日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

名胡桃城の巻 豊臣秀吉の北条攻めの発端となった真田の城

2016-03-30 14:54:01 | 群馬
NHK大河ドラマの前半戦の一つの山が名胡桃城をめぐる真田と北条の争いです。真田・徳川との和睦にあたって徳川は沼田城と名胡桃城を真田領と認めました。秀吉はその状態で惣無事令を出し、大名間の領土争いをすべて禁止します。ところが北条は名胡桃城は北条の城だと主張し、北条の重臣が名胡桃城を奪取し、秀吉の惣無事令に背きました。これが秀吉の北条攻め、関東攻略に発展しました。上杉、前田、真田の軍は北関東を制覇、秀吉の本軍、徳川、堀、宇喜多など大軍が北条の本城・小田原城を包囲し、関東の雄・北条はついに降伏、北条がおさめた関東に新たに家康が入封しました。こういった経緯を経て名胡桃城と沼田城は真田領として豊臣に安堵されました。

後閑(ごかん)駅。名胡桃城は後閑駅から徒歩で30分ほどです。


月夜野大橋を渡って名胡桃城へ行くのですが、大橋へ上がるところの道がわかりにくい。

月夜野バイパスの月夜野大橋

河川敷の太陽光パネルと三国山系の山々

利根川


湯舟橋


名胡桃城の土塁

名胡桃城址の入口


名胡桃城址案内所





案内所内部


馬出郭


堀切

三郭




二郭



二郭


本郭

名胡桃城址碑



ささ郭への通路


ささ郭からの眺望



ささ郭から見た本郭

三郭のごく一部石垣が残っています。

般若郭の駐車場

堀切

般若郭の外側の治山工事


般若郭の堀切

般若郭


会津・鶴ケ城の巻 戊辰戦争で落城、今年天守再建50年を迎える

2016-03-22 14:52:27 | 宮城・福島・山形

会会津鶴ヶ城の天守は今年再建50年です。会津若松駅と白虎隊の像

蒲生氏郷の墓所がある興徳寺


「限りあれば吹かねど花は散るものを心みじかき春の山風」蒲生氏郷の辞世の歌碑


蒲生氏郷の墓。上から「空風火水地」を意味する五輪塔

同じく蒲生氏郷の歌碑


会津藩最後の藩主・松平容保の歌碑「百とせを三たびかさねし若松のさとは幾千代栄えゆくらん」

興徳寺瑞雲閣

旧会津中学校の碑


藩校日新館の跡地に日新館という名前のスイミングスクールがあります。観光施設としての「藩校日新館」は市の郊外にあります。


南町通濠


西追手門付近

西出丸の駐車場


梅坂




鐘撞堂




太鼓門の石垣

武者走り


天守台の野面積み石垣


鶴ヶ城稲荷

蒲生時代の表門跡





1966年(昭和41年)に再建された天守

本丸井戸

本丸跡


干飯櫓

天守入口

天守売店

鶴ヶ城模型


天守下の塩蔵

天守最上階

磐梯山。手前に白虎隊墓地がある飯盛山

会津若松市街

干飯櫓へつながる南走長屋

干飯櫓内部

干飯櫓の鉄砲挾間

石落とし


江戸時代の表門・鉄(くろがね)門

鉄門の表側


上杉謙信仮廟所跡。上杉景勝は会津移封の際に謙信の墓を会津へ移しました。米沢移封の際には米沢へ移しました。

笠間稲荷神社


五軒丁濠




馬洗石



月見櫓


茶壺櫓

廊下橋





奥御殿の庭の跡

御三階跡

表御庭跡


麟閣。千利休の高弟だった蒲生氏郷は利休の子・少庵をかくまいました。麟閣は少庵がつくった茶室です。

寄付

中門

腰掛待合

つくばい


茶室

にじり口






「荒城の月」の碑。「荒城の月」の碑は確か大分県竹田市の岡城址にもあったと記憶しています。仙台青葉城にもありました。他にも岩手県二戸市の九戸城、富山市の富山城にもあるそうです。

藩主居間の庭跡

奥御殿跡


戊辰戦争後の鶴ヶ城の写真



廊下橋付近の石垣

廊下橋






二の丸


東門

東門入口

司馬遼太郎文学碑

土井晩翠の像



秋月悌次郎の「北越潜行」の詩碑

「八重の桜」山本八重の像

県立博物館


北出丸

鶴ヶ城は若松城、会津城などいくつかの呼び名があります。文部省は若松城として史跡指定をしました。そういえばい「会津」という地名も本来は旧国名ですが、会津若松市=会津というイメージもあります。明治期に若松市が発足、戦後、会津若松市となりました。かつて若松市は北九州にもありました。九州の若松市と区別するためというより、会津人としては積極的に会津の2文字を付けたかったのだと推察します。


戊辰戦争で大破した鶴ヶ城の整備に貢献した遠藤敬止の頌徳碑

北出丸から見た天守

武徳殿


小諸城の巻 島崎藤村で有名、千曲川を見下ろす「懐古園」

2016-03-09 14:48:32 | 長野

しなの鉄道・小諸駅の駅舎内

小諸駅


駅前の停車場ガーデン

しなの鉄道の線路を渡って小諸城址へいく跨線橋

立派な跨線橋です。これだけ幅があれば花見のシーズンでも大丈夫か。


三の門

秀忠憩石。秀忠が率いる徳川本軍は関ヶ原へ進む途中で上田城を攻撃します。秀忠は小諸城を本陣とし、この石に座ったそうです。


懐古園の入り口、三の門。小諸城址は今は懐古園となっています。

三の門の内側

徴古館

小諸城は武田信玄が築城し、一時は織田の武将・滝川一益が入城したが、徳川家康が関東に移ると仙石秀久が小諸城主となり、大規模な改修工事を行って現在に残る縄張りとなりました。北側は北国街道、南側は千曲川の断崖絶壁、城は北国街道沿いの城下町より低位にあって、街道から城内が見えたために「穴城」と言われたそうです。

券売所


野面積みの石垣

二の門跡


二の丸跡


二の丸に秀忠が滞陣したそうです。

二の丸跡から見る浅間山(2568m)。左は黒斑(くろふ)山(2404m)。黒斑山は1990年ころに一度登りました。

番所跡

中仕切門跡

北の丸跡

北の丸跡の弓道場


南丸跡

鶯石


空堀


稲荷神社

懐古射院、弓道場です。

南丸と本丸の間の紅葉谷に架かる黒門橋


紅葉谷

黒門跡



馬頭観音


ケヤキの大木

荒神井戸

藤村記念館

藤村像


桜開花観測木

小諸八重紅枝垂桜

武器庫


酔月橋。この先に小山敬三のアトリエと美術館があります。




酔月橋の周囲の空堀と断崖

「千曲川旅情」の藤村詩碑

水の手展望台。小諸城で私が一番好きな場所です。


水の手台から見下ろす千曲川の流れ。絶景です。


西側の絶壁


懐古園から千曲川へ下っていく道があります。一度川岸へ行ってみたい。


天守台北側の石垣

八重紅枝垂桜

富士見台

ここから富士山が見えるようです。

動物園

動物園と懐古園の間の空堀

小諸城は武田信玄の軍師・山本勘助が築いたという説もあります。


本丸跡の懐古神社


社務所

山本勘助が愛用したという謂れの鏡石

本丸跡の碑

新徴組に加わった小諸藩士・佐々木如水の碑

懐古園の碑

懐古神社の鳥居

小諸城址の碑


駕籠台跡



弓道場



東側の石垣と崖

浅間山の噴火でできた石を利用したために焼石と言われるそうです。




動物園の東側

小諸義塾記念館

「惜別の歌」歌碑

観光交流館

くらしかる浪漫館



小諸宿本陣主屋


上田城の巻 2度にわたって徳川の大軍を撃退、千曲川の段丘面に建つ平山城

2016-03-08 14:46:36 | 長野

上田駅に到着。しなの鉄道・上田駅の入口です。

赤備えの甲冑レプリカ


上田駅

真田幸村像

駅前の商業ビル。駅前通りが市街地へまっすぐに伸びています。

河岸段丘、崖下の道。当時、上田城の真下を千曲川が流れていました。このあたりを尼ヶ淵といい、上田城は別名、尼ヶ淵城と呼ばれました。

二の丸堀



二の丸橋


大河ドラマ館

真田十勇士ウォーキングマップ


東虎口櫓門。右に北櫓、左は南櫓

東虎口の空堀

千曲川の方向。今は新幹線、しなの鉄道が通っています。

東虎口の北側の本丸堀

真田石。真田信之が松代移封の際に運ぼうとしたが動かないために諦めたという巨石。

南櫓

千曲川方向

南櫓の内部

南櫓の内部。甲冑

信之の奥方・小松姫は旅の途中の鴻巣宿にて死亡。亡骸を上田へ運んだという駕籠

上田城の模型。左側が千曲川です。

空堀

渡櫓

南櫓

火縄銃

北櫓

北櫓内部


本丸跡の真田神社

赤備えの兜

真田神社の本殿

真田井戸。城外へ通じる抜け穴となっていたそうです。

西櫓

西櫓内部



山本鼎記念館標柱石。山本鼎は大正・昭和前期に活躍した画家です。山本鼎記念館がこの地にありましたが、2014年に上田市美術館が開館、山本作品は新しい美術館に移管されました。

上田市立博物館

上田城の模型。城下に千曲川が迫っている様子がわかります。

上田市立博物館別館

平和の鐘


二の丸堀

大河ドラマ館
上田城公園を出て市街地へ向いました。


八十二銀行上田支店のウィンドー。このあたりが上田城三の丸大手門、真田が徳川を迎え撃ち戦った第1次、第2次上田合戦の激戦地だそうです。



池波正太郎真田太平記館。「真田太平記」に登場する人物図、池波正太郎の真田関連作品年表などを展示しています。

前橋城の巻 利根川河畔、現在は群馬県庁の超高層庁舎が建ち、一部土塁が残る

2016-03-04 14:44:16 | 群馬
前橋城は今年の大河ドラマでも数回登場し、もとは厩橋城といいます。はじめに長野氏が築城し、北条氏の支配となり、その後一時織田家の滝川一益が入城したが、再び北条の城となります。北条氏滅亡後は徳川の城となり、幕府体制成立後は譜代大名の城として続きました。利根川の河畔に位置するために川の氾濫によってたびたび被害を受けています。現在は群馬県庁、県議会、県警本部、グリーンドーム前橋(競輪施設)などが建ち、一帯は官庁、オフィス街、運動公園となっています。

利根川の鉄橋から群馬県庁の新庁舎が見えます。新庁舎は32階建て。道府県庁舎としては一番高いそうです。

両毛線・前橋駅。前橋駅は利根川の東岸、上越線・新前橋駅は利根川の西岸にあります。

前橋駅前。県庁所在地の駅前としてはやや寂しい。

駅前大通りのケヤキ並木




前橋城車橋門跡


群馬会館。以前の公会堂です。

群馬県庁

群馬県庁昭和庁舎。1928年(昭和3年)に建築、設計は佐藤功一、大隈講堂、日比谷公会堂を設計した建築家です。




県警本部前にわずかに残る土塁。前橋城は幕末に最新式城郭として再築されました。



土塁の上に前橋城址の碑があります。


県警本部周辺の土塁

県庁新庁舎


昭和庁舎


正面玄関