日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

徳島城の巻 蜂須賀小六の嫡子・家政が初代阿波藩主として築城

2017-01-07 15:57:17 | 四国


徳島駅正面


徳島城は徳島駅の東にあり、駅を出て線路沿いに南東に歩き跨線橋で線路を横断し城址公園へ入ります。



太鼓櫓跡の石垣



太鼓櫓のラジオ塔。昭和初期の街頭ラジオです。

旧帝国海軍駆逐艦追風(初代。おいて)の記念マスト。追風は日露戦争後に就役した初代と、太平洋戦争中1944年2月にトラック島付近で沈没した2代目の2艦があります。

阿波おどり記念碑



徳島城博物館

徳島城をつくった蜂須賀家政の像。家政は豊臣秀吉の重臣、蜂須賀小六正勝の嫡子です。







東二ノ丸

戦災慰霊碑

天守跡



本丸石垣

本丸跡。本丸は天守より高いところにありました。



徳島城に伝わる清玄坊の逸話


弓櫓跡






西二ノ丸

帳櫓跡


警察・消防殉職者慰霊碑

西三ノ丸


貯水池。城山に貯水池はよくあります。



C86蒸気機関車


弁天池


城山の貝塚


文学博士鳥居龍蔵記念碑。貝塚の発見者です。

隅櫓跡



城の東側は船着き場になっています。徳島城は吉野川の河口近く、助任川と新町川にはさまれた中洲に築城された水城です。

城の東側の堀は数寄屋橋






旗櫓跡




表御殿庭園の入口



心字池









下乗橋



鷲の門は空襲で焼失、1989年に復元されました。





夕暮れの徳島駅前




高松城の巻 三大水城の一つ、2棟の櫓と天守台が残る

2017-01-07 15:55:37 | 四国
四国の旅3日目は高松城です。高松城は、豊臣政権時代に生駒氏が築城、江戸時代初期に松平氏が入封し、幕末まで続きました。日本三大水城の一つです。

高松城南西部の櫓台

高松築港駅。高松城の本丸・二ノ丸西端部に琴電の高松築港駅がつくられました。



高松城の別名は玉藻城。現在は玉藻公園として整備されています。

野面積みの石垣。荒々しくて、いいですね。




二ノ丸跡


鉄門跡


内堀

松ぼっくりのツリー

重要文化財の月見櫓


高松港の報時鐘

瀬戸内海の小豆島、豊島、男木島が見えます。


渡櫓

水手御門

月見櫓、渡櫓、水手御門はともに重要文化財です。




披雲閣の門




藩主居館・政庁だった披雲閣を大正時代に再建しました。



披雲閣の庭園

本丸と二ノ丸を結ぶ鞘橋。本丸は周囲を内堀に囲まれ唯一の橋が鞘橋でした。


本丸天守台


鞘橋の入口

内堀と琴電のホーム。内堀の西側を埋めて線路を通しました。



天守台上部



二ノ丸と鞘橋。左の高層ビルは四国最高シンボルタワー高松サンポート、右はJRホテルクレメント高松。





本丸虎口


地久櫓跡

本丸




二ノ丸

「鯛願城就」

鯛のエサ100円。内堀は海水を引き込んでいるので、鯉ではなく鯛がいます。


逆さ天守台







披雲閣内部


艮(うしとら)櫓。重要文化財です。



埋門



旭門

艮櫓


旭門と旭橋


中堀

艮櫓

東ノ丸

財団法人松平公益会


東ノ丸跡の県立ミュージアム


ミュージアムの東側正面


ミュージアムの前面




外側から見る月見櫓


高松港の報時鐘




左から月見櫓、続櫓、水手御門、渡櫓





水任流泳法を奨励した松平頼明の顕彰碑。「さぬきの国は海辺の国なれば水練は武道の一班たるべし」




高松市の木、黒松






丸亀城の巻 瀬戸内海を臨み、木造天守が現存、高石垣が美しい

2017-01-06 15:53:47 | 四国

丸亀駅に到着。丸亀には約10年ぶりです。

丸亀駅前の猪熊弦一郎美術館。

丸亀城の水路跡

丸亀城の天守が見えてきました。


山下曲輪跡の市立資料館。現在工事中です。

丸亀城跡は現在は亀山公園となって整備されています。



藩主玄関先御門

丸亀城の「絵手紙おばあさん」。丸亀では丸亀城の次に有名なようです。

大手一ノ門


大手ニノ門前の内堀

大手ニノ門

大手枡形の石垣



観光案内所

三ノ丸下の高石垣

帰厚の碑。丸亀城の保存に貢献した片岡政吉の記念碑です。片岡はアルプス電気の創業者です。




三ノ丸へつながる見返り坂

高浜虚子の句碑






三ノ丸からの眺望。瀬戸大橋が見えます。


坂出の造船所

丸亀市街

戌亥櫓跡



二ノ丸石垣

勤王碑。幕末丸亀藩の勤王志士、土肥実光と村岡宗四郎の碑。


延寿閣別館。藩主京極家江戸屋敷を移設しました。




三ノ丸

二ノ丸への虎口


二ノ丸

冬桜




本丸



天守入り口




天守最上階


山下曲輪の「絵手紙おばあさん」が見えます。


天守内の展示






戌亥櫓跡


観光案内所

丸亀はうちわの産地です。タオルは今治、うちわは丸亀です。

案内所内のうちわ工房

大手門の橋



大手門前の広場から見える丸亀城の全容。ベスト撮影スポットです。


浦戸城の巻 四国の雄、秦始皇帝の末裔、長宗我部元親が築城

2017-01-05 15:51:50 | 四国
高知城をあとに桂浜へ向かいました。


あまりにも有名な桂浜の坂本龍馬像。懐へ右手を入れているのが特徴です。

この龍馬像は1928年(昭和3年)の建造。建設者は高知県青年、原型は本山白雲、財手は島村治文、鋳造は角川健治、台座工事は宮本金太郎。全国にある龍馬像のさきがけ、元祖です。


桂浜の太平洋


龍馬彰勲碑


椿の小径

標高59mの浦戸山に現在は国民宿舎と龍馬記念館があります。

坂本龍馬記念館

記念館前のシェイクハンドの龍馬像

浦戸城の入口

浦戸山

山祇神社

浦戸山山頂の浦戸城天守跡。浦戸城は16世紀半ばに本山氏が築城、その本山氏を長宗我部国親(元親の父)が滅ぼして長宗我部の城となりました。国親の子、元親は岡豊城から大高坂城(のちの高知城)、浦戸城と本拠を移しました。元親の子、盛親は1600年の関が原の戦いで西軍に加わって敗戦、長宗我部は断絶。浪人となった長宗我部盛親は真田幸村らとともに大坂の陣で戦い、敗れて処刑。長宗我部氏はもとは秦(はた)と称した渡来人で秦始皇帝の末裔だそうです。
長宗我部のあとに土佐に山内一豊が入国し、大高坂城を拡張して高知城を築き、山内家は幕末まで土佐藩が続きます。



龍馬記念館に入館します。





海援隊の隊旗

高杉晋作が龍馬に贈ったピストル、スミス&ウエッソン32口径、同型機です。

龍馬が暗殺された京都の近江屋の現場を復元しました。

記念館の展望フロアからの眺め。夕日がきれいだと思います。


龍馬の生家の模型

ジョン万次郎を救助した捕鯨船ジョン・ハウランド号の模型

龍馬と中岡慎太郎

桂浜の龍馬像の原型のレプリカ



桂浜水族館


稲荷神社



車道の脇の浦戸城址碑

高知駅

駅前の土佐維新三傑の像。右から中岡慎太郎、坂本龍馬、武市半平太。高知は偉人の像の宝庫です。





高知城の巻 木造天守が残る土佐24万石、山内家の城

2017-01-05 15:49:25 | 四国

2017年の新春、初旅は四国へ出かけます。今時めずらしいタラップで高知行きの日航機に搭乗。

新春の富士山

土佐の高知のはりまや橋

高知城



馬場跡


ガス灯


2017年3月に開館予定の高知城歴史博物館


高知城下屋敷跡の高知県庁

県庁前の日時計


板垣退助像


高知城は1934年に旧国宝に指定されましたが、戦後は法律が変わり、1950年に重要文化財となりました。ここまでは松江城も同じですが、松江城は2015年に再び国宝指定となりました。

追手門表側

同内側




追手門の枡形

土佐藩家老野中兼山の碑


初代藩主山内一豊像





野村茂久馬像。明治期に鉄道、造船、バス事業を行い「土佐の交通王」といわれました。





石樋。土佐は雨が多いので、石垣の内部の水を吐き出すための樋が必要です。


山内一豊の妻、千代の像





杉の段


楠正興像。医師で、山内容堂の侍医となり、維新後は楠病院を開業しました。





鉄門跡


詰門




鐘撞堂

黒鉄門


本丸




本丸御殿の内部



高知城の模型

天守内部


本丸を囲む手前から東多聞、廊下門、西多聞、右に伸びるのが詰門

追手門付近



天守最上階





長宗我部氏の岡豊城、浦戸城、大高坂城(高知城)の説明



陣羽織


土佐の一領具足

廊下門・東多聞内部の展示


廊下門

西多聞



二の丸

枡形





二の丸下の石垣博覧会







開館間近の歴史博物館

高知大神宮