日本の名城・古城 城撮り物語

全国各地の名城・古城の現況を写真でレポートします。

松本城の巻 五層六階の国宝・天守が現存する信州の名城

2015-04-11 17:51:07 | 長野

松本駅。駅前ロータリーが広いので私の好感度は高い駅の一つです。

松本城の大手門跡付近の女鳥羽川

大名小路井戸。松本は扇状地にあるため地下水が豊富で、市内に自噴井戸、湧水が点在しています。

外濠

国宝・松本城の碑

案内板




二の丸跡から見る天守

埋め橋(うずめばし)と天守


二の丸の桜

濠の水面に映る逆さ天守

黒門

券売所

黒門の二の門内側

黒門の狭間。小さい正方形の狭間が鉄砲狭間、縦長の狭間が矢狭間


黒門の枡形

石垣



本丸跡



左手前に突き出ているのが月見櫓。防御用というより月見のため、娯楽・遊興の場所として付け加えられた櫓です。



天守の北側に付加された乾小天守



天守入口


天守内部


鉄砲蔵の火縄銃の展示。東京・港区の故赤羽通重氏が収集した百数十丁の火縄銃が寄贈され、その一部が「赤羽コレクション」として展示されています。

階段は急でもちろん木製です。




天守からの眺望

天守の天井

天守最上階


国宝の指定書


月見櫓の内部。窓は大きく開き開放的です。


月見櫓からの眺め

天守の石垣

月見櫓の赤色の回縁(めぐりえん。写真手前)と巽付櫓の石落とし(写真奥)

中央に天守、右側に乾小天守、左側に月見櫓と巽付櫓。横綱の土俵入りのようです。


加藤清正駒つなぎの桜



太鼓門

太鼓門の枡形



太鼓門の高麗門

三の丸跡の松本市役所。屋上の塔屋は展望台になっていて市民に開放されいます。

市役所展望台から見る天守と太鼓門、外濠

展望台

太鼓門から見る市役所

二の丸御殿跡


二の丸跡から見る天守

本丸北側の北不明門




城外の松本神社

旧開智学校

大手門付近の四柱神社


大手門があった千歳橋


女鳥羽川

土浦城の巻 霞ヶ浦の畔、桜川の河口に築かれた水城

2015-04-05 17:52:26 | 茨城

茨城県土浦市の土浦城を訪ねました。土浦は何度か来ていますが、駅周辺を少し歩いたことがあるだけです。

亀城公園案内図。土浦城は霞ヶ浦の畔に造られた水城です。洪水の時には亀の甲羅が水に浮いていたように見えたので、別名、亀城と呼ばれました。現在では霞ヶ浦からかなり離れていますが、江戸時代には湖の畔にあったようです。


霞橋付近の濠


ちょうど桜が満開の時期でしたが、天気はあいにくで、曇時々小雨でした。



城門の前の霞橋には露店が出店

東櫓


東櫓内

鯱鉾

東櫓2階




曇天なので桜の色をきれいに撮るのは難しい。

櫓門、別名・太鼓櫓。時を知らせる太鼓がありました。



櫓門の外側

土浦城の城郭図。下の現状図と比べるとかなり規模が大きかったことがわかります。

現在の亀城公園の図





二の丸門

東櫓

聖徳太子堂


西櫓










櫓門


土浦市立博物館。亀城公園に隣接しています。

「色川三中と幕末の常総」展をやっていました。色川三中は幕末の商人で、家業の醤油醸造業の傍らで国学を学び国学者としても活躍した人物です。


関流火縄銃の展示品。関家は土浦藩代々の砲術家で、西洋流砲術の高島秋帆に対し、和流砲術家として幕末期の国防に寄与しました。関家に伝わる古文書が土浦市立博物館で保存され、土浦藩関流古式砲術演舞会が定期的に亀城公園で開催されます。関流砲術については宇田川武久著「幕末もう一つの鉄砲伝来」(平凡社新書)に詳しく紹介されています。

高瀬舟の模型





弘前城の巻 最北の現存天守、石垣修復工事が始まる

2015-04-02 18:51:16 | 青森・秋田・岩手
弘前城は石垣の修復工事のために天守を移動させて天守台の石垣を修復するという大工事が始まったところです。天守付近の濠の埋立工事はすでに終了し、今年は天守を曳屋で移動させ天守台下の石垣の修復工事にとりかかります。今年秋には移動を完了、移動先で天守は公開されます。今年の春が本来の場所で見るには最後の機会となるため、今回の津軽遠征を決意しました。私は弘前城には過去2回来ていますが、いずれも花見の時季だったために、天守内部見学は長蛇の列で2回とも断念していました。



城の南側の入口、追手門から三の丸へ入城します。弘前城は本丸、二の丸、三の丸、外濠の城郭構造がほぼ残っているのは貴重です。

追手門の内側。弘前城の城門は5つ現存していますが、いずれも枡形門です。通常の枡形門は高麗門と櫓門がセットとなり枡形のスペースを囲む配置となっていますが、弘前城の場合は高麗門がなく、櫓門のみの構造です。外部から濠を渡って進入するとすぐに櫓門に突き当たります。
もう一つ弘前城の外濠に石垣はなく、濠の水面と進入路との高低差がほとんどないというのも大きな特徴です。


中濠と二の丸の隅櫓、未申櫓

杉の大橋

南内門。ここから二の丸です。

下乗橋


天守台の下の濠はすでに水抜きされ埋め立てられています。石垣は年月が経過すると重力により歪み、膨らみが生じて崩壊の恐れがあり、定期的に修復工事が必要です。弘前城の天守は濠の石垣のすぐ上に建っているために地盤構造上の問題もあるかと思います。
今回の工事は明治以降では2回目で、明治30年(1897年)に今回同様の曳屋工事が行われました。その工事を担当したのが地元の大工棟梁・堀江佐吉。堀江佐吉は弘前城の修復工事のほかに、明治期に弘前で建築された市立図書館、青森銀行なども手がけた功労者で、今のゼネコンの先駆けですね。

天守

南口券売所



天守より


天守矢狭間

天守最上階は展示品の大部分はすでに撤去され模型だけが残っています。天守はいろいろ展示物があるより、ガランとしているほうが天守らしいと私は思います。

岩木山


工事風景




天守の床下


金蔵跡


本丸未申櫓跡

蓮池

本丸戌亥櫓跡

鷹丘橋

内濠

本丸はほぼ長方形です。一周し再び天守を撮影しました。


武徳殿。明治44年(1911年)に演舞場として建設された建物です。今は休憩所となっていて、展示、物産販売コーナーもあります。



武徳殿内部には弘前さくらまつりの過去のポスター全てが展示されています。デザインの時代推移が興味深い。棟方志功の絵をモチーフにしたものもあります。私は今回が3度目ですが、過去2回もこのポスター展示は鮮明に記憶に残っています。

常陸宮夫妻の写真。常陸宮妃は津軽家の出身です。



丑寅櫓


二の丸から見上げる天守

与力番屋


東内門


東内門外橋


三の丸の植物園

東門

東門の前の藩祖・津軽為信の像

外濠

鷹揚園の石碑。大正天皇が弘前を訪れた時に弘前城公園を「鷹揚園」と命名したそうです。

賀田門跡

賀田橋と二階堰

四の丸。さくらまつりのために駐車場を整備中です。

護国神社

北門(亀甲門)。弘前城最大の櫓門です。


亀甲橋。弘前城独特の枡形構造がわかります。橋を渡って直角に左へ曲がると亀甲門があり、城兵は枡形まで敵を引き込んで弓矢・鉄砲を打ちかけます。

外濠

北門近くの外濠から見る岩木山

弘前城は天守のほかに3つの櫓と5つの城門が現存しています。
櫓は未申櫓、丑寅櫓、辰巳櫓、門は追手門、東門、東内門、南内門、北門(亀甲門)、すべて重要文化財で、江戸時代初期のものです。
今回私は全部しっかり撮影しようと思ってはいたんですが、1つ辰巳櫓を通り過ぎました。辰巳櫓は二の丸にあるんですが、コースから少し外れた場所にあるんですね。残念、不覚です。
弘前といえば桜ですが、江戸時代の城はどこも桜はこんなになかったし、花見の場所でもなかった。今の桜はほぼすべて明治以降に植えられたもので、各地の城は桜の名所となっています。
花見の時季は城よりも桜が主役で、とても城見学どころではありません。そういう意味で今回はいい時期でした。桜の木が多過ぎて馬出しや土塁、石垣がよく見えなくなっているという指摘もありますね。