今日は風の強い寒い一日でした。
日中の気温も5.4℃だったようです。
今朝の果物
朝一番に転院先の診療所から電話があり、今日のドクターとのお話の時間を3時半から4時に変更して頂けないかとのことでした。
その時に看護師さんから、母がしんどくなく、果物を食べながら新聞を読んでいることを伺いほっとしました。
やっと念願の果物を母は食べることが出来たようです
その後、母からも電話がありました。
お掃除の人以外誰も来ないし、暇で退屈でしょうがないと・・・。
今はベッドが空いていないので緊急用の個室に無料で入れて頂いていますので、2人部屋や4人部屋と違って人の出入りがないので淋しいのでしょう。
家でも母の部屋は居間とお台所の間の部屋。
部屋はいくつもあるのに、人が通るこの部屋がいいそうなのです。
3時20分頃、家を出て母の好きそうなものを買い物し、3時50分に診療所に到着しました。
ドクターの話は今の母の今の状態、そしてやはり今後のことについてでした。
ドクターが言われるには母の状態はいい時と悪い時が交互に来ること。
喘息があり(喘息は繰り返すし、喘息で命を落とす人は多い)、パーキンソン病による血圧の乱高下があり(低血圧になって意識不明になる可能性もあるし、どこかで頭を打ってしまう可能性もある)、その他高齢によるリスクがいろいろあり、それらが一度に来る「急変」の可能性が多いとのことでした。
ガンでさえ5人に1人は急変で亡くなるそうです。
急変の場合、救急対応が必要になるわけですが、特にこれからは今回のように近くの病院が受け入れてくれるとは限らない。
遠くの総合病院への搬送で間に合わない場合も考えられる。
又、在宅は関わるスタッフがNOなら看ることは出来ない。
(これについては今後、話し合いがあります)
ですから、ドクターとしては在宅は厳しいのではないかということでした。
本人の気持ちももちろん大切だけれども、残る人々にはその後の人生が残っている。
もし在宅で看ていて急変が起こり後悔が残った場合、それを持ってずっと生きていかないといけない。
今回は皆がそれぞれよくがんばったし正しい判断をしたと思うとおっしゃっていました。
今後、来週調整をするので、孫も含めて皆でオンラインで話し合う機会を持ちたいと考えているとも言われました。
私もいろいろドクターに質問したり気持ちを話したりしました。
時間にして約40分間。
「かなり厳しいことも言ったけれども、皆にとっていい落としどころを探せたらと思う」とおっしゃいました。
その後、看護師さんがいろいろと私を心配して、母の様子を知らせて下さいました。
さっきも、あんぱんを食べられていましたよとか、皆のいるラウンジが好きでよくラウンジに出ておられますよとか。
ですから、案外、人のいる環境の方がお母さんはいいのではないかと思うと言われてもいました。
また、私が「ホスピスに勤務していながら死生観が全然出来ていない」と言いますと「自分の親は無理よ。冷静ではいられないのが当たり前。私もそうだから」とおっしゃって慰めて下さったものですから、抑えていたものが一気に溢れてきて涙腺が崩壊してしまいました。
「お母さんはいろいろ好きなものを食べて元気にされているし、病院にいるのだから安心して、よく食べて、お風呂に入って、よく寝てね」
そこへ院長先生がにこにこと出ていらして、私の肩をぽんと叩かれにっこり。
そして「いいところを探そうね」
これは場所なのか落としどころなのかよくわかりませんでしたが・・・
その後、訪問看護師さん達が集まっていらっしゃるのでが見えたので、「謝らなくちゃ」と気になっていましたのでご挨拶に行きました。
一緒にいて下さった看護師さんは「毎日いろんなことがあるし気になんてしていないよ」と言われましたが一応。。。
新聞を毎日届けてもいいのどうかドクターにお聞きしたら「毎日来たいんだよね」とおっしゃいましたので、そうではなく母が隅から隅まで読むので楽しみにしているのではないかと思って・・・・と申し上げました。
看護師さんのお話では母は数日分溜まった新聞でも気にしている風はなく、あっちやこっちを広げて読んでいるようです。
そこで、私が持って行くのも遅めになるので、新聞を取ることにしました。
大体入院期間は2週間くらいのようでしたので、新聞屋さんに帰って電話をしたところ、診療所のすぐ近くだそうで「2週間位なら無料で入れさせてもらいます」とおっしゃって下さいました。
明日から持って行って下さるそうです。
ありがたいです。
今日、ドクターと話をすることを話していた2人の友人、Kちゃんと高校時代の友人が、心配して「どうだった?」
落ち着かないと言える状態ではなくすぐには話せませんでした。
そうしたら、「泊まりに行くわ」と高校時代の友人が言ってくれて、その後Kちゃん(ドクターにもキーパーソンの1人としてお伝えしておきました。)からも連絡があり、「明日の朝か、夜に行くわ。夜泊ってもいいし」と連絡がありました。
ということで、ありがたいことに2人が続けて来てくれることになりました。
高校時代の友人は8時過ぎに来てくれました。
本当に、本当に、今日のすべてに感謝です。
今、思うこと。
私は母は家に死にたいと望んでいましたのでそれを叶えてあげたいとずっと思ってきました。
でも、在宅での「急変」を母が望むだろうかと言うことと、案外母は人が多いところがいいのかもしれないということです。
ドクターがこれからの入院で母の気持ちを聞いて行きたいと思うと言われていました。
さっき友人に話していて又、涙が出てきましたが、案外母の年代の人はいい意味での鈍感力もあり強いようです。
看護師さんも「娘の心、母知らずだね」と言われていましたが、私が心配するほどには母は思い悩んではいないのかもしれません。
友人のお母さんも今施設です。
お義母さんは1時間の心臓の予定の手術のはずが、造影剤の為1年間以上意識不明になったまま亡くなりました。
今夜はそんなことを語り合っています。
今朝の朝日新聞より 「野の花 あったか話」
コロナ禍の中、この診療所では大切な死の時だから、転院を受け入れ、いくつかのことを守ってもらって家族に会ってもらうそうです。
これからもそれが叶うように工夫したいと書いておられます。
★ 致知一日一言 【今日の言葉】
(1月29日)
運がよくなるとは、
別な言葉で言えば
「どんな状況でも幸せを感じられる」
ということ
――――――――――
浅見帆帆子(作家・エッセイスト)
★エドガー・ケイシー 珠玉のリーディング
(1月29日)
この人生を--今ここにおいて--価値あるものとするよう、互いにそのように生き、そのように行いなさい。
Then, so live, so act, one toward the other, as to make this experience - here and now - worth while!
(263-18)
安心できるお友だちもいる。
ちゃんと備えはありますね。
先生のお話を聞いてお母様の気持ちもまた、変わって行くかも知れませんね。
はい、お母様は人お気配を感じるところの方がいいと思います。
気持ちを柔らかくして行きましょう。
祈っております。
ありがとうございます。
今日は重い決断をしないといけないと思うと、心もずっしりと重かったのですが、お友達といろいろ話し、今は大分軽くなりました。
これからいろいろ話し合いを重ねていくことになると思います。
力強いお祈りに心から感謝しています。
ピエリナ様の昨日のご質問。昔からの体質で、夜は8時頃になると朦朧として来て、3時頃から起きてます。
午後からはパフォーマンスが上がりませんのです。
一眼レフどころかコンデジも持っておらず、iPadかXperiaです。
あ、ドクター、よくお話を聞いて下さる良いお医者様ですね。うちなんて40分も聞いてくれた事があったかどうか。大学病院で胃ろうにする決断も同意書を出されて非常に事務的でした。
それも父の付き添いしている母親がいつも病院の対応に不満を持ってて困っている、みたいな事を言われたのをよく覚えています。
不満と言うか、突然交通事故で植物状態になり、どうして良いかわからないので迷っていただけなのです。
まああとはソーシャルワーカーさんに相談でも、みたいな感じで。
看護師さん達もお優しい方が多いと思います。良かったです。私が経験したよりはずっと恵まれた環境のように思います。
良い方向にお母様、向かわれる事を祈っております。
やはり慣れ親しんだ場所だとお母様落ち着かれていますね。良かったです♡
先生とのお話で、ピエリナさんのお気持ちを考えると、私まで涙ぐんでしまいました。小笠原先生にまでお手紙を出して、ギリギリまで在宅看取りの可能性を探していらしたのに。。
先生からのお話で、お母様がどんな答えをしてくださるか…ですね。お母様は、第一にピエリナさんの健康と幸せをきっと願っているはずです✨
もし、施設介護ということになっても、「施設から在宅看取り」で検索すると、不可能でもありません。(自分のことでもあるので調べました)でも、このコロナ禍だから、面会もままならず、それが一番心配ですよね。。
退院までまだお時間もあるので、先生からお母様の気持ちをお聞きしたりして、良い道が見つかりますように。。☘️お泊まりしてくださるお友達がいらっしゃるなんて、羨ましいですよ♡
そうなのですね。
カメラも一眼レフではないとお聞きしてびっくりしました。
今の診療所は以前ホスピスでしたし、今もその精神でやっていますので普通の病院とはちょっと違うと思います。
1年前に訪問看護その他を考えた時、「なんとめでたいご臨終」を読み、この診療所に決めました。
昨日も友人が「家族にも寄り添ってくれるいいドクターだねぇ」と言っていました。
人間のすることですからお互いに何もないことはないですが、それでもやはりこの診療所に決めて良かったと思っています。
因みにこの診療所がまだホスピス(病院)だった時、私はここでボランティアと職員として働いていました。
お祈りをありがとうございます。
ありがとうございます。
これから私の子供達も含めて話し合いが持たれていきますので、最終的にどのような形に落ち着くのか今はまだはっきりとはわかりません。
母は今日も少なくとも1週間後には帰宅するつもりでいます。
療養型というのもあるのですね。
これについても調べてみたいと思います。
また、ドクターが以前、施設に入っても自宅に一時帰ることは援助(私一人では無理と言われました)があれば可能なので、お孫さんが帰られる時などどうですか?と言われたことがあります。
「施設から在宅看取り」について私も検索してみました。
これは可能だと思います。
ただやはり条件が揃わないと難しいようですね。
母が老衰なら可能だと思います。
また、昨日もドクターが言われたのですが、急変しても「もう医療は要らない」いう気持ちが本人にも家族にもあることが必要なようです。
母の場合は調子のいい時と悪い時を繰り返していますので、難しい判断になります。
延命ではなく、必要な医療を施せば、また元気になる可能性が大きいですから。
1週間少々時間がありますから、(介護サービスの援助もしてもらえるかどうかもありますし)、考えてみたいと思います。
友人達には本当に感謝しています。
兄弟姉妹や親戚が居ない分、友人には恵まれたかなと思っています。
いつもありがとうございます。