慶長17年(1612年)に宮本武蔵と佐々木小次郎が決闘をした巌流島へ行きました。
巌流島の正式名称は舟島、舟の形をしていたので舟島と言われ、武蔵・小次郎の決闘ののちは小次郎の号に因んで巌流島と言われています。
武蔵・小次郎に私が初めて接したのは村上元三の「佐々木小次郎」。次が内田吐夢監督の映画「宮本武蔵」、武蔵は中村錦之助、小次郎には昨年亡くなった高倉健。
テレビでは北大路欣也の「宮本武蔵」、小次郎は中谷一郎。10年ほど前のNHK大河ドラマ・市川海老蔵の「武蔵」、小次郎は松岡昌宏。
以上の映画・テレビはすべて吉川英治の原作です。吉川以外では小山勝清の「それからの武蔵」、五味康祐「二人の武蔵」、ほかにも司馬遼太郎、柴田錬三郎、津本陽など多くの歴史小説作家が武蔵を書いていますが、吉川英治による「武蔵」像が圧倒的な主流です。
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巌流島へは下関の唐戸桟橋から船が出ています。
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今年は巌流島の決闘から403年です。
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中国自動車道の関門橋
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源平の合戦で壇ノ浦に身を投じた安徳天皇と平家の武将を祀る赤間神宮。平家物語の建礼門院の見た夢にちなんで龍宮城に似た造りです。神宮内の安徳天皇陵は宮内庁管理の天皇陵です。
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15分ほどで巌流島の桟橋に着岸
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武蔵・小次郎の武者絵
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武蔵と小次郎の像
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村上元三の文学碑
武蔵と小次郎については通説、伝説が多く、不明なことがたくさんあります。小次郎の出身地、生年、剣術の流派、いつどこで燕返しを始めたかはまったく不明です。巌流島の決闘のときの年齢も不明で、18歳説、50代説、さらに70代説もあり、細川藩の剣術指南だったという説もあります。武蔵のほうも巌流島では木刀で戦ったというのが通説ですが、武蔵も小次郎も真剣での立ち会いだった、武蔵の遅刻はあまりにも有名ですが遅刻はしなかったという説もあります。土産物店で「遅いぞ!武蔵」というドラ焼きを売っていました。美味でした。
巌流島の正式名称は舟島、舟の形をしていたので舟島と言われ、武蔵・小次郎の決闘ののちは小次郎の号に因んで巌流島と言われています。
武蔵・小次郎に私が初めて接したのは村上元三の「佐々木小次郎」。次が内田吐夢監督の映画「宮本武蔵」、武蔵は中村錦之助、小次郎には昨年亡くなった高倉健。
テレビでは北大路欣也の「宮本武蔵」、小次郎は中谷一郎。10年ほど前のNHK大河ドラマ・市川海老蔵の「武蔵」、小次郎は松岡昌宏。
以上の映画・テレビはすべて吉川英治の原作です。吉川以外では小山勝清の「それからの武蔵」、五味康祐「二人の武蔵」、ほかにも司馬遼太郎、柴田錬三郎、津本陽など多くの歴史小説作家が武蔵を書いていますが、吉川英治による「武蔵」像が圧倒的な主流です。
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巌流島へは下関の唐戸桟橋から船が出ています。
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今年は巌流島の決闘から403年です。
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中国自動車道の関門橋
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源平の合戦で壇ノ浦に身を投じた安徳天皇と平家の武将を祀る赤間神宮。平家物語の建礼門院の見た夢にちなんで龍宮城に似た造りです。神宮内の安徳天皇陵は宮内庁管理の天皇陵です。
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15分ほどで巌流島の桟橋に着岸
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武蔵・小次郎の武者絵
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武蔵と小次郎の像
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村上元三の文学碑
武蔵と小次郎については通説、伝説が多く、不明なことがたくさんあります。小次郎の出身地、生年、剣術の流派、いつどこで燕返しを始めたかはまったく不明です。巌流島の決闘のときの年齢も不明で、18歳説、50代説、さらに70代説もあり、細川藩の剣術指南だったという説もあります。武蔵のほうも巌流島では木刀で戦ったというのが通説ですが、武蔵も小次郎も真剣での立ち会いだった、武蔵の遅刻はあまりにも有名ですが遅刻はしなかったという説もあります。土産物店で「遅いぞ!武蔵」というドラ焼きを売っていました。美味でした。