レポート作成中&ウズベキスタン

2024年07月14日 22時05分00秒 | 介護

 今日も明日も雨マークですが、今日はあまり降りませんでした。

気温も高くなく良かったのですが、湿度はHiになっていて少し蒸します。

 

 

 母は今朝も爆睡していましたので、小雨が降り始めましたがお散歩に行きました。

今日も朝顔が咲いてくれました。

南側です。

 

ご近所

 

公園のポプラちゃんにセミの抜け殻が・・・

時折、ニュースで蝉が鳴いていたと聞きますが、私はまだ一度もセミの鳴き声を今年は聞いていません。

教会の紫陽花がほとんどセピア色になっていますが、その中でポッとピンク色の紫陽花が残って咲いています。

 

二輪咲いていました。

 

アナベルも白から緑色に変わった中で一輪だけ真っ白いお花が咲いていました。

 

木槿がこぼれるように咲いています。

 

 

百日紅と紫式部

植物はカタカナで書くようですが、漢字や仮名の方が好きです

 

我が家のかぼちゃ

トマトも又熟れ始めました。

 

お散歩に行く前はまだ蕾だった西側の朝顔が開き始めていました。

 

ジャスミンはほとんど枯れましたが、小さな蕾が大きくなってこうして又咲いて芳香を放ってくれています。

今日の果物

 今日の母も寝起きはいまいちでしたが食卓に来る頃には段々と覚醒。

ヘルパーさんが「脚がしっかりしているから訓練したら歩けるようになるんじゃないかな」

母は私があれこれ動いているとお腹が空いて待ち切れなかったようで自力で食べようとしていました

今朝もしっかり食べてくれました。

パン粥(パン1個分)といなり寿司1個。

カフェオーレ70ccくらい

果物もバナナ1本、メロン5カット、パイナップル少し、そして、桃ほぼ2分の1個。

その後、自力で車椅子を動かし窓際へ

お迎えは10時前でした。

カッパを着せてもらっていました

 

 

 

 いつもの家事その他を済ませ、英語のレッスンも11時から。

食事もして「光る君へ」も12時15分から観ました。

13時からは丸々レポート作成時間に

 

 

 

 

 ウズベキスタンUzbekistan

初めて年齢を聞かれました。

「もし構わなければ・・・」

多分、母が99歳だから

日本人はやはり健康的で若いと言われていました。

世界放浪の旅をしていますと平均寿命の低さに驚かされます。

日本が飛びぬけて高いのですが・・・。

 

シルクロードThe Great Silk Roadのオアシス

首都はTashkent。

成田から直行便が週1便。

飛行時間は7時間だそうです。

言語はウズベク語Uzbek、第二言語はロシア語、第三言語が英語。

多民族国家だそうですが、一番はMongols、MongolsとArabsのミックスだと言われていました。

Amir Temur、Mirzo Ulugbekについても少し話して下さいましたが、難しかった

 

ほとんどがイスラム教徒Muslim。

 このパン、かなり大きいんですよね。

先日、「タビサラダ」で観ました。

Palov

Tandir somsa

中は牛肉

真ん中は干しブドウが入っている

 

Khorezm/Khiva

 

Valley of Uzbekistanも観光スポットだと言われていました。

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.7.14

 

河合隼雄氏の愛弟子が綴る衝撃と感動のドキュメント

 

たったひとりでいいですから、
あなたのことをほんとうに
わかってくれるひとがいれば、
あなたは生きていくことができます。

━━━━━━━━━━━━━━
皆藤章(臨床心理士)
〇最新刊『それでも生きてゆく
意味を求めて』より
━━━━━━━━━━━━━━

日本の臨床心理学の礎を築いた
河合隼雄氏。

その愛弟子として
40年以上にわたり
薫陶を受けてきた皆藤章氏が
まる5年の歳月を費やして書き上げた
渾身の著書がまもなく発売となります。

タイトルは、

『それでも生きてゆく
意味を求めて』

幾多の人々の相談に
応じてきた臨床経験を
もとに綴った
衝撃と感動のドキュメントです。

書籍編集部員のひとりが、
本書の刊行に込める思いを綴った文章を
お届けいたします。


…………………………………………


「いまから母を殺しに行きます」


やや上気した表情で
わたしにそう告げて、
バッグからナイフを取り出し、
この女性は立ち上がった。

向かいに座るわたしを見下ろし、
「いいですね」、と。

何もいえなかった。
これまでなんどもなんども、
くり返し、母親への憎しみを
語ってやまなかった

この女性のこころの内を慮ると、
応えることばがなかった。
「やめなさい」などとは
よもやいえなかった。

そういおうものなら、
「先生はわたしの苦しみを
わかっていない!」と、
なじってくるだろう。
その姿が目に浮かんだ。

いや、正直にいえば、
殺したいと思っても
不思議はないだろう、
そう感じる自分さえいた。
しかしもちろん、
それを認めるわけにはいかない。
いったい、どうすれば良かったのだろう。

* *

ある日、上司から突然手渡された原稿は、
こんな書き出しで始まった。

著者は、心理臨床学の泰斗・河合隼雄氏から、
40年以上にわたる薫陶を受けてきた
臨床心理士の皆藤章氏。

相談の主である女性は、
すでに成人を過ぎており、
まだ幼い頃、工事用の土砂が山と積まれた
家の近くで遊んでいたとき、事故に遭って、
生涯消えない傷を身体に
負うことになったのだという。

近所の人と世間話に興じていた母親の目が
離れた隙に起きた事故だった。

決して消すことのできない過去と
母親への憎しみを背負って、
20年近い人生を生きてきた
女性が発した冒頭の言葉に、
臨床の専門家は
一体どんな答えを返すのだろう。
息を呑む思いで読み進めていったが、
結果は予想だにしないものだった。

* *

ナイフを手にした
この女性に見下ろされながら、
これまでの道往きが走馬灯のように
浮かんでは消えていった。
いつしか、わたしの目から
涙が溢れてきた。
その姿を見せまいと堪えるのだが、
呻き声とともに、
涙は零れていった。

そんな姿を、この女性は
どんな思いで見ていたのだろう。
きっとわずかな時間だったに
ちがいないのだが、
途方もなく長く、苦しく
感じる時間だった。

そのうち、ナイフを
バッグにしまって
椅子に腰掛けたこの女性は、
静かにいった。

「もう二度としません」

嵐の海が凪いだようだった。

そんなことばが、
いったいどこから
生まれてきたのだろう。
この女性になにが起こったのだろう。
わたしにはわからなかった。
おそらく、この女性もどうして
そんなことばを口にしたのか、
わからなかったのではないだろうか。

* *

衝撃のプロローグに
引きずり込まれるようにして、
私はその晩、原稿をめくる手を
抑えることができず、
深夜2時30分までかかって
一気に最後まで読み終えた。

何ものかに取り憑かれたかのようだった。
読むことを中断することは
決して許されない、
そんな緊迫感で、
しばらく胸がドキドキしていた。

前述した通り、本書は
河合隼雄氏の愛弟子である著者が
初めて挑んだ一般書である。
脱稿までに丸5年。

恩師から学んだ心理臨床の実践を、
専門家ではない人たちにも
理解していただきたいという
思いから世に出したものだという。

20年に及ぶ編集者人生の中でも、
味わったことのない
圧倒的な読後感を抱きながら、
この本は、読んだ人を
必ず救うものになると確信した。
一人でも多くの方に届けたいと強く感じた。

ただ、巷に溢れるノウハウ本のように、
ここには何かの解決策が
示されているわけではなく、
即効性が期待できるものでもない。
しかし、だからこそ、
この本を決して埋もれさせてはならないと、
なんとか多くの人に
届けたいという思いでいる。

たったひとりでいい、
あなたのことをほんとうに
わかってくれるひとがいれば、
あなたは生きていくことができる――。
本書に記されたこの言葉が、
誰かの胸に届くことを心から願って。

………………………………………………

河合隼雄氏の愛弟子が綴る
衝撃と感動のドキュメント

『それでも生きてゆく意味を求めて』

皆藤章・著

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