日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

壬生城の巻 壬生氏が築城、徳川譜代の鳥居氏が城主となり幕末に至る

2016-06-22 14:57:43 | 栃木

金崎駅から栃木駅へ戻り、折り返して東武宇都宮線の壬生駅へ来ました。


蘭学通り。壬生町は「蘭学の街」としてうり出しています。





古い商家が並ぶ町並み

自成館




大きくて古い商家。実は由緒ある御屋敷でした。

壬生城址公園の駐車場

城址公園の門


壬生城は室町時代に壬生氏によって築城された平城です。この時期に平城はかなり珍しいですね。
壬生氏は秀吉の小田原攻めでは北条方に加わり滅亡し、家康関東入封後は一時結城秀康が城主となり、江戸中期に鳥居氏が城主となって幕末まで続きました。鳥居氏は伏見城で籠城し討死した鳥居元忠の子孫です。




公園内の公民館


土塁


土塁上から見た復元堀

種痘医・斎藤玄昌の記念碑

図書館

歴史民俗資料館


「医家石崎氏三代」の企画展を開催。石崎氏は代々鳥居家の藩医を務めました。4代目正達は関東で最初の人体解剖を行い、5代目誠庵は幕末の藩医で維新後は明治政府で活躍、6代目鼎吾は壬生に賛成医院を開設。先ほど見たメインストリートの御屋敷はこの石崎氏の屋敷でした。

壬生城の模型

鼎吾は函館医学校で学んだそうです。函館に医学校があったとは初耳でした。函館医学所は幕末の1860年創設、明治以降は官立函館病院となります。現在の市立函館病院です。函館病院は北海道で一番歴史ある病院ですが、明治以降は医学部はありません。ちなみに先日駒ケ岳付近で遭難した少年は函館病院にヘリで搬送されて元気に回復し退院しました。私は函館時代には祖母や叔父の見舞いでこの病院へ何度も母に連れられて行きました。


城址公園の堀

復元された城門

石崎眼科。石崎家の子孫です。


石崎家周辺

石崎家長屋門の側面


石崎家長屋門。今は数軒の商店が営業しています。今後どう保存されていくか注目です。壬生町の隣、下野市には自治医科大学があります。石埼家の存在が自治医大の開校になにか影響があったのでしょうか。
自治医大は僻地の医師不足を解消するために都道府県の出資によって開設された栃木県唯一の医科大学です。


西方城の巻 宇都宮氏一族・西方氏が築いた山城、土塁・虎口が残る

2016-06-22 14:57:10 | 栃木

西方城へ行くために東武日光線・東武金崎駅に来ました。西方城は宇都宮氏一族、西方景泰が築城し、西方氏代々の居城でした。豊臣秀吉の小田原攻め以降は廃城となりました。

駅前の周辺地図。写真の左上方の長徳寺が西方城の入口です。長徳寺へは金崎駅から徒歩30分くらい。

西方城の城山



所々に標識が出ています。

東北自動車道の下を通過。

駐車場

長徳寺

西方城の案内図

西方城址入口




竪堀


堡塁

本丸・北の丸へ

北の丸



土橋


「眺めの良いところ」ですが、視界はどんよりです。

空堀

二の丸

土橋


本丸

本丸の小さな神社

本丸の謎の石

横矢





枡形虎口

南丸



水の手

馬出し

東丸

長徳寺に戻りました。西方城は目玉がなく、印象が薄い山城でした。

小山城の巻 思川の東岸に小山氏が築城した祗園城と鷲城

2016-04-18 20:11:48 | 栃木

栃木県小山市の小山駅です。

祇園城跡に建つ小山市役所


祇園城跡の城山公園入口。祇園城跡を県道31号貫通し、北側に城山公園、南側に市役所と御殿広場、小山評定跡があります。
祗園城と鷲城は直線で3kmほどの距離で、2つの城は片方が本城で、もう一方が支城の関係でした。どっちが本城か支城かは時代によって変化したようです。

城山公園の石碑



祗園城を貫通する県道31号線、思川に架かる観晃橋

祗園橋


往時の結城道、結城・小山・栃木を結ぶ街道でした。









大銀杏

















忠霊塔


祇園城は思川の東岸にあった南北に長い城です。15世紀に小山氏の居城となりました。1575年に小山氏は北条氏照によって攻略され、徳川家康関東移封後は本多正純が城主となりました。

観晃橋。31号線を横断し、南側の御殿跡へ行きました。



御殿広場と小山市役所。将軍が日光参拝の行き帰りに宿泊した御殿がありました。




小山評定跡の碑



須賀神社。須賀神社は中世には祇園神社といわれていたために、祇園城と名づけられたようです。

ここにも小山評定跡の碑が。

八幡宮


光明寺



鷲城は祗園城の南、同じ思川の東岸にあります。祗園城、中久喜城とともに小山氏城跡群に指定されています。鷲城跡に今は鷲神社があります。

鷲神社の参道


参道の両側は農地になっています。



鷲神社



神社北側の思川








ホタル生息地

鷲城跡の南側の小山総合公園





鷲城の中城・外城の境の土塁




須賀神社参道


小山宿脇本陣跡、明治天皇行在所跡

小山駅前

那須烏山城の巻 室町時代に那須氏が築いた山城、石垣・土塁が残る

2016-04-03 20:09:09 | 栃木

烏山の新しい駅舎

駅前のコーヒー店

蔵屋敷


大谷石製の古い商店

地酒「東力士」の居酒屋





烏山城の入口

寿亀山神社。神社前を左折、七曲りを進みます。


七曲り



車橋跡


常盤門跡

石垣

吹貫門跡



正門跡


空堀

二の丸跡


古本丸跡へ



古本丸跡






北側の登城道、十二曲り



十二曲り入口


烏山高校

和菓子店

八雲神社

いい雰囲気のラーメン店

烏山駅前の商店

古い駅舎は近代化遺産だそうです。遺産というからには現存するのかと思いきや、新駅舎の建設のため取り壊したそうです。


足利氏館の巻 足利氏が居館に御堂を建設、氏寺となった鑁阿寺

2015-06-25 15:00:38 | 栃木
栃木県足利市の鑁阿寺、足利氏館を訪ねました。鑁阿寺は20年ほど前に一度来たことがありますが、まさか日本100名城に指定されるとは思いませんでした。
もともと鑁阿寺は足利氏の居館であり、その後居館内に大日如来を奉納した御堂を建立、鑁阿寺となりました。城といっていのかどうか。

鑁阿寺の参道

足利尊氏像

鑁阿寺山門



山門の裏手


弘法大師像

本堂

多宝塔

不動堂

経堂

霊屋

大酉堂

本堂と不動堂

校倉

蛭子堂

鐘楼
鑁阿寺の名前の由来を調べました。そもそも鑁阿寺の鑁という漢字は私が持っている中型の漢和辞典には載っていません。漢和辞典に載っていないのにキーボードで漢字変換できるのも不思議です。ネットで調べたところ、読みは呉音でモン、漢音でバン。漢字の意味は分かりませんでした。サンスクリット語のバンナという言葉に由来し、バンナに漢字を当てはめたもののようです。

太平記館

史跡足利学校のポスター。弘道館(茨城県水戸市)、閑谷学校(岡山県備前市)、咸宜館(大分県日田市)とならび日本遺産です。

足利学校の堀

裏門

入徳門

事務所

孔子像

稲荷社

学校門

遺跡図書館

字降松(かなふりまつ)。足利学校の学生が読めない漢字を紙に書き松の木に結んでおくと、翌朝には教頭がふりがな、意味を書いて答えてくれたそうです。

杏檀門

孔子廟


東郷平八郎、上村彦之丞、伊東祐亨の3人の海軍将官手植えの月桂樹。海軍将官と足利学校はどんな関係があるのでしょう?3人ともに薩摩出身。伊東は連合艦隊初代司令長官として日清戦争で清国艦隊に勝利しました。日露戦争時は伊東は軍令部長、東郷は連合艦隊司令長官、上村は第2艦隊司令長官です。



足利学校の方丈

南庭園

北庭園

學校の表札。当時は学校は一つしかなく、学校といえば足利学校のことなのでしょう。明治初期の大学校(のちの東京帝国大学)も同じですね。

室町時代に足利学校を再興した上杉憲実の像