雨降って地固まる?

2024年07月26日 22時24分24秒 | 介護

 今日も暑かったです

最高気温が36.5℃、最低気温が26.0℃。

このあたりはもう当分夕立も見込めないと天気予報が言っていました。

 

 

 

 今朝はお散歩に出かけるのが遅くて6時半頃。

空が青かったので少しでも広々としたところへ行って、空を眺めたいと思いました。

 

公園では夏休みが始まっているのでラジオ体操をしていました。

東の空を見るとハロ現象。

 

青い空に白い雲が踊っているみたいでした。

 

 

 

 

月が小さく雲の中に~

 

ご近所のいつものひまわりと

 

モミジアオイ

 

我が家の今日の西側の朝顔

3輪咲きそうでした。

 

南側の朝顔は昨日よりも一層咲いてくれました

  

新しく赤い朝顔が3輪咲きました。

  

水色の朝顔は2輪

白色の朝顔は何と12輪も

  

 

 

 今日の果物

今日の母は久々に一日を通して絶不調。

朝ご飯もパン粥、バナナ、メロンを3口ずつくらい。

しかも、口の筋肉が緩んでしまって閉まらない。

口からだらだらと落ちていきます。

「横になりたい」と言いましたので、早々にベッドに連れて行って寝させました。

 

雲が面白い

より開いた朝顔

 

いつものペチュニア

 

 

 

母は看護師さんが来られるまで寝ていました。

その後、少しパン粥を食べました。

それから、簡単なお寿司を作っていましたので、少しオリーブオイルとお水を加えてミキサーにかけました。

具は結構たんぱく質を入れました。

夏バテしないように。

有り合わせで作ったのであるものを入れていった感じです。

最初は鮭ときゅうりと卵焼きで作る予定でしたが、しらすとしめ鯖と青じそを更にトッピング。

赤色がないので、食べると時にカリカリ梅をふりかけてみました。

さっぱりしているけれど、栄養もあるみたいな~

 

 

午後、開いてしぼんでいっている

 

 今日は一日、担当の看護師さんとクリニックの困った時のソーシャルワーカーさんと電話で話した後、ケアマネさん、看護師さん、リハ、薬局が来られました。

その間に眼科と往診のドクターからも何度かお電話があり、ショート先からもお電話があり、何だかすご~く忙しかったのですが、概ね懸案事項が片付いた、あるいは解決に向かったという意味では「やれやれ」の一日でした。

そもそも退院時にスムースにショートに移行出来なかったことから情報共有が出来ず、歪みが出来ていた気がします。

今回の久々のショート先でのお薬のミス。

ケアマネさんはドクターから月に2回くる情報提供表に従って母の状態を事前に説明はして下さったようではありますが、眼科のことは私から聞く以外に全く情報がな行き辛かった知らなかったので言わなかったと言われていました。

知らないことが多過ぎるのはご自分の力不足と言われていましたが、やはりクリニックはクリニックでかたまっているので、そこに入って行きづらかったようです。

お薬のことも全くわからず。

ですから、今回のことには責任を感じていると言われていました。

今後、「私に何でも言って」と言えるくらいになりたいと言って下さって、頼もしく感じました。

我が家から帰られて早速、動かれたようで、情報の共有ということは解決しそうです。

 又、ここ2週間ほど薬局と悩んできた眼科のお薬の問題は、今日の看護師さんがすごく動いて下さって、ドクターに直訴

その後、ドクターからお電話があり、そんなにすごいことになっている(私達がとっても困っている)とはご存じなったそうで

でも、やはり今後岡大が加わると、もう内科医の自分では対応が出来ないので、眼科のドクターに全面的に任せたいというのもごもっともなお話。

眼科のドクターから情報提供があるなら処方箋を書きはするけれど、眼科のドクターがもう直接ファックスをして下さった方がいいと言われました。

「でも、私が書くなら5時まではいます。明日明後日はお休みですと伝えて」

そして、「最初は処方箋を書いたのにごめんね」

その後、その意向を私が眼科のドクターに伝えました。

このドクターはドクターで薬局さんが折角準備されたお薬を無駄にしないように考えて下さってのお言葉の数々だったわけです。

そして、今回は「自分が甘かったですね」と言われて、薬局と又連絡を取られて、無事にお薬が無駄にならずに私の手元にやっと届きました。

明日からのお薬です。

薬局の方と「本当にこれでやっとすっきりしましたね。お疲れさまでした」とお互いをねぎらいました

本当に母の介護だけには専念出来ないのはわかりますが(いろいろなことを含めての介護なので)、要らないストレスまでこの時期に背負いたくはないです。

明後日から行くいつも使っているショート先からは怪我をさせたことをいろいろと検証されているそうで、「今後はこのようなことのないように充分気を付けます」

人間のすることですからヒューマンエラーはどうしても起こることはある程度は仕方がないことです。

責めても始まらない。

問題はその後の対応です。

ここで人としての真価が問われることとなります。

いろいろとありましたが、今は「雨降って地固まる」になったかなと思っています。

関係を切るのは簡単ですが、信頼関係が構築されるまでにはやはりある程度の時間もエネルギーも必要となります。

大変ですがその努力は惜しみたくないと思います。

 

 

 

 明日は母が元気になり、しっかり食べてくれたら嬉しい。。。

 

 

 

 

・°*100歳までのカウントダウン

母100歳まであと290日・°*

 

 

 

 

 

★致知一日一言 【今日の言葉】2024.7.26

 

人が悪口を言う理由

 

誰かの悪口を言うのは、
悪口を言う人の中に
相手と同じ欠点があるから
━━━━━━━━━━━━━━
鈴木秀子(国際コミュニオン学会名誉会長)
○月刊『致知』2024年8月号
連載「人生を照らす言葉」より
━━━━━━━━━━━━━━

●文学博士である鈴木先生は、
日本や外国の文学作品に秘められた
人生や仕事の知恵を読み解いていかれます。
8月号で取り上げられたのは
まど・みちおの詩「はっとする」。
日常の何気ないハッとする気づきが
人生を変えることを学びます。

鈴木先生の好評連載
「人生を照らす言葉」の魅力はこちら

 

 

 

 

 

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あなたは体と魂の組み合わせですか


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こんにちは、バラ十字会の本庄です。


━…………………━

文章を以下に転載していますが、関連する哲学者、京都のお寺の写真、心の哲学を表わすイラスト等が掲載されていますので、下記のリンクをクリックして公式ブログでお読みください。

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(デカルトの心身二元論とは?他説の例と合せてわかりやすく解説

━…………………━


今週から二十四節気で大暑に入りました。

東京板橋もまさに言葉の通りになっています。


隣町の赤羽では、雷による停電がありました。



そちらは、被害はありませんでしょうか。


▽ ▽ ▽

最初に考えていただきたい問いがあります。


人間であるあなたは、原子の集合からできている身体なのでしょうか、それとも身体の中に、魂と呼ばれる原子からできていない何か別のものが存在しているのでしょうか。


◆ 心身二元論とは

世界には、完全に異なる2つの実体(物と精神)があり、そのどちらも、もう一方によっては説明ができないという考え方は「二元論」(dualism)と呼ばれます。


そして、二元論を人間にあてはめたのが心身二元論(mind-body dualism)です。

つまり心身二元論では人間が、物質からなる身体と精神からなる魂という2つの実体からなると考えます。



このメルマガで以前にご紹介したことがありますが、バラ十字という象徴の中の十字は、人の体(物)を意味し、バラは人の魂(心)を意味しています。

また、開きつつあるバラの花から放たれる薫りは、人生経験を経て洗練されていく人格を表わしています。


しかしこれから説明していきますが、バラ十字会の哲学は、おそらく二元論ではありません。

(イラスト:心の哲学)


・デカルトの心身二元論

デカルトはバラ十字思想について深い知識を持っていたため、当時のバラ十字会員であったか、もしくは、会員と親しく交流していたと推測されています。



バラ十字という象徴から影響を受けたことが理由かどうかは分かりませんが、彼はこう考えました。

物質というものは空間の中に広がっているが、人の心はそうではないので物質とは異なる実体である。



人は身体と魂という2つの実体からなるという考え方であり、心身二元論にあたります。



デカルトは著書『省察』の中に、人間の精神と身体は別個の実体として明確に区別することができ、身体が消滅しても、それは精神の死を意味しないと書いています。


また彼は、人間の精神的実体(魂)と身体が脳の松果体を通して相互作用すると考えていたようです。

(写真:デカルトの肖像、フランス=ハルス作、1648年)


・プラトンの心身二元論

心身二元論を最初に本格的に唱えたのは、古代ギシリャの哲学者プラトンだとされています。

たとえば、プラトンの対話篇の『国家』の最終章には「エルの物語」と呼ばれる逸話があり、魂は不滅であり、死後の魂は生きていたときの行為の善悪によって行き先が決められ、

天上で楽しい生活を送るか、地下で苦しい生活を過ごし、その後に地上での次の人生を選び、そこに誕生するのだと説明されています



天上で楽しい生活を送った魂は、次の人生を軽率に選ぶので、人間の魂は辛い人生と楽しい人生を交互に経験することが多いのだそうです。


参考記事:『エルの物語』

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1136794&c=3304&d=ed84


◆ 一元論とは

歴史的に見ると、二元論にはおおむね人気がありません。



その理由は、性質の異なる2つの実体が世界にあるとすると、その一方が、どのようにしてもう一方に影響を及ぼすのかということを突き詰めたときに、どうしても矛盾が起きてしまうと考えられるからです。



そこで、世界にはひとつの実体しかないという一元論(monism)が唱えられてきました。

一元論には、世界には物質(物)しかないという唯物論(materialism)と、心しかないという唯心論(idealism)と、その中間的な立場の中立的一元論(neutral monism)があります。


・唯物論と物理主義

唯物論では、デカルトの考えた人の心のようなものは、機械の中に幽霊がいるというような思い違いであるか、物質によって説明されるべきものだと考えられます。



ここから物理主義(physicalism)という考え方が出てきます。

原子が組み合わされて分子ができ、分子が複雑に組み合わされて細胞ができ、細胞が集まったのが生命であり、神経の細胞が集まったのが脳であり、脳の中で移動する電気や化学物質こそが、人の心の正体なのだという考え方です。



ほんとうでしょうか。興味深いことに、一流の物理学者の多くは物理主義に賛成していないようです。

(イラスト:心は脳細胞の電気信号か)


参考記事:「非科学的、科学的とは何を意味するか?」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1136795&c=3304&d=ed84


・唯心論と「水槽の脳」

一方で唯心論は、なかなか説明が難しい考え方です。

そこで、私たち人間の心の働きを、建物でたとえることにしましょう。

心という建物を作っているブロックは、心の働きのうちの何にあたるでしょうか。



感覚によって得られた知覚と、記憶と想像ではないでしょうか。

これらはすべて、自分の心の中にあります。

現在とは実際には知覚であり、過去とは記憶であり、未来とは想像なので、世界のすべては自分の心の中にあるように思えます。



今、あなたの目の前には何が見えるでしょうか。パソコンの画面でしょうか、机でしょうか。それらは、あなたの心の中にある知覚像です。


触ったとしてもこの事情は変わりません。触覚という知覚像が心の中に得られるだけで、自分の心の外に何があるのかは、決して知ることができません。



このことは自分の体についても同じです。

知ることのできるのは、自分の体の知覚像だけであり、自分の体自体が何であるのかは、決して知ることができません。



このことから水槽の脳という有名なパラドックスが生じます。

「実はあなたは、培養液に満たされている水槽に浮かんでいる、むきだしの脳なのです。」

「そしてこの脳には、脳波を正確に操作することのできる電極が精密に取り付けられていて、高性能のコンピュータから、ヴァーチャル・リアリティを構成するデータの電気信号が送られています」

と言われても、私たちはそれに反論できないというパラドックスです。



参考記事:「水槽の脳という思考実験をわかりやすく解説-映画マトリックスの赤い薬」

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1136796&c=3304&d=ed84



ちなみにこのパラドックスは、映画「マトリックス」制作のヒントになったとのことです。


・中立的一元論とその実例

中立的一元論とは、物でも心でもない別のひとつの実体が、世界の根本だと考える立場です。



たとえば、日本の哲学者大森荘蔵(1921-1997)は、認識という現象そのものが世界であり、物質も心も、この現象から人間が考え出した観念であり、実体ではないと考えています。



別の例としては、唯識論が挙げられます。

観光の名所として有名な、薬師寺、興福寺、清水寺は、法相宗という宗派の仏教のお寺で、そこでは唯識論が教えられています。



ちなみに孫悟空に登場する三蔵法師(玄奘)は、この宗派の経典をインドから中国に伝えました。

唯識論も、認識が世界であるという考え方を採用しており、「心内の影像を心外の実境とみるな」という有名な言葉があります。


(写真:薬師寺とハス)

唯物論と唯心論と中立的一元論は、どちらが優勢であるかが、時代と場所によって、さまざまに変化しました。

たとえば、マルクス主義の影響で、1970年代の日本では唯物論が有利でした。


◆ 心の哲学と性質二元論

心とは何かを解明しようとする、現代の思想家のひとりにオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズ(1966-)がいます。


1990年代に彼は、意識が物質で説明できないということを示す「ゾンビ論法」を発表しました。

この論法はそれほど難しいものではありませんので、インターネットで調べてみてください。



手短にご説明すると、かえって難しくなってしまうのですが、この論法では、「ああ、夕焼けが赤いなあ!」というような認識の質感の有無を人間が想定できることを根拠に、唯物論が誤りだとしています。



唯物論を否定してチャーマーズが唱えている説は「性質二元論」(property dualism)と呼ばれています。


二元論と呼ばれていますが、世界も人間も一種類の実体からなるという一元論であり、このひとつの実体が2つの性質を持つと考えます。

(写真:デイヴィッド・チャーマーズ)



バラ十字会の哲学では、物質を構成しているエネルギーはスピリット、意識を生じさせているエネルギーはソウルと呼ばれています。

ですからデカルトの二元論に近いように思われますが、この2つを統一するさらに根本的なエネルギーがあり、スピリットとソウルは、この根本的なエネルギーの、振動数の違う別の現れだと考えられています。



それはちょうど、光と音という現象に似ています。

光も音もエネルギーですが、振動数が違うために、電磁波の振動と空気の振動という異なる現象として現れています。



ですから私の考えでは、バラ十字会の哲学のスピリットとソウルという説は、性質二元論に属するように思われます。


△ △ △

唯物論、唯心論、中立的一元論、性質二元論と、さまざまな説を紹介してきました(付記)。


皆さんはこのうちのどれが正しいと考えるでしょうか。あるいは、これらとは別の考えをお持ちでしょうか。


付記:中立的一元論と性質二元論の間には、実は違いがないという説もあります。



最初の疑問に戻りましょう。

あなたは物ですか、心ですか、その組み合わせですか、それとも、これらとは別の何かなのでしょうか。



世界は根本から謎に満ちていて実に面白いと、そう感じていただければ嬉しく思います。



では、今日はこのあたりで

また、お付き合いください(^^)/~


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■編集後記

先日、神奈川の丘陵をハイキングする機会があり、さまざまな生きものと出会うことができました

https://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M1136797&c=3304&d=ed84

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コメント (4)
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