日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

備中高松城の巻 秀吉の「水攻め」、清水宗治が自刃し開城

2019-10-23 14:22:04 | 中国
備中高松駅高松城へと向かう踏切高松城の入り口、舟橋倒れた稲穂高松城址公園水攻めの水位表示板三の丸跡秀吉軍、毛利軍の布陣図「水攻音頭」高松城址公園資料館清水宗治像出土した石仏清水宗治像1985年(昭和60年)の洪水の様子漢詩「高松城懐古」二の丸跡宗治蓮本丸跡功労之碑高田馬治像。県立岡山農業高校の校長で、備中松山城の歴史を調査研究しました。清水宗治辞世の句「浮世をば今こそ渡れ武士(もののふ)の名を高松の苔に残して」日露戦役記念碑水攻め公園前の商店築堤跡宗治自刃の跡地ごうやぶ遺跡。宗治の切腹の前に2人の郎党が刺し違えてお供をしました。顕彰之記自刃の址妙玄寺の本堂秀吉軍の本陣があった石井山最上稲荷の鳥居蛙ケ鼻築堤跡毛利の大軍は足守川の対岸に布陣していました。高松城水攻め史跡公園築堤上の小径水没したエリア秀吉本陣があった石井山備中高松駅

津山城の巻 森忠政が築城、往時の石垣が残る

2019-10-22 13:53:05 | 中国
今津屋橋吉井川津山城今津屋橋通り築城400年京橋門跡
津山城の石段忘れられた石。鑿(のみ)の跡に注目です。復元図津山城に桜を植えた福井純一さくら名所100選津山城を築城した森忠政。美濃金山城主・森可成の息子で、本能寺の変で死んだ森蘭丸の弟です。津山城券売所冠木門尾上紫舟の歌碑四足門2004年に復元された備中櫓表鉄門表玄関本丸跡備中櫓入口五番門跡天守台備中櫓七番門跡長櫓跡森家入封300年記念碑井戸跡鐘楼鉄砲櫓跡常夜灯池田備中守長幸が津山城を訪れた時に完成したので備中櫓と名付けられたそうです。諸説あるようです。

鳥取城の巻 秀吉軍が包囲、天球丸巻石垣と大手登城路

2018-10-09 16:27:20 | 中国
鳥取駅からバスで鳥取城跡の久松公園に来ました。鳥取城の宝珠橋近くの堀「ふるさと」歌碑。鳥取出身の岡野貞一の作曲です。
さくら名所100選
久松公園。鳥取城跡の城山は久松山といいます。宝珠橋北ノ御門跡
久松山(標高260m)仁風閣。1907年(明治40年)建設のフレンチルネッサンス様式西洋館。本日休館です。

県立博物館博物館内部建築業協会賞西坂下御門角櫓下
二ノ丸跡三階櫓跡二ノ丸跡石切場三階櫓石垣天端角石修復工事
三階櫓跡裏御門跡官庁街。裁判所、県庁、県警本部があります。二ノ丸走り櫓県立鳥取西高。私の先輩の出身校です。菱櫓跡表御門稲荷社ここから先の山上ノ丸に本丸、二ノ丸、三ノ丸があり、本丸には天守がありました。本丸の標高は260m、天球丸は51m、比高差は200mほど。日没が近いので諦めました。
天球丸跡大手登城路天球丸の巻石垣表御門跡
天球丸の巻石垣日本唯一、奇っ怪な形の石垣です。崩壊した石垣を球形の石垣を追加して補強しました。大手登城路お左近手水鉢太鼓御門跡。三ノ丸跡に建てられた鳥取西高三ノ丸跡太鼓門仁風閣擬宝珠橋復元工事城代屋敷跡
久松山。中央の石垣は三階櫓跡。山上ノ丸天守が焼失したあとは、三階櫓が鳥取城の事実上の天守としてシンボル的存在でした。
太閤ケ平(たいこうがなる)の説明。山上ノ丸の東約1500mの山の頂上部に羽柴秀吉が築いた鳥取城包囲戦のための陣城で、石垣はありませんが、巨大な土塁の城です。山上ノ丸の説明擬宝珠橋。復元工事は完了し10月8日に完成式を終えていますが、今のところ土曜・日曜限定開放で、12月から毎日開放です。擬宝珠橋の完成によって大手登城路は二ノ丸三階櫓跡まで通行可能となります。鳥取城のメインストリート、大手登城路秀吉軍と籠城戦を戦い最後に降伏、切腹をした吉川経家の銅像今回は山下ノ丸しか見られませんでしたが、それだけでも腹いっぱい、十分に満足です。次回山上ノ丸、太閤ケ平も攻略したいものです。丸一日かかりですね。
鳥取城は吉川経家が降伏後、秀吉の側近宮部氏が治め、関ヶ原ののちは姫路城主池田輝政の弟、池田長吉が入城し、鳥取池田家となります。池田家は鳥取のほか姫路、岡山にもあり、それぞれ中国地方の雄藩として幕末まで存続します。

岡山城の巻 宇喜多秀家が築城、徳川時代は池田家が藩主として続く

2015-09-29 16:22:06 | 中国
備中松山城をあとにして岡山市内へ戻り、後楽園と岡山城を訪ねました。


日本三名園の一つ、後楽園です。後楽園に入り、旭川を渡って岡山城へと歩きます。後楽園は庭園でもあり岡山城防御のための曲輪でもあります。


沢の池と岡山城。後楽園に初めて入園しました。圧巻ですね。大きな池に緑の庭園、背景には岡山城が。水戸偕楽園、金沢兼六園、岡山後楽園、訪れた季節もありますが、私は後楽園が一番だと思いました。広大な芝生の日本庭園は珍しいですね。




旭川に架かる月見橋


いよいよ岡山城です。



岡山城の廊下門




廊下門付近

宇喜多秀家時代の古い石垣


中段の表書院跡。岡山城は本丸・二の丸という言い方ではなく、本段・中段・下段というようです。

穴蔵跡

泉水跡


月見櫓。国指定重要文化財です。


不明門(あかずの門)

天守の礎石

六十一雁木上門



岡山城は宇喜多直家・秀家の居城で、直家は備前の戦国大名で謀将として知らます。その子・秀家は備前中納言、五大老のひとりとして豊臣政権を支えました。関ヶ原の後には小早川秀秋が入城し、秀秋が早死すると、池田輝政の次男・三男が入城、幕末まで池田家の城として続きます。
岡山城は1945年6月の空襲で消失しましたが、1966年に鉄筋コンクリート、エレベーター付きの城として再建されました。
黒漆喰が美しく別名、烏城(うじょう)と呼ばれます。烏の濡れ羽色のように輝かしい黒です。


天守入口


天守内のエレベーター

天守最上部

天守から見る旭川と後楽園

シャチホコ

廊下門付近の石垣。天守へは大手門、表書院、廊下門の手前を右折して進むのがメインルートのようですが、私は廊下門から入り、表書院、不明門、本段へと進みました。時間があれば他のコースも歩きたかったです。


廊下門外から見上げる月見櫓と石垣

備中松山城の巻 日本で一番高い現存天守の山城

2015-09-28 16:21:00 | 中国
ネットで大手旅行会社の「1泊2日備中松山城・岡山城・竹田城跡・姫路城」という格安ツアーを見つけました。団体旅行で古城へいくのは本意ではないが、備中松山城と竹田城は交通が不便な場所にある山城なので、関東からいくのは結構大変です。
個人でいこうと思い何度か計画を立てましたが、時間とコストを考えるとどうも納得がいかない。迷っていて先延ばしするより、不本意でも決行することが大事と思い、団体旅行への参加を決めました。

岡山空港で観光バスに乗車。地元のしもでんバスにお世話になりました。「しもでん」というとあまりいい語感ではありませんが、かつての鉄道会社・下津井電鉄のバスなのです。

高梁市の市街地の駐車場に到着し、そこで小型バスに乗り換えて備中松山城へ向かいます。ちなみに備中松山城は高梁市にあり、伯備線の備中高梁駅が最寄り駅です。備中高梁の町は古い城下町で「男はつらいよ」のロケも行われました。



小型バスで城山中腹のふいご峠駐車場に到着し、ここからは徒歩です。松山城は臥牛山という標高430mの山頂に水野氏によって造られた山城です。



上太鼓丸櫓跡からの眺望。高梁市街を見渡せます。





大手門付近

二の平櫓跡


現存の土塀。国指定重要文化財です。


松山城では天守をはじめ二重櫓と三の平櫓東土塀が国指定重要文化財です。




二の丸跡に到着。天守と本丸南御門の櫓。天守は水野氏が築き現在に至る重要文化財ですが、南御門と両側の櫓は復元された物です。

二の丸は山城としてはかなり広いスペースです。



天守の北側にある二重櫓。これも国指定重要文化財です。巨大な岩盤の上に造られています。

天守北側の後曲輪

本丸から見る二層二階の天守。外観は三層に見えます。



天守内部

天守からの眺望

本丸跡

天守の唐破風と石落とし

本丸東御門(復元)

本丸土塀

天守の千鳥破風

現在の松山城の北に標高470mの大松山があり、そこに中世の山城、大松山城の城跡があります。




備中松山城は十分満足でした。松山城は愛媛県にもあり、そちらは伊予松山城といいます。実は関東にも松山城はあります。現在の東松山市にあった城で、区別する場合は比企松山城といえばいいでしょうか。
松山城は竹田城とならび「天空の城」として知られています。ポスターにあるような雲海に浮かぶ姿は城の北西の松山城展望台から撮影できます。私も挑戦したいとは思いますが、雲海を撮影できるのは冬の日の早朝限定ですからかなりハードルが高いです。