田原坂公園
九州の旅、最後の訪問地は西南戦争最大の激戦地、田原坂です。鹿児島を出発し熊本鎮台を包囲した薩摩軍は、小倉から熊本鎮台の救援に進軍してくる政府軍を田原坂一帯に防御陣地を築いて迎え撃ち、両軍は大激戦となりました。
「雨は降る降る人馬は濡れる越すに越されぬ田原坂 山に屍 河に血流る肥後の天地秋さびし」の歌で有名です。
弾痕の家
田原坂西南戦争資料館
当時の熊本城の写真
薩摩軍と政府軍の兵士
西南戦争で負傷した両軍の兵士の治療を行った博愛社は、その後日本赤十字社として発展します。
田原坂公園からの景色。雲仙岳が見えます。
資料館の裏側
薩摩塚
戦没者慰霊碑
大楠
美少年像「雨は降る降る人馬は濡れる 越すに越されぬ田原坂」
崇烈碑
水原秋桜子句碑「大綿や古道いまも越えがたき」「辺見隊守りし嶮ぞ烏瓜」「吉次越狐の径となりて絶ゆ」と三つの句を刻んでいます。大綿は季語で冬虫のこと、辺見とは薩摩軍の隊長・辺見十郎太、吉次とは田原坂の近くのもう一つの激戦地、吉次峠のことです。
パノラマガーデン
金峰山県立公園
境米蔵像。ネットで検索した結果、植木町の初代町長・名誉町民だそうです。
西南戦争百周年記念碑
政府軍の包帯所があった正念寺。博愛社(のちの日本赤十字社)発祥の地です。
七本柿木台薩軍墓地
七本官軍墓地。薩軍墓地は共同墓地ですが、官軍墓地は一体ごとに墓碑を建てて埋葬されています。
田原坂一帯には山縣有朋歌碑、谷村計介之碑、有栖川督戦地、篠原国幹戦没地、薩軍三勇士の墓、乃木希典奮戦の地のほか墓地、慰霊碑、砲台跡、戦跡など多くの遺跡があります。関ヶ原のような広大な古戦場なので、丁寧に探訪するとすると1日や2日ではとても足りません。