三日月ノート

日々の出来事を気ままに。

「逃げて、逃げて、逃げ切ろうではありませんか!」なのか?

2019年12月05日 10時03分54秒 | 時事関係
今年も残すところ僅かになってしまいました。
「令和って何月からだっけ?」と思うほど、令和に入って色んなことがあった気がします(そして今も)。

時々、昭和の頃の風景写真や、ちょっとした雑誌の切り抜きの写真などを見ると、所謂「高度経済成長期」と言われていた時代(自分が子どもの頃)が、無性に懐かしく、戻れるものなら戻りたいと思ってしまいます。年齢のせいもあるのでしょうかね。

自分が年を取ったのと同じように、この日本も今、年老いて弱り果てているような気がします。

年金支給額は年々減少、消費税増税、後期高齢者の医療負担増などなど。国民の税負担が増える割には一向に見返りはないようです。

ここ数週間、桜を見る会の問題で野党が追及を続けていますが、「いつまでやっているんだ」とか「ほかにやることあるだろう」という声が相変わらず聞こえます。恥ずかしいことです。

「○○党時代はどうなんだ?」「誰それだってやっていただろう」と言っている人もいるようですが、究極の論点ずらしですね。
ではなぜそれ(不正)を追求しない(しなかった)のでしょう。自分らが見て見ぬふりしてきたのだから、暗黙の了解で見逃すのが大人の対応とでも言いたいのでしょうか。
そもそも、今、そのようなことを言っている人たちは、何が不正なのかすら気付いていなかったのではとも思います。
指摘されて初めて悪いことに気付き、「言ってるおまえらも同じ事やってただろう」というレベルかもしれませんね。

不正を追及する、悪いことを悪いというのは面倒なものなんです。
でも、その面倒な事をやらないで来た結果が、今のこの腐敗した日本の政治なんじゃないでしょうか。

物事には必ず両面があって、同じ物事でも、ある人には好ましい結果をもたらす反面、別の人には逆の結果をもたらすことが多くあります。
ですから、意見が分かれるのは当然のことだと思いますが、法治国家である以上、法に触れる行為は許されるべきではないし、「いつまでやっているんだ」の答えは「悪事が明るみに出て、それ相応の懲罰を受けるまで」ということ以外に何があるのでしょう。

ギャンブルをしない人はピンとこないかもしれませんが、競輪でも競馬でも、車券や馬券を買ったら、レースを最後まで見届けて、喜んだり文句を言ったりするわけですが、車券や馬券を買わないで見ていても、所詮、他人事。

選挙もそれと似たようなもので、「投票」(立候補でももちろんいいんですよ)することで、当事者であることを実感できるのだし、当選した政治家が何をしているのかを見ていくのが有権者の役割。

権力を笠に、腐りきった金と反社会的勢力をも利用した恫喝で続いている現政権。
「美しい日本」だの「おもてなし」だの、どの口が言う?という感じです。


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