今日はちょっとバタバタ

2021年05月21日 22時40分00秒 | 介護
 今日も朝からどんよりした梅雨空。
 
 
カメラを修理に出しましたので、昨日の午後からの写真はスマホで撮っています。
 
いつものママ友ガーデン

 

 
 
 

 

 
 
雨が降り出しましたので、一旦傘を取りに家に帰りました。



 

 
 
傘をさして、紫陽花ウオッチングへ。

 

 

皆さんのブログで最近よく拝見するブラシの木。
 
ご近所にもありました。

 

 

 
 
公園に戻った頃には本降りになりましたので、2周だけしか歩いていませんでしたが帰ることにしました。

 



 
 
 
 今朝の果物
 
りんごを買ってきましたが、又、忘れていました。

 
 
 今朝は9時から訪問看護師さん、3時から訪問歯科、4時から訪問リハ。
 
それから、薬局が2回来られました。
 
その間に、市のケアマネさんから3回お電話がありました。
 
結論から言えば、最初は「市が関わっていることを小多機に話していいですか」と言われたのですが、「まず、施設長に今の状況を話してみて下さい。その答え次第で動きましょう。他の小多機に空きがあるかどうか聞いておきますから」ということになりました。
 
昨日、小多機から届いた書類。
 
今後の方針のようです。
 
20分と書くだけは書かれてありますが、土日はおむつ交換のみ、それ以外は何もしないということのようです。
 
 今日、いらした看護師さんはいつもの方ではなかったのですが、看護師さんもリハの方も、小多機のお薬、食事、そして、以下の方針などについて思わず「ひどいねぇ」
 
市のケアマネさんのご意見も同じでした。


 
今日、歯医者さんは、前の母の部屋を模様替えしましたので、母がそこに居たため、そこで処置をして下さいました。
 
「お部屋がたくさん、ありますねぇ。お掃除が大変でしょう」
 
「使わない部屋はあまりしませんし、開かずの部屋もありますし」と言いますと笑われていました

 
母は今の部屋も気に入ってはいるようですが、ここがとても落ち着くようです。
 
でも、夏はいいかもしれませんが、寒いと思います。
 
家の中で一番寒いのがこの部屋だと思います。
 
今日も「寒い」を連発しつつ、ひざかけや上着を着て、この部屋で過ごしました。
 
 
 
 
 

 今日は朝、キュウリ、ナス、トマトに支柱を立てました。
 
夕方見るとキュウリがもう巻き付いていました。

 
今まで気が付きませんでしたが、我が家のアマリリスが咲いていました。


 


 
 
 夕方、リハの方が来て下さっていた時、レタスを買うのを忘れていましたので買いに行きました。
 
すると、この鯵を276円の20%引きで売っていました
 
母が鯵の三杯酢が好きなので、買って帰り、揚げて三杯酢に漬けました。
 
 
 
 7時頃、私が洗濯物をお風呂場で乾燥させていましたので、取りに行っている間に、お台所の席を立って、手すりのない場所へ行っていました。
 
じっと母の顔を見つめていると、ニタっと笑いました。
 
わかってはいるようです。
 
でも、その後、前の部屋の中で手すりを使わずに動いて、転んでしまいました。
 
どうして、こう危機感かないのか、学習能力がないのか。
 
たった一回で打ち所が悪くて亡くなったり、腰の骨を折って寝たきりになるケースもある中で、何十回となく転び、事なきを得ていることがわかっていないようです。
 
「だから、100歳まで生きられないと言っているじゃない」と言いました。
 
(その直前、夕食の時に「100歳までは生きられないだろうなぁ」と言っていました)
 
そして、自己責任だとも。
 
でも、私が付いていながら寝たきりになったら、私はやはり自分を責め苦しむだろうと思います。
 
何よりも母がそんなことになると辛くて苦しみ泣くだろうと思いますので、それが一番辛いことです。
 
そういう周りの気持ちが母にはわからないようです。
 
でも、とにかく、今日も無事に終わりそうでやれやれ。
 
感謝です。
 
 
 
 
 
 
 
 

★致知一日一言 【今日の言葉】

 

(5月21日)

夢を持つ、夢を追いかけるなんていうのは、
夢と自分との間に距離がある。
自分と一つになっているものがないと、
運命もまたそれなりのものでしか
なくなってしまう

――――――――――
フジコ・ヘミング(ピアニスト)

 

 

 

★致知出版社の「ご縁メール」 

 

(5月21日)

大谷選手に及ぼした影響


『致知』の対談を、時々読み返す中で、
最近ロサンゼルス・エンゼルスで大活躍の大谷翔平選手のことを、
作家の五木寛之氏と円覚寺管長の横田南嶺老師が対談の中で
次のように語られている記事が目に入りました。

****
五木:私たちは両親とか家族とかその家の家風とか、
   いろんなものを相続していることを自覚して、
   後の世代に伝えていかなければいけないと思うのです。

   そういう意味では『致知』が安岡正篤さんのように
   お亡くなりになった方の本をたくさん出されているのは、
   一つの思想の相続ですし、歴史っていうのは国の相続です。

   禅の世界も古くからの教えを代々相続して、
   それに研鑽を加えておられる。

   我われは知識だけではなく、有形無形の様々なものを
   大きな流れの中で受け継いで存在しているのであって、
   自分の個性というものも一人で築いたものではないことを
   自覚しなければいけない。

   大谷翔平という人があれだけ体格に恵まれているのは、
   やっぱり両親が一所懸命に気遣って育てたことも大きいと思います。
   そういう意味では自分一人の努力ではない。
   様々な人間関係の中でバトンタッチされるものかもしれないと思うんです。
  「お陰さまで」というのも、そういうところから
   生まれてくる言葉だと思います。

横田:私もそう思います。
そういえば、先日東北のお寺の行事に参加した時に一人の和尚様が
   「大谷翔平はうちの寺の幼稚園を出ているんですよ」
   とおっしゃっていました。
   「それはもっと宣伝するべきですよ」
   と応えておいたんですけども(笑)
   幼い頃にそこで仏教的な教育を受けたことも、
   ひょっとしたらあの方の今の活躍に
   何らかの影響を及ぼしているかもしれませんね。

五木:確かに彼のインタビューの受け答えなんかを見ていると、
   誠実な人柄が窺えて、幼い頃の教育が反映しているような感じがします。

                     ****

●『致知』には学校では教えてくれない生き方が紹介されている。

と、ある方が言われていましたが、
お二人の対談を読みながら、いろんな相続を引き継いで今生かされていること、
そして「お陰さま」という言葉が生まれてくる背景など、
考え方、生き方に、新しい風が吹いたように感じました。

次の世代に相続する大切な役割を担っている私たちは、
いろんな教えに触れ、歴史を知ることが大事です。

安岡先生は、人間の見識を養うには、

●古典と歴史と人物の研究、これを徹底しなければ
 人間の見識というものは磨かれない。

と言われていました。

 

 

 

★エドガー・ケイシー  珠玉のリーディング

 

(5月21日)

どの人も、神に向かえば生きる者となり、自己に向かえば死する者となるのです。
Thus each individual is alive unto God or dead unto self.
(281-60)

 






★バラ十字会  メールマガジン


こんにちは。バラ十字会の本庄です。


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東京板橋では3日ほど雨が続いています。

梅雨入りの前に、初夏のさわやかな陽気がもう一度戻ってくることを願っています。


いかがお過ごしでしょか。



さて、3日ほど前から「エルの物語」について調べています。

ある文書を翻訳していてこの物語のことを知ったのですが、興味深い点が数々あります。


「エルの物語」は、『国家』という古代ギリシャの哲学者プラトンの著作(対話篇)に出てくる逸話です。

『国家』は10巻にわたる大作なのですが、その10巻の締めくくりになっているのがこの物語で、プラトンがこの話をどれだけ重要だと考えていたかが分かります。



こう書かれています。

当時ギリシャにエルという名前の勇敢な戦士がいました。

彼は戦場で命を落とし、家まで運んで連れて帰られ野辺送りにされようとしていたのですが、薪(たきぎ)の上で生き返って、あの世で見てきたことを語ります。


彼の体験によれば、魂になった自分が体から離れると、数多くの他の魂と一緒になり、道を進んで牧場のように見える不思議な場所に着いたのだそうです。


この牧場の地面には2つの穴が空いています。

ひとつは生前に悪行を行った魂が、罰を受けるために地下に行くための穴で、もうひとつはそこから帰ってくるための穴です。


牧場の上方の空にも2つの穴が空いています。

ひとつは生前に善行を行った魂が、報酬として幸せな生活を過ごす天上に行くための穴で、もうひとつはそこから帰ってくるための穴です。



天の穴と地の穴の間には裁判官たちが座っていて、やってくる魂をつぎつぎに裁いて、地下に行くか天上にいくかを決めます。


エルの物語には、これらの穴を行き来する魂についての話が生き生きと描かれています。


古代エジプトのマアトと天秤による審判、閻魔という仏教説話など、さまざまな文化にこれと類似の話があるのは興味深いことです。



さて、地上から到着した魂と、2つの穴から帰ってきた魂は、牧場に到着して7日が経つと旅に出発します。

そして4日後に、天と地を光が貫いている場所に到着します。


この光は天空を縛る綱の役割を果している光で、光の上方は「女神アナンケの紡錘(ぼうすい)」と呼ばれるものにつながっています


ご存知の方も多いと思いますが、紡錘とはこの写真に見られるような細長いコマの形をした道具で、生糸に縒(よ)りをかけて一本の糸にする作業のために使われます。



紡錘の中央に取り付けられている車ははずみ車とよばれますが、巨大な「アナンケの紡錘」のはずみ車は8つの天球からなり、その中心に地球があります。


外側から順に、恒星天、土星天、木星天、火星天、水星天、金星天、太陽天、月天であり、この天球が別々の速さで回転することによってそれぞれの星が天空を巡ります。


つまり、ここで説明されているのは古代の宇宙理論(天動説)です



それぞれの天球にはセイレーンが座っていて、それぞれの音の高さで歌を歌っています。

セイレーンとは歌声で聞くものの心を惑わせる妖女たちです。

セイレーンの歌声によって、天の音楽が奏でられています。人間の中でも心の最も澄んだものにしか、この音楽は聞くことができません。


これは『国家』のある版に載せられている「アナンケの紡錘」の挿絵です。

上方にいるのがアナンケで、下方にいる3人はモイラと呼ばれる運命の女神たちです。

3人のそれぞれの名前はラケシス(過去)、クロト(現在)、アトロポス(未来)です。



さて、旅をして女神たちのところにたどりついた魂たちは、そこにいる神官の指示に従って、まず、順番を決めるくじを引きます。

そして、くじで決まった順番に、ラケシスの膝の上に置かれたさまざまな「生涯の見本」の中から次の自分の人生を選びます。


神官はこのように言います。

「最後に選びにやって来る者でも、よく心して選ぶならば、彼が真剣に努力して生きるかぎり、満足のできる、けっして悪くない生涯が残されている。最初に選ぶ者も、おろそかに選んではならぬ。最後に選ぶ者も、気を落してはならぬ」
(プラトン『国家』(下)、岩波文庫)



この直後には面白いことが書かれています。

天上からやってきた魂は、苦悩によって教えられることが少ないので、自分の次の生涯を軽率に選ぶ傾向があり、地下からやってきたものは、自分もさんざん苦しんできたし、他の人の苦しみも目の当たりにしてきたので、次の生涯を慎重に選ぶ傾向があるというのです。


そのため人間には、良い生涯と悪い生涯を入れ替わりに過ごすことが多いと書かれています。



魂たちが人生を選び終えると、それは、クロトとアトロポスによって変更ができないものにされます。

そして魂は旅を続け、忘却(レーテ)の野にある放念(アメレース)の河の水を飲み、前世とあの世でのできごとを忘れます。


そして、雷鳴とともに、新たな誕生のために地上に流星のように運ばれていくことになります。



以上の話を皆さんは、どう読み解くでしょうか。



天体の運行を定めている「女神アナンケの紡錘」について考えてみましょう。

アナンケはギリシャ語で「必然」を意味する語です。

またアナンケの別名はアドラステイアで、この名は「逃れることができない」を意味します。


このことから考えると、アナンケは〈法則〉を設定するものを表しています。

〈法則〉とは、定義から言って、何ものも逃れることができない事柄を意味しています。



皆さんは〈法則〉という言葉から何を連想するでしょうか。

ひとつは万有引力の法則などの物理学の法則ではないでしょうか。


現代人の私たちは、天体の運行が、何ものも逃れることのできない物理学の法則によって定められていることを知っていますが、これと対応するかのようにアナンケの紡錘は、古代人が考えていた天体の運行の法則を表しています。



ところで、〈法則〉には、物理学の法則のような物質の法則だけではなく、非物質的な法則があります。

現代の神秘学と同様に古代の神秘学でもそう考えられていました。


そのような非物質的な法則のひとつに「カルマの法則」と言われるものがあります。

この法則は、善を行ったものには幸せがもたらされ、悪を行ったものには不幸がもたらされるということを意味しています。


日本では「因果応報」と表現されることもありますが、皆さんは、カルマの法則というものが、実際に存在すると考えるでしょうか。

それとも、善行を促すために誰かが考えた作り話だと考えるでしょうか。



上の話の例では、前世で善行を行った魂は裁判官によって天上に送られ、悪行を行った魂は地下に送られるという形でこのことが表現されていました。


正直に申し上げれば、「エルの物語」というこの素晴らしい逸話の中で、この個所だけは、かなり誤解を招きやすい部分ではないかと私は感じています。



具体的に説明しましょう。

たとえば私が誰かを思いやる優しい言葉をかけたとします。


これは、ささやかですが善の一例と言えることでしょう。

そして、それに対応する幸せは、死後天国に行けることではありません。

対応する幸せは、笑顔が帰ってくることで、この世に現れます。


もちろん別の例では、幸せは即座に現れることもありますし、後になって遅れて現れることもあります。


しかし、天国や地獄とは、実際にどこかに存在する特別な場所ではなく、天国も地獄も、目の前のこの世に人間が時々刻々と作り出している状態だと考えることができます。



「エルの物語」のような非物質的な世界の話は、言葉では本来語れないものを語ることになるので、必然的に比喩的なものにしかなりません。


この逸話に登場する天国や地獄と裁判官は、とても生き生きとした比喩ですが、それがこの世とは別のどこか特別な場所だと考えたり、裁判官のような存在が実際にいると考えたりすることからは、さまざまな問題が生じる可能性があります。



次のような大雑把なまとめは、プラトンの研究家には怒られるかもしれませんが、彼が『国家』で語ったことは、国家は哲学者によって統治されるべきだということであり、広く言えば、人はすべて哲学者であるべきだということでした。


そしてプラトンにとって哲学者とは、心が善に目覚めた人を意味していました。


そのため『国家』では、人が善に目覚めるためには、どのような教育が行われるべきかということが熱心に議論されています。


ですから、偉大な哲学者プラトンのこの大作が、善を行うことと聡明に生きることの大切さを生き生きと描いたこの「エルの物語」という逸話で締めくくられているのは、とても自然なことだと私には思えます。



私たちは永遠なる魂であり、魂は生まれ変わりを繰り返して、善に目覚めるための道を歩み続けている。

そして、善を行ったものには幸せがもたらされ、悪を行ったものには不幸がもたらされるということが法則である。

聡明に生き、善を知り、善を行いなさい。


このことが「エルの物語」に込められている教訓だと私は考えます

何と実践的な哲学でしょうか!



エルの物語はこう締めくくられています。


「もしわれわれがこの物語を信じるならば、それはまた、われわれを救うことになるだろう…。つねに向上の道をはずれることなく、あらゆる努力をつくして正義と思慮にいそしむようになるだろう…。そしてこの世においても、われわれが物語ったかの千年の旅路においても、われわれは幸せであることができるだろう」
(プラトン『国家』(下)、岩波文庫)



では、今回はこの辺りで。


またお付き合いください(^^)/~


◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

■編集後記

朝は雨が降っていました。クチナシがもうすぐ咲きそうです。

http://a07.hm-f.jp/cc.php?t=M796258&c=3304&d=ed84

◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆◇◇

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8 コメント

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ピエリナさん こんばんは (4321mtmt)
2021-05-21 23:49:12
市が関わってくださって、話が進むといいですね。
小多機が少しでも変わってくれることを願います。

お母様、何だかんだ、転び方、受け身が上手いのかも。
Unknown (kaminaribiko2)
2021-05-22 02:32:14
前も書きましたが、お母様はピエリナさんに甘えていらっしゃるんですね。お嫁さんがお世話していたら、恐らく勝手に歩いたりなさらないと思います。お母様はお幸せだと思います。

「お陰様で」という言葉は含蓄がありますね。私も、なんだかんだ言ってもお陰様で生かしてもらっているんだと思います。感謝しないといけないのかも!
Unknown (ピエリナ)
2021-05-22 04:54:04
おはようございます、光江さん🤗

市のケアマネさんのお話の雰囲気からは、施設長さんはご存じなくて、改善される可能性があるような感じがしました。
このままでは、母をショートステイに行かせることは出来ませんので、一日も早くどの道にせよ開かれることを願っています。
土日にかかりますが、施設長が出勤なさっていてお話が出来ますように。

確かに転び方がゆっくりで、(パーキンソン病の特徴なのか廻るような感じ)いきなりバタンと転ぶのではないので大丈夫なのかも知れません。

退院以来、何かと気を揉むことが多く、いろいろとご心配頂いたりアドバイスを頂いたり感謝しています。
ありがとうございます😌
Unknown (ピエリナ)
2021-05-22 05:12:55
おはようございます、びこさん🤗

母は私が居るのが当たり前と思っているようで、しかも私のやり方が気に入らないと「○○○の施設の人のよう」だと言います😢
昨日も言われました。
また、「かなり我慢して言わないこともある」と言いますので「それは私も同じよ。皆、そうじゃないの❓何もかも言っていたら一緒には暮らせないわ」と答えました😅
淋しさについても私は淋しくはないのか聞きますので、「それは淋しいよ。でも、一人っ子だから一人に慣れているのかも」と言いました。
それに、皆、孤独感は持っていますよね。
ただ、母の年齢や状況にならないとわからないものもあるとはもちろん、思います。

「お陰様」
様々な人間関係からの相続。
わかってはいるつもりでしたが、深い言葉ですね。
感謝して、謙虚に生きたいと改めて思いました。
Unknown (hiro39394649)
2021-05-22 06:10:17
おはようございます☺️
私達が傾聴ボランティアで訪問している小規模多機能施設の経営会社が変わり、スタッフも変わり、空気も変わりました。利用者さんも戸惑っていらっしゃるみたいでした。利用者さん中心のお仕事が、経営中心のお仕事になってしまう施設みたいですね。スタッフの気持ちも仕事への情熱もすさんでいるのかも知れませんね😵お母様のお気持ちはどうなんでしょうか。市のケアマネさんと相談されて、転施設も。余計なお世話、ごめんなさい。
Unknown (kaminaribiko2)
2021-05-22 09:33:04
再コメントです。

亡くなった義母は、私達が来る前は近くに住んでいる義妹が世話してくれていました。というより、義妹は義母が認知症になる前から実家であるこの家に入り浸っていました。が、義母が認知症になってからは来るたびに大喧嘩になり、私達が義母の世話をするため引っ越してきてからは一度もこの家に来ませんでした。実の母娘だったから骨肉の愛憎があったようでした。私が来てからも、最初の頃の義母はかなり大変でしたが、しかし、ある時から、急に素直な可愛いお婆ちゃんになり、お世話しやすくなりました。これは、認知症が進み、義母が諦めの境地に達したのか、あるいは嫁の私に気を使うようになったかの、いずれかだったのだと思います。もともとお嬢さん育ちだった義母は気位が高くて、義妹も同様でしたから、義母が認知症になる前から険悪になることは多かったです。ただ嫁の私を虐めるときだけ一致団結するという母娘でした。義母も、私が大腸癌の手術を受けることが決まってからは施設のお世話になりましたが、このときも、義妹に預かってほしいと頼んでも義妹は頑として預かってくれませんでした。それでいて義母が肺炎で入院中の病院で亡くなると、私達が最期まで家で看るべき責務を怠ったと責め立てました。肉親であるだけに、愛憎が激しかったという見方もできますが、嫁の私は、それに振り回されて地獄でした。しかし義理の関係の私が義母のお世話をさせていただいたほうが義妹がするよりも数倍義母にはよかったと今でも思っています。肉親だけに返って難しい問題があるということも事実ですね。
hiro39394649さんへ (ピエリナ)
2021-05-22 17:01:20
こんにちは、hiro39394649さん(^^)/

お返事が遅くなってすみませんでした。

小多機にボランティアに行かれているのですね。
素晴らしいことですし、こちら側からしましたら本当にありがたいことです。
やはり、経営陣が変わると方針も変わり、利用者さんも家族も戸惑いますね。
前の小多機との違いがあまりに激しいので、なかなか大変です。
母は「今までで最低」と言っています

今日は施設長さんとお話が出来、担当者会議をやっと開いて下さることになりました。
良い方へ改善されることを願っています。

ご心配頂き、ありがとうございます。
びこさんへ (ピエリナ)
2021-05-22 17:10:32
こんにちは、びこさん(^^)/

お返事が遅くなってごめんなさい。

「ただ嫁の私を虐めるときだけ一致団結するという母娘」
辛い目にあわれたのですね。
私の母も同じような目にあい、私の友人の中にもひとり居ます。

でも、拝見していると本当にひどい!
びこさんの体調が崩れるのも当然だったと思います。

親子のそれまでの関係性が介護の時に特に現れるようですね。

びこさん、本当にお辛かったと思いますが、お義母様もびこさんに看て頂かれてお幸せだったと思いますし、心の中でいっぱい感謝もされていたと思います。
本当にお疲れ様でした。

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