三日月ノート

日々の出来事を気ままに。

「縁がある」ということ

2013年09月01日 19時24分30秒 | 思い
私は仏教徒ではありませんが、「縁」というものはやはりあるんだろうなぁと感じます。

職場にしても、日々の中で巡り合う人にしても。

自分で選んでいるようでいて、実はそうでないというか。

会いたいと思っている人に、機会がなくてなかなか会えなかったり、偶然数年来の知人とバッタリ出会ったり。

そこには不思議な力が働いているように思います。

そしてまた、人との「つながりの深さ」というのは、一緒にいた年月の長短とはあまり関係がないようにも思います。

長い年月、友達でい続けるのは、もちろんその人にとって大切な宝物だと思います。

でも私は、それ以上に、その時期その時期で親しいつながりを持つ友人は変わっていいんじゃないかなとも思っています。

友人であり続けるということは、なんというか、自分と相手との世界?生きるステージ?が同じか近くないと続かないと思うからです。

自分も変化し、相手も変化する中で、徐々に距離が開いていったり、再び親しくなったり、というのはアリだと思いますし、自然なことだと思います。

人との関係においては、自分の我を通しても上手くいかないことが多いですから。

何かの集まりにしてもそうだと思います。
来る人は来るし、去っていく人は去っていく。

環境が許し、思いが一致することが大事であって、無理して「続けよう」とか「人を集めよう」とかしても空回りするだけだとも思います。


明日からは新しい職場で、また新しい出会いがあります。

ワクワクも、期待もあまりしていません。

まずは仕事をキッチリやることだけを考えます。



自転車通勤のときにお世話になった帽子を洗濯しました。
そういえば以前、パン屋さんの帽子みたいと言われました。。。。




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