に撮影された吉田城の写真




戦災復興記念碑。豊橋は1945年6月に空襲を受け市内の大半が焼失しました。

二の丸口門跡

着到櫓跡

中村道太の碑。吉田藩士として生まれ、明治期には地元で実業家として活躍。





冠木門付近




南御多門跡



本丸の周囲の石垣



本丸北西に復元された鉄櫓(くろがねやぐら)。





裏御門付近の石垣

本丸井戸跡







北御多門付近の石垣


北御多門跡から見上げる鉄櫓

豊川。豊川の上流には長篠城があり、下流は三河湾にそそぎます。

武具所跡


鉄櫓の内部は残念ながら非公開です。



腰曲輪付近の石垣



国道1号線の吉田大橋



鉄櫓の北側の堀と石垣

南御多門跡



南御多門の石垣の上に吉田城趾の碑が建っています。

千貫櫓跡


イスノキの巨木

イスノキと鉄櫓

入道櫓跡


歩兵十八連隊の碑

金柑丸跡

弥健神社

神武天皇像。日清戦争の戦勝記念でつくられたようです。

豊城神社

歩兵二百二十九連隊の碑

三の丸会館

歩兵百十八連隊の碑

二の丸御殿跡

評定櫓跡


豊橋市美術博物館

二の丸土塁

豊橋正ハリスト教会。函館の正ハリスト教会が有名ですが、各地に正ハリスト教会があります。


吉田城の見学を終え、まだ多少時間があったので豊川稲荷へ行ってみることにしました。JR豊川駅です。

豊川稲荷の参道

豊川稲荷の総門

山門

寺宝館


大本殿

総門前のいなり寿司店。いなり寿司は豊川稲荷の名物です。


白河小峰城の巻 東日本大震災で石垣が崩落し修復工事が進行中

2015-08-24 14:36:10 | 宮城・福島・山形

白河駅のホームから小峰城が見えます。西日本では駅から城が見えることはよくあります。東日本では少ないと思います。

白河駅。この駅は昨年30分ほど途中下車したことがありますが、探索するのは初めてです。


白河駅の駅舎は線路の南側、小峰城は線路の北側にあり、線路の南北を結ぶ地下通路「こみね ふれあい通り」



ふれあい通りの観光案内パネル

城山公園

青色の部分は現在も工事中で、立入禁止です。小峰城の石垣は東日本大震災で大きな被害を受けました。







石垣は基本的には水平を意識して積まれていますが、所々に半円状に積まれた部分があります。




桜之門の石垣


本丸跡

復元された前御門

三重櫓と前御門




三重櫓。戊辰戦争で焼失し、前御門とともに平成になって復元されました。三重櫓は天守といわないのだろうか。櫓の大きいのが天守なのですが、三重だとやはり天守とはいわないようです。弘前城の三重櫓も同様です。天守は城の象徴であるため、大きな天守を造るかどうかは藩の実力、財政との相談ですが、藩の序列、さらに幕府の目にどう映るかなどの諸事情であえて天守をつくらなかった藩もあるようです。




三重櫓入口

戊辰戦争時の弾痕。といってもこの櫓は戊辰戦争時のものではありません。櫓復元のために白河口の戦場付近の杉の木を切ってきたら、その木に当時の鉄砲玉の跡があったということです。




三重櫓の内部


市街地。白河口の方向です。


忠魂碑











二の丸の集古館。「寛政の改革」で知られる老中松平定信は白河藩の藩主でした。「白河の清きに魚も住みかねて、もとの濁りの田沼恋しき」という狂歌が歴史の教科書に出ていました。


展示品のアームストロング砲。この砲はNHK大河ドラマ「八重の桜」で使用されたレプリカです。けっこうリアルに作られています。





会津門付近の堀


会津門



太鼓門跡
白河の支配は鎌倉・室町時代には結城家、秀吉の時代には蒲生家、上杉家、徳川の時代になって再び蒲生、その後丹羽、榊原、本多(忠勝の子孫)、松平、阿部と続きました。
戊辰戦争では旧幕府軍は宇都宮城、白河小峰城、二本松城での戦いに敗れて会津の籠城戦に至りました。白河口の戦いは駅の南側、奥州街道や谷津田川の辺りで激戦が繰り返されたようです。

高島城の巻 諏訪湖に浮かぶ「諏訪の浮き城」

2015-08-24 14:35:49 | 長野
猛暑の夏が続いていますが、私は夏の暑さに負けずに城攻めに専心しています。
高島城は諏訪湖畔にあった水城、浮き城で、諏訪の名門・諏訪氏の傍流・諏訪頼忠の子、諏訪頼水が初代城主です。諏訪氏の惣領家の諏訪頼重は武田信玄に攻められて滅亡しました。頼重の従兄弟・頼忠が御家再興を目指し、その子の頼水が関ヶ原の戦いの功績で悲願を達成し城主となったのが高島城です。

上諏訪駅


城下の縄手通り

諏訪湖へと注ぐ衣の渡川


もう一つ、中門川。衣の渡川も中門川も高島城の堀の役目を担っています。


高島城本丸の復元角櫓



高島城の復元天守


本丸と二の丸を結ぶ冠木橋と冠木門。高島城は本丸、二の丸、三の丸が梯型に連なった連郭式の配置です



冠木門。冠木門は左右2本の柱と梁だけの簡素な門の形式です。この門は櫓門ですね。当初は冠木門だたっために後々も冠木門と言われたようです。

ケヤキの巨木



覗石松

亀石。水をかけると亀型の紋様があらわれるそうです。

多門跡。多聞櫓だったのでしょうか。多聞櫓は防御のための長屋状の建物で囲んだ物です。建物内は武器庫、倉庫、つまり矢倉として使われました。

諏訪家の家紋、梶葉紋

小天守跡



天守入口

2007年NHK大河ドラマ「風林火山」のポスター。原作は井上靖、信玄役は市川亀治郎(現猿之助)、勘助は内野聖陽、由布姫は柴本幸。

こちらは1988年のNHK大河ドラマ「武田信玄」のポスター。原作は新田次郎、信玄は中井貴一、勘助は西田敏行、湖衣姫は南野陽子。二つのドラマでは、原作が異なるため諏訪頼重の娘、武田信玄の側室、武田勝頼の生母である諏訪御料人の名前が違っています。

明治初期に取り壊される前の高島城の写真

天守の内部階段

天守最上部

天守から見る内堀

諏訪湖

本丸の藤棚

本丸庭園

心字池。「心」という字の形の池です。


川渡門跡。ここから船に船に乗れたそうです。現在の門は三の丸御殿の裏門を移設したものです。



諏訪護国神社

西多門

諏訪出身の永田鉄山の像。相沢三郎に惨殺された陸軍省軍務局長です。文春新書から「永田鉄山 昭和陸軍・運命の男」という新刊が出ています。

本丸南東の富士見櫓

二の丸跡の諏訪市役所




東側の内堀


本丸東側の内堀の石垣


内側から見た角櫓

角櫓前のキハダ

心字池

埋門



本丸西側から見た天守


中門川

中門川沿いの遊歩道。所々に東屋があって、諏訪赤十字病院の医療スタッフらしき人が休憩していました。

諏訪湖に注ぐ中門川の河口



片倉館。富岡製糸場で知られる片倉工業の片倉財閥がつくった日帰り温泉施設。昭和3年(1928年)完成、設計は台湾総督府などを設計した森山松之助。入浴料650円。

片倉館会議棟

2代片倉兼太郎顕彰碑。片倉財閥は諏訪で製糸業としてスタートし、富岡製糸場を経営していましたが、戦後の集中排除法で解体されました。戦後存続会社となった片倉工業は繊維・アパレルの会社、婦人靴下「キャロン」のブランドで知られていました。一時自転車やオートバイも生産していたそうです。東京・京橋にレトロな本社ビルがありましたが、老朽化で解体されました。
さいたま新都心にあるコクーンシティは以前の片倉工業大宮製作所の工場跡地です。コクーンとは繭のことで、片倉工業の元となった事業を表わしています。片倉工業は現在では各地にショッピングセンターを経営し不動産業が主たる事業です。

隣接する諏訪市美術館。戦前は片倉財閥の私的博物館でしたが戦後諏訪市に寄贈されました。九段会館や愛知県庁、名古屋市役所と同様の帝冠様式です。前前都知事がいうところの「銭湯のような建築物」です。













二本松城の巻 戊辰戦争で散った二本松少年隊

2015-08-10 14:35:23 | 宮城・福島・山形
福島県の二本松城を訪ねました。二本松といえば戊辰戦争では会津戦争の前哨戦となった激戦の地です。その戦いで戦死をした二本松少年隊は会津の白虎隊と並び語り継がれています。

二本松駅に到着。二本松は私は初めてです。

駅前の二本松少年隊記念碑

駅近くの二本松神社

二本松城の絵図




城へ向かう久保丁坂の途中に大手門跡があります。

歴史資料館。月曜なので休館でした。

普通の民家の前にも城への案内板があります。

山城の二本松城が見えてきました。

二本松城は霞ヶ城と呼ばれています。

箕輪門の石垣


箕輪門


二本松少年隊。写真右は出征する隊士のために肩印に丹羽家の家紋を縫いこむ母親です。




箕輪門の内側より






三の丸への石段

三の丸。二本松は菊人形が有名です。菊人形まつり会場の準備が始まっています。

山田脩の像。幕末の二本松藩士で、明治維新後は製糸会社を創業し、福島県の製糸業の発展に貢献した人物です。



本坂御殿、別名姫御殿

城内路


藩士自刃の地。戊辰戦争で落城の際、藩の重役3名が切腹した場所です。

日影の井戸





本丸下の大石垣。野面石と荒割石が混じった穴太積みです。

蔵屋敷跡


本丸の石垣


本丸への石段

本丸からの眺望


本丸桝形虎口

東櫓台

西櫓台

天守台下の藩重役2名の自刃の碑

天守台


尖った山頂が安達太良山、標高は1699m





本丸下の石垣

やや黒い部分は穴太積みの石を復元した石垣です。


こちらはもともとの穴太積みの石です。本丸石垣から10mほど移築して展示されています。

奥州探題畠山氏の碑




搦手門

とっくり井戸

少年隊の丘




少年隊の記念碑が並んでいます。隊士のお墓は城外の大隣寺にあります。

智恵子抄詩碑。高村光太郎の妻智恵子はは二本松出身です。

二合田用水。安達太良山系から城内へ水を引き込みました。


見晴台

城外の遊歩道から箕輪門と本丸石垣を遠望

遊歩道の中山義秀文学碑

城内に戻って霞ヶ池

智恵子の藤棚


本町谷御庭。回遊式日本庭園

七ッ滝

るり池



茶亭洗心亭

洗心亭から見る霞ヶ池。池の向こうで菊まつりの五重塔が準備中です。


本宮館跡

傘松

布袋の滝
二本松城の探索を終えました。ここで二本松城の歴史を簡単におさらいします。室町時代に畠山氏が奥州探題となり二本松に築城。その後、伊達政宗、蒲生氏郷、上杉景勝、徳川幕府となって蒲生秀行、加藤嘉明、丹羽光重と相次いで有力大名が城主となり、丹羽長裕のときに明治維新を迎えました。

二本松城をあとにして二本松少年隊の墓所、大隣寺へと向かいました。大隣寺の門前の二本松観光センター隊士館。



大隣寺は二本松城主・丹羽家の菩提寺です。


大隣寺の本堂

少年隊隊士の墓。中央の慰霊塔の左右に連なるのが個々の隊士の墓です。