日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

桐生城の巻 足利氏の傍系・桐生氏が築いた柄杓山山頂の山城

2016-06-19 14:56:27 | 群馬

JR両毛線・桐生駅で下車し、桐生城を目指します。桐生城は別名柄杓山城といい、標高361mの山頂に築かれた山城です。南北朝時代の1350年に足利氏の傍系佐野氏の一族・桐生氏が築城しました。桐生市の北方約5kmと、市街地からはやや離れています。

桐生駅前の交番。前回来た時は気がつかなかったのですが、外観は桐生明治館(旧群馬県衛生所。重要文化財)を模しています。

居館というバス停で下車

城山

日枝神社の入口


日枝神社の鳥居



日枝神社の社


クスノキの巨木群




樹齢600年のクスノキ

日枝神社が桐生城のある柄杓山への登山口ですが、夏草が生い茂って道が見えません。仕方なくもう一方の城山入口からアプローチすることにしました。

白いあじさい


一つ先のバス停・城山入口




桐生城址の駐車場

車止め




城山入口。なんとこちら側も私には進入不可能。10メートルくらいしか進めませんでした。私は諦めが早い。やはり夏は城攻めには不適です。

バスで引き返し群馬大学正門前で下車。群馬大学は工学部が桐生、医学部は前橋にあります。

3つの国登録有形文化財があります。

群馬大学の前身、桐生高等染織学校の守衛所。有形文化財です。

旧桐生高等染織学校の正門


群馬大学工学部同窓記念会館。旧桐生高等染織学校本館・講堂

現在の群馬大学工学部の校舎


群馬大学前の桐生天満宮


天満宮の本殿

桐生市の中心部は桐生新町重要伝統的建造物群保存地区となっています。



白井城の巻 北関東の要衝、吾妻川・利根川の合流地点の崖端城

2016-04-19 20:13:05 | 群馬

白井城へいくため渋川駅に来ました。

跨線橋を渡り駅の東側へ。



国道17号沿い、ハナミヅキが満開です。

吾妻川に架かる吾妻新橋

吾妻川

吾妻川の中洲、真木島


白井宿の入口

白井宿

白井城跡への入口


神明宮への石段

明蔵院跡

神明宮

神明宮から見た白井宿の家並み


神明宮付近の土塁

















三日月堀




白井城址本丸入口




本丸枡形門跡








本丸跡




本丸跡から見る吾妻川



本丸南の笹郭






二之丸

本丸枡形


三日月堀


二之丸

三之丸

北郭


不動尊



白井城址をあとに白井宿を散策しました。

松井田城の巻 関東平野の西北端、碓氷峠を防御する北条の山城

2016-04-09 20:10:43 | 群馬
JR信越線は長野新幹線の開通に伴って横川から先は廃線となり、現在は高崎・横川間だけが運行されています。群馬県内だけを走るのに何故信越線という名称なのか違和感はありますが。終着駅の一つ手前の西松井田駅の近くに戦国時代に碓氷峠を防御する重要な拠点であった松井田城があります。

西松井田駅は有人の橋上駅です。

松井田周辺の案内図。松井田は中山道の重要な宿場でした。2006年に松井田町は隣の安中市と合併し、横川も松井田も現在は安中市です。



松井田城への案内板はこれだけです。国道18号線を右折するのが正しい行き方です。






私は間違えて18号線をそのまま直進、トンネルを超えてまっすぐ進んでしまいました。大間違いでした。




徳川家康が関東入封後、箕輪城主となった井伊直政はここに代官所を設けました。当時の井戸が代官井戸として残っています。



箕輪城入口に到着。城山を私は逆回り、ずいぶん遠回りをしました。左回りだと楽でした。


松井田城は1560年ころに安中氏が築城、その後、武田家臣の小山田氏、織田家臣の滝川一益、北条家臣の大道寺氏が城主となりました。豊臣の北条攻めでは、上杉、前田、真田の北国軍に攻められて落城し廃城となりました。










堀切り跡



水の手跡。小川をせき止めて水を貯めていたようです。今は倒木が重なりあっています。





大手門跡

大手門の石


本丸跡

本丸跡の虚空菩薩

馬出し

二の丸跡


二の丸跡

戻ってきました。車で来る場合はここに駐車するといいと思います。


松井田城址弓道場

松井田城の城壁

18号線沿いのそば店。ここから北へ進むと松井田城入口です。

18号線上の案内標識

妙義山

西松井田駅から見る松井田城の城山

名胡桃城の巻 豊臣秀吉の北条攻めの発端となった真田の城

2016-03-30 14:54:01 | 群馬
NHK大河ドラマの前半戦の一つの山が名胡桃城をめぐる真田と北条の争いです。真田・徳川との和睦にあたって徳川は沼田城と名胡桃城を真田領と認めました。秀吉はその状態で惣無事令を出し、大名間の領土争いをすべて禁止します。ところが北条は名胡桃城は北条の城だと主張し、北条の重臣が名胡桃城を奪取し、秀吉の惣無事令に背きました。これが秀吉の北条攻め、関東攻略に発展しました。上杉、前田、真田の軍は北関東を制覇、秀吉の本軍、徳川、堀、宇喜多など大軍が北条の本城・小田原城を包囲し、関東の雄・北条はついに降伏、北条がおさめた関東に新たに家康が入封しました。こういった経緯を経て名胡桃城と沼田城は真田領として豊臣に安堵されました。

後閑(ごかん)駅。名胡桃城は後閑駅から徒歩で30分ほどです。


月夜野大橋を渡って名胡桃城へ行くのですが、大橋へ上がるところの道がわかりにくい。

月夜野バイパスの月夜野大橋

河川敷の太陽光パネルと三国山系の山々

利根川


湯舟橋


名胡桃城の土塁

名胡桃城址の入口


名胡桃城址案内所





案内所内部


馬出郭


堀切

三郭




二郭



二郭


本郭

名胡桃城址碑



ささ郭への通路


ささ郭からの眺望



ささ郭から見た本郭

三郭のごく一部石垣が残っています。

般若郭の駐車場

堀切

般若郭の外側の治山工事


般若郭の堀切

般若郭


前橋城の巻 利根川河畔、現在は群馬県庁の超高層庁舎が建ち、一部土塁が残る

2016-03-04 14:44:16 | 群馬
前橋城は今年の大河ドラマでも数回登場し、もとは厩橋城といいます。はじめに長野氏が築城し、北条氏の支配となり、その後一時織田家の滝川一益が入城したが、再び北条の城となります。北条氏滅亡後は徳川の城となり、幕府体制成立後は譜代大名の城として続きました。利根川の河畔に位置するために川の氾濫によってたびたび被害を受けています。現在は群馬県庁、県議会、県警本部、グリーンドーム前橋(競輪施設)などが建ち、一帯は官庁、オフィス街、運動公園となっています。

利根川の鉄橋から群馬県庁の新庁舎が見えます。新庁舎は32階建て。道府県庁舎としては一番高いそうです。

両毛線・前橋駅。前橋駅は利根川の東岸、上越線・新前橋駅は利根川の西岸にあります。

前橋駅前。県庁所在地の駅前としてはやや寂しい。

駅前大通りのケヤキ並木




前橋城車橋門跡


群馬会館。以前の公会堂です。

群馬県庁

群馬県庁昭和庁舎。1928年(昭和3年)に建築、設計は佐藤功一、大隈講堂、日比谷公会堂を設計した建築家です。




県警本部前にわずかに残る土塁。前橋城は幕末に最新式城郭として再築されました。



土塁の上に前橋城址の碑があります。


県警本部周辺の土塁

県庁新庁舎


昭和庁舎


正面玄関