小林麻央さん、BBCに寄稿「色どり豊かな人生」'My life has been rich and colourful'

2020年09月12日 20時32分29秒 | 精神世界

 今朝の空

今日も54時半に目が覚めましたので5時から起き上がって歩きに行きました。

 

5時17分

雲がどんよりと垂れ込めていました。

毎朝、空を見るのが楽しみです

我が家のお花

Scheherazade
シェエラザード

Archangel Gabriel
大天使ガブリエル

Duftgold
ドフトゴールド

オレンジ色のバラの名前はわかりません。

公園で切られていたのを何人かで分けて持って帰り挿し木したものです。

このバラは咲いてみないとわかりませんが、多分、

Double Delight
ダブル・ディライト

又、ニオイバンマツリが咲きました。

とてもいい香りがします

畑に肥やしをやって耕しました。

何を植えようかな~。

 

 

 今朝のフルーツ。

最近は朝一番に食べるようにしています。

(ウォーキングの前にタンパク質補充の為にプロテインを飲むのでその後ですが)

 

 今日は午後からオンラインの「黎明」セミナーを受講しました。

1時半から5時半まででしたが、6時過ぎまでありました。

母がなるべく動かなくていいように、飲み物やおやつをまわりに準備して・・・

休憩時間が3回ありましたので、その間に要望を聞きつつ、今日も無事に受講できました

 

 

 昨日、読み終えた矢作直樹氏の「『死』が怖くなくなる50の思考」の中に出て来た小林麻央さんのお話です。

質問者の「30代で亡くなった小林麻央さんのおかげで、がん検診を受ける人が増えているようです。そのように皆を啓蒙するお役目があったのでしょうか?」という質問に対して「麻央さんは34年という時間の中で、大きな気づきを得て、幸せに過ごすために生まれてきたと思います」と答えておられますが、同時に、彼女の「役目がその程度のことだとは思いません」とし、亡くなる数カ月前のBBCのインタビューを掲載されていました。

「中略」になっていましたが、ネットで調べて、全文、ここにご紹介したいと思います。

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2年前、32歳の時に、私は乳癌であることを宣告されました。娘は3歳、息子はまだ1歳でした。
「治療をして癌が治れば、元の自分に戻れるのだから、大丈夫!」と思っていました。
けれど、そんなに簡単ではありませんでした。
今も、私の身体は、がんと共にあります。
私は、テレビに出る仕事をしていました。
病のイメージをもたれることや弱い姿を見せることには「怖れ」がありました。
なので、当時、私は病気を隠すことを選びました。
隠れるように病院へ通い、周囲に知られないよう人との交流を断ち、生活するようになっていきました。
1年8か月、そんな毎日を続けていたある日、
緩和ケアの先生の言葉が、私の心を変えてくれました。
「がんの陰に隠れないで!」
私は気がつきました。
元の自分に戻りたいと思っていながら、
私は、陰の方に陰の方に、望んでいる自分とは
かけ離れた自分になってしまっていたことに。
何かの罰で病気になったわけでもないのに、
私は自分自身を責め、それまでと同じように
生活できないことに、「失格」の烙印を押し、
苦しみの陰に隠れ続けていたのです。
それまで私は、全て自分が手をかけないと
気が済まなくて、
全て全てやるのが母親だと
強くこだわっていました。
それが私の理想の母親像でした。
けれど、
病気になって、
全て全てどころか、
全くできなくなり、
終いには、入院生活で、
子供たちと完全に離れてしまいました。
自分の心身を苦しめたまでの
こだわりは
失ってみると、
それほどの犠牲をはたく意味のある
こだわり(理想)ではなかったことに
気づきました。
そして家族は、私が彼らのために料理を作れなくても、幼稚園の送り迎えができなくても、
私を妻として、母として、以前と同じく、
認め、信じ、愛してくれていました。
私は、そんな家族のために、
誇らしい妻、強い母でありたいと思いました。
私は、闘病をBlogで公表し、
自ら、日向に出る決心をしました。
すると、たくさんの方が共感し、
私のために祈ってくれました。
そして、苦しみに向き合い、乗り越えたそれぞれの人生の経験を、
(コメント欄を通して)
教えてくれました。
私が怖れていた世界は、優しさと愛に
溢れていました。
今、100万人以上の読者の方と繋がっています。
人の死は、病気であるかにかかわらず、
いつ訪れるか分かりません。
例えば、私が今死んだら、
人はどう思うでしょうか。
「まだ34歳の若さで、可哀想に」
「小さな子供を残して、可哀想に」
でしょうか??
私は、そんなふうには思われたくありません。
なぜなら、病気になったことが
私の人生を代表する出来事ではないからです。
私の人生は、夢を叶え、時に苦しみもがき、
愛する人に出会い、
2人の宝物を授かり、家族に愛され、
愛した、色どり豊かな人生だからです。
だから、
与えられた時間を、病気の色だけに
支配されることは、やめました。
なりたい自分になる。人生をより色どり豊かなものにするために。
だって、人生は一度きりだから。

https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-38073955

 

Two years ago, when I was 32, I was diagnosed with breast cancer. My daughter was three, my son was only one. I thought: "It'll be OK because I can go back to being how I was before once the cancer is treated and cured." But it wasn't that easy and I still have cancer in my body.

For a long time I hid the disease. Because my job involved appearing on TV I was scared about being associated with illness or showing people my weaknesses. I would try to avoid being seen on the way to hospital appointments and I stopped communicating with people so as not to be found out.

But while wanting to go back to who I was before, I was actually moving more and more towards the shadows, becoming far removed from the person I wanted to be. After living like that for 20 months, my palliative treatment doctor said something that changed my mind.

"Don't hide behind cancer," she said, and I realised what had happened. I was using it as an excuse not to live any more.

I had been blaming myself and thinking of myself as a "failure" for not being able to live as I had before. I was hiding behind my pain.

Until that time I had been obsessed with being involved in every part of domestic life because that was how my own mother always behaved. But as I got ill, I couldn't do anything, let alone everything, and in the end, as I was hospitalised, I had to leave my children.

When I was forced to let go of this obsession to be the perfect mother - which used to torture me, body and soul - I realised it had not been worth all the sacrifice I had made.
My family - even though I couldn't cook for them or drop them off and pick them up at the kindergarten - still accepted me, believed in me and loved me, just like they always had done, as a wife and a mother.

So I decided to step out into the sunlight and write a blog, called Kokoro, about my battle with cancer, and when I did that, many people empathised with me and prayed for me.
And they told me, through their comments, of their life experiences, how they faced and overcame their own hardships. It turned out that the world I was so scared of was full of warmth and love and I am now connected with more than one million readers.

If I died now, what would people think? "Poor thing, she was only 34"? "What a pity, leaving two young children"? I don't want people to think of me like that, because my illness isn't what defines my life.

My life has been rich and colourful - I've achieved dreams, sometimes clawed my way through, and I met the love of my life. I've been blessed with two precious children. My family has loved me and I've loved them.

So I've decided not to allow the time I've been given be overshadowed entirely by disease. I will be who I want to be.

Translation by Mariko Oi

https://www.bbc.com/news/magazine-37861457

 

 

 

★致知一日一言  【今日の言葉】

 

9月12日

自分で薪を割れ、二重に温まる
━━━━━━━━━━━━━━
ヘンリー・フォード(フォード・モーターの創設者)

 


 

★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング


 
(9月12日)


自分自身を分析してみなさい。なぜなら、あなたが直面するあらゆる問題の答は、あなた自身の内に見つかるからです。
Study self, for in self may one find the answer of all the problems that may confront an entity.
(423-2)

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