日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

梁川城・高子岡城の巻 福島県伊達市、伊達氏発祥の地の2つの城

2016-04-22 20:13:49 | 宮城・福島・山形
仙台青葉城は伊達政宗の居城として有名ですが、政宗は伊達氏の17代で、伊達氏のそもそもの発祥は現在の福島県伊達市です。阿武隈急行の沿線にある伊達氏発祥の地、高子岡城と梁川城を訪ねました。


高子駅




高子岡城跡。伊達氏初代の朝宗の居館です。朝宗は源氏の縁戚で、頼朝より伊達郡を拝領しこの地に居館を築きました。



八幡宮
高子岡城の頂点、高子二十境の丹露盤


丹露盤からの眺望。白い建物は北福島医療センター





高子駅へ戻りました。

駅のホームから見た高子岡城の城山

梁川駅。2006年に伊達町、梁川町、保原町、霊山町、月舘町が合併して伊達市がスタートしました。旧梁川町役場は梁川駅前にありました。現在は分庁舎があります。


やながわ希望の森公園前駅



北三の丸の土塁



梁川城跡に建つ県立梁川高校


本丸跡の幼稚園


本丸跡の心字池

本丸石垣

旧梁川小学校のグラウンド。小学校は移転しました。



本丸跡の浅間神社


松前藩時代の大手門跡。松前藩は19世紀初めに幕府に蝦夷地南部を取り上げられ埼玉郡、伊達郡を領地として与えられました。




本丸東側の土塁


旧梁川小学校の校門

小学校跡の本丸庭園

小学校のグラウンド


城下の家並み







上杉藩時代の大手門跡


小学校グラウンド跡

梁川城跡は今一歩目玉がない城跡でした。伊達氏11代持宗が梁川城を居城としました。梁川には15代晴宗がつくった梁川天神社、政宗正室の愛姫の輿を受け渡した地などがあります。伊達氏はその後、桑折西山城、米沢城、黒川城(のちの若松城)、岩出山城、仙台城と居城を移します。

白井城の巻 北関東の要衝、吾妻川・利根川の合流地点の崖端城

2016-04-19 20:13:05 | 群馬

白井城へいくため渋川駅に来ました。

跨線橋を渡り駅の東側へ。



国道17号沿い、ハナミヅキが満開です。

吾妻川に架かる吾妻新橋

吾妻川

吾妻川の中洲、真木島


白井宿の入口

白井宿

白井城跡への入口


神明宮への石段

明蔵院跡

神明宮

神明宮から見た白井宿の家並み


神明宮付近の土塁

















三日月堀




白井城址本丸入口




本丸枡形門跡








本丸跡




本丸跡から見る吾妻川



本丸南の笹郭






二之丸

本丸枡形


三日月堀


二之丸

三之丸

北郭


不動尊



白井城址をあとに白井宿を散策しました。

結城城の巻 徳川家康の次男・秀康が結城家の養子となる

2016-04-18 20:12:42 | 茨城

小山から水戸線で結城に来ました。

結城駅前の市民情報センター

観光案内所

観光物産センター











結城は結城紬が有名です。古い商家、見世蔵がたくさん残っています。

健田須賀神社


まちかどパーク











蔵美館


つむぎの館



明治天皇行在所跡。1907年の陸大演習で結城に大本営が置かれ明治天皇が滞在しました。

駐驛之遺跡





結城小学校

健康増進センターと看護学校


結城城は鬼怒川の支流・田川などの河川に囲まれた平城でした。

結城城跡の北入口。駐車場があります。


あじさい坂



タイムカプセル埋設記念碑


聡敏神社


結城歴史公園





公園からの眺望





公園の西入口。結城氏は鎌倉時代に始まり、室町時代に結城城を築城、結城氏はその後一旦途絶えたが戦国時代に復活。徳川家康の次男・秀康は豊臣秀吉の命で結城家18代当主となりました。秀康は最初は秀吉の養子でしたが、秀吉の実子・鶴松誕生後、関東の結城家の養子に押し出さられました。関ヶ原の戦いでは、小山評定後に西方へ戻る家康に代わり上杉への備えとして関東に残り上杉と対陣。関ヶ原に遅参した三男・秀忠と上杉への備えで功績のあった秀康の関係は複雑ですね。結城秀康は関ヶ原の功績で越前北庄67万石の大大名に出世しましたが。




市役所




つむぎの館・手緒里










結城市と小山市は友好都市です。友好都市は遠方の市と結ぶケースが多いと思います。隣どうしは珍しいのでは。

駅前のスーパーは閉店しました。結城の街歩きは楽しかった。城跡の印象は今一でしたが、蔵造りの商店、見世蔵が数多く残っているのが好印象でした。

小山城の巻 思川の東岸に小山氏が築城した祗園城と鷲城

2016-04-18 20:11:48 | 栃木

栃木県小山市の小山駅です。

祇園城跡に建つ小山市役所


祇園城跡の城山公園入口。祇園城跡を県道31号貫通し、北側に城山公園、南側に市役所と御殿広場、小山評定跡があります。
祗園城と鷲城は直線で3kmほどの距離で、2つの城は片方が本城で、もう一方が支城の関係でした。どっちが本城か支城かは時代によって変化したようです。

城山公園の石碑



祗園城を貫通する県道31号線、思川に架かる観晃橋

祗園橋


往時の結城道、結城・小山・栃木を結ぶ街道でした。









大銀杏

















忠霊塔


祇園城は思川の東岸にあった南北に長い城です。15世紀に小山氏の居城となりました。1575年に小山氏は北条氏照によって攻略され、徳川家康関東移封後は本多正純が城主となりました。

観晃橋。31号線を横断し、南側の御殿跡へ行きました。



御殿広場と小山市役所。将軍が日光参拝の行き帰りに宿泊した御殿がありました。




小山評定跡の碑



須賀神社。須賀神社は中世には祇園神社といわれていたために、祇園城と名づけられたようです。

ここにも小山評定跡の碑が。

八幡宮


光明寺



鷲城は祗園城の南、同じ思川の東岸にあります。祗園城、中久喜城とともに小山氏城跡群に指定されています。鷲城跡に今は鷲神社があります。

鷲神社の参道


参道の両側は農地になっています。



鷲神社



神社北側の思川








ホタル生息地

鷲城跡の南側の小山総合公園





鷲城の中城・外城の境の土塁




須賀神社参道


小山宿脇本陣跡、明治天皇行在所跡

小山駅前

棚倉城の巻 江戸時代初期に丹羽長秀の長男・長重が築城

2016-04-16 20:11:19 | 宮城・福島・山形
福島県東白川郡棚倉町の棚倉城を訪ねました。
棚倉は、戦国時代は常陸の佐竹氏の領地でしたが、関ヶ原の戦いで態度が不鮮明だった佐竹義宣は秋田へ転封となり、空白となったこの地に九州の立花宗茂が入封、その後、丹羽長秀の長男・長重の領地となり、将軍秀忠の命で長重は棚倉城を築城しました。

水郡線・磐城棚倉駅


ちょうど十万石棚倉城まつりが開催中でした。


駅前の水戸街道

北門跡の東屋

棚倉城は江戸時代初期に造られた平城です。この地に城を造らせたのは徳川幕府の伊達への対策だと思われます。

北二門付近



北二門の土塁

別名を亀ヶ城といいます。



棚倉城主は幕末までの250年間に8家16代と頻繁に交替しました。丹羽、内藤、太田、松平、小笠原、井上、松平、阿部。15代城主の松平康英が川越へ移封となった縁で棚倉と川越は友好都市となり、十万石まつりの会場には川越からお祝いの使者が来ていました。



土塁の上の棚倉町合併記念碑

畑俊六元帥終焉の碑

忠霊碑



棚倉城址碑

櫓門跡






北二門の枡形







二の丸の石垣

二の丸石垣の下の棚倉中学校


時の鐘


学びの門

秋葉神社

秋葉神社の大ケヤキ

古民家


駅前の図書館。以前は棚倉城の中にあったそうです。

駅前通り