<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>

2019年09月01日 17時01分58秒 | 祈り

 先日、メールをした「食物と健康と霊性」を書かれた小窪正樹先生からお返事が届きました  

有難いです。

やはり大切なのは日常生活を丁寧に愛を込めて生きることが一番のようです。

これがまたなかなか難しいのですが。

先生にも書いたのですが以下の祈りを読みながら日々反省しています

 

<老人の友人に対する至福 (幸いな人)>

(桐生聖フランシスコ修道院 ブレビアン・ウォルシュ神父作)

 

私のよろける足どりと、ふるえる手を、理解してくれる人は幸いです。

私の耳は、人のいう言葉を聴きとるためには、大きな努力が必要であることをわかってくれる人は幸いです。

私の目はうすくなり、私の行動はのろいということを善意のうちにわかってくれる人は幸いです。

私がコーヒーをこぼしても、かわりない平静な顔をしてくれる人は幸いです。

しばらく立ち止まって、明るくほほ笑みながら、おしゃべりをしてくれる人は幸いです。

「今日はその話を二度も聞きましたよ。」と、決して言わない人は幸いです。

楽しかった昔を取り戻す方法を、知っている人は幸いです。

私が愛されており、ひとりぽっちでないことを、教えてくれる人は幸いです。

私には十字架を荷なう力がないことを、わかってくれる人は幸いです。

愛情深く、人生の最後の旅路の日々を、なぐさめてくれる人は幸いです。

 

(この祈りを英文にしたのをこのブログのどこかにアップしています)

 

腰痛が今日はいいです。

痛くない

 

 今日はホスピス仲間が来ることになっていましたが、急遽取り止めになりましたので読書をして過ごしました。

昨日から読んでいる若宮正子さんの御本。

あと少しで読み終えますが、前向きで素晴らしいです

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