日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

助川海防城の巻 水戸藩主徳川斉昭が攘夷のために築城

2016-07-25 17:46:42 | 茨城
JR常磐線・日立駅の助川城を訪ねました。

日立駅の改札口

日立駅中央口。駅前広場と自由通路は高低差がないので階段はありません。駅前からバスに乗車、日立総合病院で下車しました。

日立総合病院。日本では数少ない株式会社が経営する病院です。まさに日立の城下町、市全体が「日立」のようなものですね。駅舎も駅前通りも公園も病院もインフラすべてが充実している感があります。

日立総合病院の裏手の助川城の城山。日立市は旧日立町と旧助川町が1939年に合併し、発足しました。助川城は旧助川町にあった海防城です。


助川城は幕末に尊皇攘夷の急進派、水戸藩主徳川斉昭が海防のためにつくった城です。


助川城址公園の入口


公園の表側には日立市の福祉施設が建っています。


鳩石

養正館跡。水戸藩家老、助川城の館主、山野辺義親がつくった藩士のための教育施設です。

茨城百景の碑






尊皇攘夷の碑

日立の工場群

助川城は天狗党の乱で天狗党に攻められ落城しました。天狗党は筑波山で挙兵し、北関東一帯を行軍、助川城を攻略し、その後は再び北関東を経て信州、美濃を経て越前で降伏しました。水戸藩は、徳川斉昭・徳川慶喜父子の存在、天狗党の乱、戊辰戦争時の内紛など、長州・会津とならび幕末の火薬庫的存在です。



日立市・山辺町友好都市記念植樹。山辺町は山形県南東部にあり、初代館主山野辺義親が山辺町出身であったために友好都市となりました。

本丸館跡



本丸の石垣

太平洋

表門礎石

遠見番所跡




猪苗代城の巻 猪苗代・伊達・蒲生・上杉を経て会津藩の支城になる

2016-07-22 17:44:06 | 宮城・福島・山形


磐越西線・猪苗代駅に到着。今日は猪苗代城を目指します。

磐梯山






猪苗代城の大手門です。猪苗代城は1191年に猪苗代氏によって築城され、1589年の伊達・蘆名が争った摺上原の戦いで蘆名氏が敗北し、猪苗代氏の支配は終了しました。その後は会津若松城の支城・出城として存続、幕末の戊辰戦争では会津藩城代が猪苗代城に火をかけて撤退したために焼失しました。猪苗代氏時代の中世の城は鶴峰城、近世の会津藩の城は亀ヶ城として別の平山城としてそれぞれ城跡が残っています。会津若松城は別名が鶴ヶ城、猪苗代城は別名亀ヶ城です。

大手門多門櫓台の石垣


大手門冠木門跡


大手道

鐘撞堂

三本杉井戸


帯郭法面石垣


二の郭櫓門跡


二の郭跡の野口英世像

本丸黒門跡

本丸跡

本丸跡から見る磐梯山


北帯郭


公園広場

亀ヶ城の城山


体育館

蛍庭

鶴峰城への道


石積枡形虎口

分郭



鶴峰城本丸の下の小学校プール


本丸跡





鶴峰城跡北側の公園入口



猪苗代駅に戻りました。