日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

根古屋城の巻 雁坂道・秩父往還への抑え、北条・鉢形城の支城

2016-06-17 14:55:33 | 埼玉
西武鉄道・横瀬駅で下車し、秩父の古城、根古屋城を訪ねました。

横瀬駅前から見る武甲山



三菱マテリアルの工場


三菱マテリアルの工場


三菱マテリアルの工場は西武鉄道の線路の東西両側にあって、2つの工場は横断橋で結ばれています。


西武鉄道の線路

国道299号から見る武甲山。秩父はセメント・コンクリート輸送車など大型トラックが多いです。


国道299号を芦ヶ久保方向へ30分ほどいくと根古屋城址への入り口があります。目印は浜中自動車です。

浜中自動車を右折し数分で根古屋城址遊歩道北口があります。駐車場所はありません。念のため。



案内板は親切ですが、道は夏草が茂っています。


西口からの遊歩道との合流点


案内図


ここから山頂への急坂になります。


根古屋城の山頂です。

山頂から見る武甲山

秩父盆地の方向

山頂から見下ろす国道299号。根古屋城は北条の鉢形城の支城で、雁坂道の抑えとしてつくられました。雁坂道は秩父から甲斐へとつながる古道です。武田信玄が関東へ進軍するときのルートの一つでした。今は長大な雁坂トンネルが開通しています。

西側の御殿跡


西郭

土塁

遊歩道西口付近から見た三菱マテリアル工場

遊歩道西口。西口はわかりにくいです。北口から入るのをお薦めします。


根古屋城の城山

国道沿いの横瀬町歴史民俗資料館。町の規模から考えると立派な施設です。

国道299号と140号が交わる上野町の交差点

秩父はそばが名物です。

秩父まつり会館を見学




秩父まつりの屋台

笠鉾。屋台と笠鉾の違いは、舞台があるかどうかだそうです。舞台があるのが屋台です。これらは原寸大の模型です。


2階から見下ろす屋台

笠鉾

笠鉾の模型

秩父夜祭りのポスター

秩父神社を訪問しました。


神門

奉納帳。太平洋セメント500万円、秩父太平洋セメント400万円、矢尾グループ、三菱マテリアル300万円、西武鉄道、埼玉りそな銀行、キヤノン電子200万円。三峯神社ではキヤノン電子がトップ、次が西武鉄道でした。

本殿


子宝子育ての虎。左甚五郎の作です。




つなぎの龍。左甚五郎作


北辰の梟


「よく見、よく聞いて、よく話そう」のお元気三猿

西武秩父駅から見る武甲山

岩槻城の巻 人形の町・岩槻、元荒川の河畔あった江戸城北の備えの水城

2015-07-12 15:02:32 | 埼玉
さいたま市の岩槻城を訪ねました。

東武・野田線の岩槻駅は現在改装工事中です。

岩槻駅にきたのは2度目か3度目ですが、ずいぶん駅前は開発されています。旧岩槻市は10年前にさいたま市と合併し、さいたま市岩槻区となりました。


時の鐘

岩槻城の絵図。戦国期は小田原北条氏の城でした。江戸時代には江戸の北の防衛拠点として譜代の大名が藩主でした。荒川の支流、元荒川の沼を生かして築城された水城です。


大手門跡。城周辺の沼はほぼ埋め立てられたので、往時の地形、城構えは残っておりません。

岩槻本丸公民館





土塁。岩槻城は石垣はなく、土塁の城です。

市民会館いわつき

裏門

空濠

新曲輪の碑





八ツ橋

岩槻区の花・やまぶき

東武特急きぬ



時計塔

黒門


岩槻本丸公民館・屋内プール

人形の東玉。駅に戻りました。

「岩槻に地下鉄を」のPR看板。埼玉高速鉄道は現在、浦和美園が終点ですが、その鉄道を岩槻まで延伸する計画がありました。路線が延長になると地下鉄南北線が岩槻にくることになります。実現の可能性は?ですが。

川越城の巻 太田道灌が築城、北条氏が支配し、徳川譜代大名が治めた関東の拠点

2015-06-24 14:59:30 | 埼玉

川越駅。駅前ロータリーの上には広い歩行者デッキがあって、その下はバスターミナル、タクシー乗り場になっています。こういった駅前の構造は高度成長時代以降多くの地方都市で見られるようになった画一的な風景です。とくに新幹線の駅に歩行者デッキは付き物のような観があります。



川越城本丸御殿。川越城の遺構はこの本丸御殿以外はほとんど残っておりません。私は川越は何度もきているし、本丸御殿の近くも歩いたことがありますが、御殿には入館したことがありませんでした。意外にも川越城は日本100名城に選定されています。

初雁武徳殿の記念碑。川越城は別名で初雁城ともいわれています。本丸御殿は明治維新後、中学校となり、その後、川越県庁舎、入間郡公会所を経て昭和初期には初雁武徳殿となりました。武徳殿とは武道場のことです。






御殿内部

本丸門跡。川越城の遺構は本丸御殿以外には富士見櫓跡、中ノ門跡、大手門跡などがある程度です。

市立博物館

市立美術館。美術館も博物館も休館でした。

仙波東照宮

喜多院。別名・川越大師。新年3日の初大師はだるま市で賑わいます。

喜多院の門前の天海僧正像。天海は江戸幕府初期に家康、秀忠、家光を支えた天台宗の僧侶です。



川越八幡宮

菅谷館の巻 都幾川の流れに沿う、鎌倉幕府開設の功将・畠山重忠の館

2015-03-07 18:24:41 | 埼玉
杉山城、小倉城を経て、最後に菅谷館跡、埼玉県立嵐山史跡の博物館を訪ねました。今回は車で回りました。交通の不便な城跡を回るには車の機動力は必須です。
菅谷館は鎌倉時代の武将、畠山重忠の館です。重忠は源頼朝に協力し鎌倉幕府の成立に貢献、幕府では重要な地位にありましたが、頼朝の死後、畠山重忠の乱で北条氏によって滅ぼされました。比企一帯や重忠誕生の地の深谷周辺では畠山重忠は地元の英雄です。



菅谷館跡に埼玉県立嵐山史跡の博物館が建設されています。菅谷館の搦手門が博物館の入口となり、博物館の裏手が三の郭、二の郭、本郭となり本郭の奥が都幾川の河川敷となっています。

博物館裏の三の郭

菅谷館の立体模型

二の郭にある地元の英雄、畠山重忠像。鎌倉の方向に向いています。昭和4年に地元の有志が作った竹芯の「竹筋コンクリート」だそうです。



二の郭付近の土塁

本郭


南郭から望む都幾川



忠魂碑


梅林



蔀(しとみ)土塁。目隠しのための土塁です。


三の郭から西の郭へゆく木橋。西の郭の先に大手門がありました。




博物館の入口、菅谷館の搦手門跡付近の空濠



博物館に戻って館内を見学。館内は撮影禁止。展示内容は「?」という印象でした。

小倉城の巻 都幾川の支流・槻川に張り出す丘陵の地形を活かした山城

2015-03-07 18:23:24 | 埼玉
杉山城の次にときがわ町の小倉城を訪ねました。以前の都幾川村と玉川村が合併して、新たにときがわ町となりました。都幾川という川に因んだ地名なので、やはり漢字のほうがいいと思います。小倉城は「こくら」ではなく「おぐら」と読みます。念のため。小倉城は荒川の支流の都幾川のさらに支流の槻川に張り出す丘陵にあります。


小倉城は大福寺という小さな寺院の裏山にあり、城跡へいくにはこの大福寺が目印です。いつ、誰が築城したのかはいくつかの説があって、まだ特定されていません。

大福寺




山城ならではの登山道が続きます。戦国時代に造られた関東の城には珍しく所々に石垣、石積み土塁があります。



本郭の虎口



史跡小倉城跡の石碑



本郭の標高は140メートル。麓の大福寺からはけっこうな登りでした。


本郭一帯


本郭の中央、石碑は大きな石の上に立っています。


本郭西の虎口。二の郭へと続きます。






小倉城は郭の数が5つと、杉山城と比べるとやや規模は小さく、本城というより、支城、防衛拠点といった印象でした。