日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

石垣山一夜城の巻 秀吉が築いた関東初の総石垣の城

2014-11-20 17:30:31 | 神奈川
豊臣秀吉が小田原攻めの際に一夜で造ったと言われる石垣山一夜城へ行きました。一夜で造ったというのは誇大な言い方で実際は80日を要したそうです。関東で初の総石垣造りの城として知られています。

東海道線早川駅で下車、なだらかな登り坂を歩いて進みます。石垣山へは東側の観光ルートと西側の農道ルートの2つの道があるので要注意。観光ルートのほうが案内板がしっかり出ていて楽しいと思います。

東海道線のすぐ近くを新幹線が走っています。

小田原、山北町あたりはみかん畑が多い。早生のみかんは色づいています。



小田原攻めの際、陣中で病死した堀秀政を弔った海蔵寺



石垣山に参陣した6人の武将と千利休、淀君を1人ずつ紹介しています。最初は一番海側に布陣した堀秀政です。

早川口付近の立体交差、ターンパイクの入口。

みかん畑

遅れて参陣した伊達政宗

宇喜多秀家

徳川家康

秀吉の甥、羽柴秀次

千利休は石垣山で武将たちに茶を振る舞いました。陣中見舞いです。


秀吉は陣中に淀君を同伴。各武将の奥方も滞在しました。

全軍の総大将、豊臣秀吉

石垣山一夜城歴史公園の石碑

公園の駐車場。駅から公園の入口まで30~40分かかります。車だと楽ですが、途中の景色を楽しめないですね。

各武将の配置図


石垣用の石材


一夜城の登口




歩道はよく整備されています。


二の丸を見上げます。




二の丸跡



本丸への坂道



本丸跡の石碑

物見台からは相模湾を一望できます。

早川港

大山を遠望

小田原攻防図


本丸跡



天守台跡。標高257m

西曲輪跡





南曲輪跡





櫓台跡


二の丸の北側の展望台からの眺望。左から順に駒ヶ岳、神山、早雲山。

小田原市街





井戸曲輪。井戸というよりも湧き水だと思います。



一夜城西側の石垣

帰りは箱根登山鉄道の入生田駅へ歩きました。途中でターンパイクと交差。エンジン音を轟かせて疾走するのはスバル・インプレッサでした。


早川石丁場群


石曳道



入生田への道は急斜面の段々畑が続きます。

早川の流れ

入生田駅

思った以上に石垣山一夜城はよかったです。100名城には入ってませんが、関東初の総石垣造りで、石垣の積み方は自然石を積む野面積みです。当初はもっと急な石垣だったと思いますが、長年の重みで傾斜は緩やかになったと思われます。
この一夜城は永年民有地でした。昭和62年に公有地となり、公有を期に公園として整備が進みました。

江戸城の巻 皇居東外苑として本丸・二の丸・三の丸が一般公開

2014-11-17 15:18:52 | 東京
江戸城本丸・二の丸跡、つまり皇居東御苑を歩いてきました。
地下鉄竹橋駅で下車、竹橋を渡って北桔橋門から東御苑へ入ります。

竹橋御門跡から平川門の方向

竹橋御門の説明板

現在の竹橋

東御苑の案内図

北桔橋門

北桔橋門西側の乾濠

東側の平川濠



北桔橋門を入ると目の前に天守台の石垣があります。


天守台の碑

天守台。江戸城の本丸天守は1657年の明暦大火で焼失。以降再建されることはなかったが、近年天守閣再建の運動が一部で持ち上がっています。

天守台より北の方角

天守台から見た本丸跡

本丸の竹林

石室

富士見多聞。その裏側は蓮池濠です。さて多聞とは何でしょう? 調べたところ、大和多聞城で始まったもので、平面図が正方形に近いものを櫓といい、長方形で長屋のようなものを多聞または多聞櫓というようです。

忠臣蔵の名場面、松の廊下の跡。説明板があるだけです。

富士見櫓

本丸跡

この石はとくに説明板はなかったのですが、石垣の角や土台となった礎石でしょうか?

本丸土塁の石垣


本丸土塁の上は展望台となっていて大手町のビル群を見渡せます。

展望台から見下ろす白鳥濠


本丸と二の丸を結ぶ汐見坂・虎口



汐見坂の北側の石垣



汐見坂の南側の石垣

白鳥濠

汐見坂北側石垣解体工事の説明板

諏訪の茶屋と懸崖菊

二の丸の日本庭園

二の丸の竹林

百人番所とビル群

石垣の石。高さは150センチ、横300センチくらいでしょうか。

中ノ門の石垣

同心番所

三の丸尚蔵館

旧大手門渡櫓の鯱

大手門

大手門北側の大手濠

大手門南側

12月3日(水)から7日(日)の5日間、乾通りが一般公開されます。入口は坂下門、出口は乾門、途中の西桔橋から東御苑へも抜けられます。今年の桜の時期に続いて紅葉の時期、今回が2回目です。

会津若松城 会津松平家の名城、戊辰戦争激戦の舞台

2014-11-07 15:17:36 | 宮城・福島・山形
2012年8月に会津若松城を訪ねました。
若松城の別名は鶴ケ城。戦国時代の末期に蒲生氏郷が近代城郭として築城、その後上杉景勝が入封し、江戸時代は保科正之・会津松平家の居城として幕末を迎えた。戊辰戦争では新政府軍と1ヶ月に及ぶ籠城戦を戦い、ついには落城、「会津の悲劇」として語られている。
早乙女貢の「会津士魂」はお薦めです。




若松城はこの時が2度目の訪問ですが、このころは城の撮影にあまり関心が高くなかったようで、写真は4点しかありませんでした。


会津若松市郊外の会津藩校日新館。史跡ではなくテーマパークです。実際の日新館は若松城の西隣にありました。戊辰戦争で消失しましたが、詳細な図面が残っていたため、1962年に復元されました。







戊辰戦争時の会津藩本陣

飯盛山の白虎隊士の墓地









さざえ堂。最上階へあがってから螺旋状の回廊を歩いて巡礼します。





白虎隊記念館



御薬園。典型的な大名庭園。戊辰戦争時は新政府軍の傷病兵治療所となった。




2011年8月に母成(ぼなり)峠を訪れました。新政府軍を迎え撃ち激戦となった古戦場です。石碑は会津松平家13代目当主・松平保定の書です。
沼尻高原と磐梯熱海を結ぶ県道24号線、標高972mの峠にあります。





小諸城の巻 千曲川を見下ろす古城、今は懐古園として整備

2014-11-07 14:54:46 | 長野
2013年9月に信州・小諸城を訪ねました。


小諸城は今は懐古園として整備されています。小諸駅のすぐ裏手にあり、日本で一番駅に近い城かもしれません。









以上、石垣特集です。


島崎藤村記念館

小山敬三記念館(アトリエ)。


こもろ寅さん会館


城址から千曲川を見下ろす。千曲川の川岸まで降りてみたかったのですが、下へ降りる道はなく、正門を出て大きく迂回しなければならないので断念しました。


忍城の巻 豊臣軍の水攻めに耐え、最後まで落ちなかった「浮き城」

2014-11-03 12:47:14 | 埼玉
「浮き城」で有名な忍城を訪ねました。忍城は戦国時代の北条の城の一つです。秀吉の関東攻略に際しては石田三成が率いる大軍に包囲され、水攻めを受けましたが、水攻めは堤が決壊し失敗に終わり、北条の本城・小田原城が開城するまで持ちこたえました。その水攻めに抗する守将・成田長親を主人公として書かれた小説が「のぼうの城」です。映画化もされました。今も石田三成が築いた堤防「石田堤」が一部残っています。

忍城址にある行田市郷土博物館

博物館の前では菊花展が開催されていました。

復元された御三階櫓

博物館の入口にある御三階櫓の模型


御三階櫓からの眺め。博物館に入館すると御三階櫓へ上がれます。


鐘楼











移設された伝進修館表門


本丸土塁






御三階櫓の石垣

浮き城の径の冠木門





水城公園

水城公園のハス沼
水城公園は昔の堀ですが、このあたりは明治時代の埋立工事で地形は大きく変わっています。
博物館の近くの市役所も産業文化会館も堀を埋め立て建設されました。



浮き城の径から見た御三階櫓